2011年4月アーカイブ

東北神話

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 3月26日、27日に東日本大震災のお見舞い訪問し、4月20日、21日に再度お見舞い訪問してきました。今日は震災から「四十九日」となります。
 3月の時には、大地震、大津波、放射能の三重苦からの緊張が続き、みなさんの心に身構えを感じました。今回は政治の無能、長引く余震、放射能風評の三重苦の緊張から、多くのみなさんの心が疲労していて、精神的に弱くなっている感じでした。
 なかには大地震と余震の恐怖から不眠症に陥り、自律神経失調症の人もいました。更には心ない週刊誌がいつ来るのか予測もできない大地震を、明日にでも来るかの如くに書き、恐怖心を煽って販売部数を稼いでいます。

 こうした情況ですから、気が滅入り、心も疲労して精神的に弱くなることもよくわかります。地震の恐怖の怯えている人に、「怖がるな」と言ったところで、なんの助けにもなりません。不眠症に陥っている人に、「心配しないでよく寝ること」と言っても、なんらのアドバイスにもなりません。心が疲労した人に、「心を休ませればよい」と言っても、どう心を休ませればよいのかわからない。こうした時にはどうしたらよいのでしょう。
 心の問題は自分自身で解決させて、超えて行くしかないものですが、それにしても何もしてあげられない無力な自分を痛感させられます。

 「こんな時こそ天風なのだ」と、喉まで出かけて口ごもり、歯がゆい思いでいます。

 また、国の復興計画を見ましても復興予算の配分と、今後の再建は海岸沿いに家を建てず高台に、高い防波堤の建設など、防災の条件造りだけになっていて、心の領域が置き去りにされています。心の問題は復興予算だけでは解決できませんし、いったん恐怖に陥ればどんなによい防災施設を造ろうが、どこにいようが恐怖心を除けられるものでもありません。
 復興再建には先ず心の再建が必要になります。
 しかし、いまだ心をリードできる指導者が現れてませんが、そうした中で草莽の人たちがしっかり心を支え合って生き抜いています。彼らこそリーダーなのかも知れません。

 あれだけの巨大な自然エネルギーに遭遇したのですから、その衝撃力からして、私たちにも大津波を押し返すだけの巨大な心的エネルギーが発揮されてくるに違いありません。それには
草莽の人たちの心を奮い立たせる神話が必要になります。古代の人たちは自然の脅威に対し神話を持って立ち向かい、国を建設してゆきました。この度も大きな被災と犠牲者を出してしまいましたが、そのガレキの中からたくさんの東北神話が産まれでています。

 自衛隊、消防隊、警察、海保などの犠牲を厭わない献身はそのまま神話になります。田中好子さんは女優になる前に巫女を努められた様ですが、死に逝く直前に「被災された皆様のことを思うと心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の勤めと思っています。」と、メッセージを残して逝きました。また刑務所の受刑者たちが赤十字を通じて義援金を2000万円とのことです。こうした慈愛に満ちた国が、世界のどこにあるというのでしょうか。これらの愛のドラマが全て神話になります。
 神話と言いますと何か古くさく思われますが、
神と自然と人間が織りなす愛のドラマです。この震災を通して多くの日本人がみせた共生愛、運命愛でして、復興再建の礎となるものです。
 被災者を弔い、被災地のガレキを祓い、そこに道祖神を打ち立て、土着の土産神々(うぶすながみ)を合祀し、地鎮祭を行い、この地に杭を打ち込んで再建してゆく精神です。
 縄文の神話時代から私たちの祖先が力強く活き抜いてきたこの地を、新たに復興させて、これからも春には桜を愛で、夏には盆踊りで偲び、秋には五穀豊穣を祝い、大漁旗を揚げてお祭りを楽しみたい。


 陛下は被災者を励ます為に東北の
避難所を訪問なされ、体育館の床に両ひざをつき、一人一人に「お体は大丈夫ですか」、「お大事にね」などと声をかけております。陛下のお言葉の中に神話が集約されています;
「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよ、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」

サイババ

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 インドの霊能者で宗教指導者であるサティヤ・サイババ師が84歳で死去しました。
 サイババは不治の病気を治すなど奇跡を起こしたり、 灰の中から指輪や腕時計などを出す超能力者として(なんで灰の中からインド人好みの宝石や腕時計なのか)、一時は日本メディアでも取り上げられて話題になりました。信者は世界で1千万人といわれ、鳩山由紀夫夫人も心酔していたという噂もあります。
 一方、サイババは莫大な資産家として知られ、信者からの献金により遺産額が約8千億円ともいわれています。本人は90代で死亡し、その数年後に生まれ代わると予言してましだが、心臓と呼吸器不全の病いから奇跡的な生還は叶わなかったようです。それでも、なんでもありのインドですから、またどこかで生まれ代わりが出ることだと思います。
 インドへ観光に行き、ホテルからタクシーに乗ると、運転手がバックミラーからこちらの顔をのぞきこんで、あれこれと占いを始め、揚句の果てに占い料金まで要求されてよく喧嘩になることがあります。そんな際には、あ〜またおいでなすったかと、適当にお茶を濁して逃げを決めています。
 先日、香港の展示会の帰り道でいきなりインド人が私の額を指し、「あなたの額から光が出ているのでいいことがあります。だが、物事をあまり深く考え込まないほうがいい、、」と声をかけられ、占いを始めようとしました。香港でもインド人が同じことやっているのかと、ここでもお茶を濁し「いま急いでいるので失礼」と
難を逃れた。 
 翌日午後の事、展示会場で立ったまま休息していたら、いつの間にか昨日のインド人がすぐ横に立つているのに驚いた。
「あんた昨日会った人だろう」と言うと、「そうだ、昨日も話したが、あんたの額から、、、」、この予期せぬ驚きが不覚にも相手に隙を与えてしまった。

 今回はその場を逃げ去ることもできずに延々と占いを聞かされ、相手は手帳を開いて、111歳のヨガの先生とかの隣で修行している写真を見せられたうえ、その手帳で仕掛けてきたマジックにまんまと騙されてしまった(瞬時は読心術かと錯覚したが、後で冷静に考えてトリックとわかった)。
 こうして翻弄されている間に、相手の開いた手帳の中へ寄付を申し出されて、いまさら断ることもできず、まぁヨギーに寄付ならそれもいいかと、素直にお金を巻き上げられてしまった。
 さすがインド人、お見事。ペテン師とわかっていながらも心の隙をつかれた。ただ「こいつはカモだ」と読心されたことだけは確かだ。己の至らなさを反省している。

 サイババ師のご冥福を祈る。            合掌

白いハンカチ

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 東日本大震災でみせた日本国民の冷静な態度、秩序正しさと忍耐力、そして利他的精神に、世界中の人々が敬服と称讃と驚きをもって見守りました。不幸な出来事でありましたが、海外に住む日本人にとり、この民度の高さは大きな誇りになりました。
 なかでも、かけがいのない肉身や愛する夫を亡くした被災者が、テレビのマイクを前にして、取り乱すことなく悲しみを内に秘め、感情を抑制しながら静かに話す姿に、思わず「そこまで我慢しなくてもいいよ」と、叫びたくなりました。
 外国の人には愛する人を亡くしながらどうしてあんなに冷静でいられるのか不思議に映りました。ですから多くの人から、「何故あれはどに冷静なのか?」という質問を受けました。
   韓国の人や中国人は、「もし我々なら大声で哭き叫んで取り乱すだろう」と言います。何事にも理詰めでないと納得しないドイツ人は、この冷静さは彼らがまだ肉身の死を知らされていないからだと深読みしました。アメリカ人はなんと感情表現が不器用な民族なのだろうと理解できずにいます。

 私はそうした彼らからの疑問に「いや被災者も全身で哭いています。
あの様なけなげな振舞いは、自分の悲しみや大事よりも、周囲を悲しませ、不快な感情を与えまいとする、思慮深い抑制された精神態度なのです」と説明し芥川龍之介の名作「はんけち(手巾)」の話を添えています;
 ある学生が病死して、その母親が息子の死を恩師宅に告げ行きます。母親は突然の訪問を謝してから、
淡々と息子の死を語り、眼には涙もなく、声も平生の通りで、その上、口角には微笑みさえ浮かんでいるのを見て、アメリカ帰りの教授は不思議に感じ、はじめはこの母親は息子の死で気がふれたのかと思いました。
 しかし、ふとテーブルの下に眼をやると、膝の上に白いハンカチ持った母親の両手が見え、その手が激しくふるえ、悲しみの激動を強いて抑えようとするせいか、ハンカチを両手ではち切れんばかりに堅く握ってふるえていることに気がつきました。顔でこそ微笑んでいましたが、全身で泣いていたのです。

 

 被災者の深い悲しみを内に秘めたけなげな態度は、外国の人には理解を越えるものであるかも知れません。しかし、もし被災者が心の奥に秘めた悲しみを、塚をも動かす、激しくわびしい秋風に託して表現したなら、きっと外国人の心を動かすことだろう。
 奥の細道で芭蕉も哭いた。被災者も哭いていいのだ。
   塚も動け わが泣く声は 秋の風 (芭蕉)

未来を信じる歌

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 今回もアメリカへ戻る前に上海に寄ってきました。
 上海の日本レストランで夕食を取っている時に、懐かしい乗りのよい曲が流れてきて、自然と口ずさんでしまった。

 ひょたん島はど〜こへ行く
 僕らをの〜せて ど〜こへ行くぅぅぅぅぅぅぅ〜
 丸い地球の水平線にぃぃ なにかがき〜っとまぁているぅぅ
 苦しいこともあるだろさぁ 悲しいこともあるだろさぁ
 だけど 僕らはくじけない! 
 泣くのはいやだ! 笑っちゃおぅ! すすめ〜

 そういえばこれは確か井上ひさし氏の作詞だった。彼も東北の人で孤児院で育った劇作家でした。宮沢賢治といい、彼といい、なんでこういう励ましの詩を作るのだろう。縄文の時代から東北人の生活は大変だったのだろう。
 「ひょっこりひょたん島」には、もう一つ彼の作詞による「ドン・ガバチョの未来を信じる歌」があった。

 

  やるぞレッツゴー みておれガバチョ
  何が何でもやりぬくでちちょ
 

  今日がダメなら 明日にしまちょ
  明日がダメなら 明後日にしまちょ
  明後日がダメなら 明々後日にしまちょ
  どこまで行っても 明日がある
ホイ
  ちょいちょいちょーいのドンガバチョ
ホイう。

  ドン ドン ガバガバ ドン・ガバチョ


「ミナさ〜ん〜」、これって東北被災者の復興に向けての応援歌になるのではないか。


鷹の目に獅子の決意

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 東日本大震災から2週間後に日本へ向かった。
 震災前の
JAL5便の予約は満席だったが、65%ほどのキャンセルで空席が目立つた。「君子危うきに近寄らず」で聡明な選択なのでしょう。読書する乗客の本の題名を覗くと、司馬遼太郎の「この国のかたち」を始め、歴史文化の硬派な本を読んでいた。乗客もそれぞれ思い詰めるものがあってのことだろう。
 日本の上空に近かずき、いつもなら北海道から太平洋海岸沿いを南下して、福島原発所を右下に見ながら成田空港に着陸するのだが、今回は青森から日本列島のほぼ中央上空を飛び、白煙の立つ福島原発を左下遠方に眺めながら、千葉沖から太平洋上に入って迂回する飛行だった。
 こうした飛行コースでしたので、海岸沿いの被災地が内陸部のどの辺りまで続き、どこから被災影響が減少しているか鳥瞰できた。被災地域の情況から、この被災地はこの内陸部で救援体制ができ、あの被災地域はあの内部地域で援護対応できるということが一目瞭然に見てとれた。
 後智慧になってしまうが、カン首相は初動に福島原発だけに飛ばず、先ず東北全域を飛んで被災地の現況を掌握すべきだった。そうして即断で2人の指揮官を任命し、1人を攻めの被災地復興の指揮官、1人を守りの原発問題処理の指揮官を、鷹の目で見て、獅子の心臓で決意すべきでした。さすれば、国民から「カン蹴り」されずにすんだものですが、所詮、あの目で、あの心では、無理な期待だったのかと思う。
 飛行はさらに九十九里浜沖を出て太平洋上空から着陸体制に入り、海面を見下ろすと、晴れた空だというのに、海底からの余震に震えてか、これまでに見たこともない、どす黒い不気味な毒蛇肌の海面だった。
 着陸後、閑散とした成田空港の入管に向かうと、節電対策で通路が薄暗く、入管所のBは消灯で閉鎖されていて入管所Aから入国となった。
 行き先々の街全体が暗く、人出も少なく、自粛ブームのお見舞い滞在になってしまった。でも、こうした薄暗さは、今までが明る過ぎたからでもあり、慣れてしまえばこれはこれで落ち着いたいい雰囲気でもあります。思えば我が家はすでに4年前から節電対策でこの薄暗さでした。


 復路の途上、上野公園入り口の満開の桜に話しかけ、「やはり今年も咲いたね、でも今年は見ずに行くよ。ごめん」と、自粛して通り過ぎ、成田からアメリカへ戻ってきました。
 大きな余震確立が10%に減少した3週間後の太平洋沿岸は、いつもと同じ穏やかな青い海面に戻っていました。私たちの余震(自粛)も「四十九日」にあたる「昭和の日」までにして、そこから復興再建の長期戦に立ち向かうことにしたいものです。


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