緊張蚊取り線香

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 ブータンから帰って3週間になる。
 戻ってからの2週間というもの、毎日ブータンで買った仏教音楽をかけて旅の余韻を楽しんでいた。モーツアルトの曲を聴いても「なんて軽いのか」と、感じてしまった。それがこの数日の間に「やはりモーツアルトもいいもんだな」と、またすんなりと聴きはじめた。
心のダイエットがリバウドして、ブータンの不思議な空間がだんだんと遠ざかっているようです。
 野の花も切らず、蚊やハエも殺さない「不殺生」の世界から、また元の世界に戻ってきたようです。ブータンで左腕の2ヶ所を蚊に刺されて赤く膨れているのが気になりだし、なぜあの時に蚊を叩く気が起きなかったのかと、可笑しく思えてきた。今なら瞬時に叩いているだろう。相手が攻めて来たのに、こちら側は不殺生とはなんと理不尽なことか。これなら正当防衛もなりたたず、戦争もできなくなってしまう。
 コップのなかにハエが入り、「だいじょうぶか」と聞かれたのは、私の方でなくハエの方で、早くつまんで助けてやれということです。まさかここまで不殺生とは、、、たぶんこれは冗談かと思うのですが、冗談と思えないのがブータンです。

「不殺生」という戒律は昔から知識として知っていましたが、まさかここまでやるとは思わなかった。仏の教えがこれほど深くてすごい思想だったとは考えられませんでした。
 なにせ「草木国土皆成仏」の世界。宇宙万物はみな如来の現成と思い、草木の命も、蚊の命も、私の命も、仏からいただいた同じ命なのですから驚きです。私の命が花と蚊と同じなのですが、けして後進国にみられるような人命の軽さとは違い、すごく重量があります。蚊と同じ命と言われて、かえってそれが尊く思えてくるのですから不思議です。現世で私が私の命を尊ぶように、花々や、蚊さえも活きていることが尊く思えてしまうのだから、ブータンという国は実に不思議な空間です。
こういう仏教国がまだ在ることは、実に在り難いものです。
 私の一生のほんのわずかな一時でしたが、「不殺生」の雰囲気のなかで、心が純化して蚊も殺さず、命がこれほど尊いものと実感できたことは貴重な体験でした。

 旅の終りに必要なくなった携帯品を、カイドさんに差し上げてきたのですが、うかつにもその中に蚊取り線香を入れてきてしまった。今頃になって悪かったかなと少々気になっている。ガイドさんが間違って蚊を殺してしまうのではと緊張している。

追記:
 「緊張蚊取り線香」などと駄洒落てブログを書いたら、さっそくその晩に、いるはずのない蚊の逆襲にあってしまつた。額に一カ所と(これが痒くてたまらない)、右腕と手に刺されて眠れぬ夜となってしまった。幸い蚊は健在のようで、よかった(T_T)

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このページは、三休が2011年8月 6日 02:52に書いた記事です。

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