四面楚歌(ブータン補記)

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DSCN2630.JPG (父なる川と母なる川の合流点に在る、プナカ・ゾン)

 ブータンを文明の潮流からみて行きます。
 ブータンはヒマラヤ南山麓の秘境にありチベット文化圏に属する人口65-70万人の小国です。小国で秘境であるが故に、1960年までは世界の流れから隔離され、仏教信仰になかで平穏な生活を享受してきました。
 この平穏な生活は、先ず北面から突き破られました。
 1959年、中国がチベットに侵入して動乱が起こりました。それ以後、中国がチベットを統治してし、宗教弾圧が続くことになります。ブータンはこれまで文化的に最も繋がりの強かったチベットとの国境を封鎖しました。文明的に見ますと、チベット仏教と中国共産ニヒリズムの衝突となっています。今はチベットが要塞となって抵抗していますが、中国共産ニヒリズムがチベットを制圧したら、必ずやブータンへ南下してきます。ブータンの豊富な水源と高価な薬草資源を黙ってみていません。すでに中国人が越境して夏草冬虫の盗採が始まっています。
ブータンは北面からの危機対策として、チベットの国境を封鎖し西面のインドへ活路を開いています。
 西面に位置する人口大国のインドは、水の豊富なブータンから電力を供給を受けています。ブータン国はインドから60%の電力収入を得て、インド経済圏の影響下にあって良好な関係を維持しています。インドは宗教に対して寛容でありますが、ブータンの西に隣接していた兄弟小国シッキムが、ヒンズー教徒のネパール系民族の流入によりインドに併合されています。ネパール人の流入が続くブータンも、シッキム小国の滅亡と同じ脅威にならされています。文明的に捉えると、ヒンズー教によるチベット仏教への進行と捉えることができます。チベット仏教の正統を引き継ぐ最後の要塞は、ここでも試練となっています。

 さらに最大の脅威は、東面から近代文明の進入となります。近代化の波はついにヒマラヤの秘境にまで押し寄せています。近代文明は全世界をほぼ征服した強力な文明ですから、ブータンにとり最も抵抗し難いものです。
 1999年に世界で一番最後にテレビが入った国となり、インターネットも同年に導入されました。2003年には携帯電話が進入しています。こうした近代化の波が、これからブータン文化を大きく変えて行くかと思います。もし、その影響の行き着く先で、ブータン人がブータン人でなくなってしまったら意味がありません。たとえブータンが残存しても存在価値を喪失してしまいます。ここに仏教と近代化の調和の叡智が求められています。今までのところブータンは、「国民総幸福」を掲げてよく健闘しています。
 最後は南面からの地球温暖化の脅威です。
 
地球温暖化のために毎年0.1度ずつ気温が上昇しており、このままでは20数年後にはヒマラヤ氷河の融解が心配されています。もし、溶けた氷河があふれ出すようなことにでもなれば、ブータンは国土の70%が森林に覆われたヒマラヤ山麓に位置し、南北の標高差が7000メートルもありますので、怒濤の土石流が森林をなぎ倒し、国家壊滅の危険性が憂慮されています。ブータンの信仰は、山や森林そのものから生まれたものでありますから、氷河の融解による森林破壊はブータン人の魂の崩壊を意味します。ですから世界に向かって温暖化の警鐘を発信することは、ブータンの死活のことになっています。

 以上のようにブータン王国の四面楚歌の試練は、ブータンのもう一面の現実です。
 こうした中で、2006年12月に第五代国王が即位されました。若き新国王の肖像写真は、ブータンの僧院、公共施設、ホテル等に掛けられていてよく目にします。
今年の10月には皇后を迎え入れます。
 澄んだ瞳、誠実そうな好男子の肖像は、カリスマ性を感じさせ、よき指導者になられることと思います。しかし、その澄んだ瞳の奧に潜む一抹の憂いを感じるのは私だけでしょうか。
 ブータン王国の未来に、仏の慈悲とお加護がありますように。合掌 

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このページは、三休が2011年8月15日 04:07に書いた記事です。

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