一本の線香

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 中国出張の折に上海郊外の水郷「西塘(シータン)」へ行ってきた。
 観光地と地元の人の生活が半々に入り交じった古い街並でよい印象を受けた。夜舟に乗って川岸の民家に揺れるランタンの灯りが、明、清朝時代の郷愁を誘う。
トム・クルーズの映画「ミッション・インパッシブル3」のロケ地にもなっている。
 ただ惜しむらくは、
折角の西塘のよい印象を、一気にぶち壊してしまう「護国随糧王廟」の低俗下賎は許せんものだった。
 私は常々中国のどの観光地に行っても、そこに信仰というか、スピリチュアルなものが存在していない味気なさと、文化の廃退を書いてきたが、ここでも同様だった。ですから参観は信仰の対象としてでなく、単なる観光と割り切っているが、
この廟はあまりにひど過ぎたので、腹立たしくなり口論となってしまった。それでもまだ憤慨が収まらず、観光局に「即刻に止めるべし」と投書した。
 拝観料を払って門に入ると、先ずは金ぴかで眼だけ異様に光った醜い顔の大きな布袋様。布袋様には気の毒ですが、なんてグロテスクなのか(上の写真)。次の廟は道教の関帝かと思うが、そこに入ると案内の女性が、「拝観料を払いましたから、線香は無料です。どうぞ」と、火を点けて線香を一本わたしてくれた。線香は通常どこでも献香として有料で少なくも三本、しかも自分で火を点けるものですから、この親切に違和感を覚えてしまった。
 無料の線香を両手にもって拝観した後、線香立をさがしたが見当たらない、それでも裏側にあるのかと
思い一歩進むと、案内の女性が私の背に、「裏には行けません。隣の廟へどうぞ」と案内した。
 なにか変だと思いながら一本の線香をもって隣へ進み、菩薩観音を参拝した。そこに四人の僧侶(たぶん偽のクソ坊主)がいて、ここでも線香立てが見当たらない。おかしな廟だなと思っていたら、一人の坊主が線香を受け取り、同時に小さな札を合掌した手に挟ませて左隅にいる坊主の方に行かされて座った。

 座るとその札の上に仏の印を押し、短い経と説教を始め、おもむろに布施の記帳を取り出し寄付を要求しだした。記帳を見ると上の八段まで名前と住所が連ねてあり、布施が一律に199元とその右に399元と記されていた。下の二段が空白になっており、そこに無理やり名前を記帳させる魂胆のようだ。200元、400元とせず、199元、399元としかも2つに分けているところがうさん臭い。子供でもわかる見え見えのぽったくりだ。計600元は日本円にして約1万円だが、中国の一般の人にとって
大金でして、通常ならせいぜい20元未満です。
 こうした罰当たりの輩の処理は、菩薩観音様に任せておけばいいものを、お節介にも「仏を利用してぼったくりするとは何事だ」と、キレてしまった。私も修行が足りない。
 先方はさらに「お金は生物以外の物で、死んで持って逝けない」と突っ込んでくるから、「それならお前が俺に金をくれ」と言い放して、クソ坊主の唖然とした顏を背に廟を出た。

 私は異邦人として中国のありのままの姿を見ているだけで、文化や道徳の廃退を批判するつもりはない。反省とは他から強いられるものでなく、自分自身でなすべきものだからです。しかし、なんとか廃頽した文化と倫理道徳を復興させんことには、明日の心豊かな中国はないと思う。

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このページは、三休が2011年10月21日 00:40に書いた記事です。

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