2012年3月アーカイブ

鎮魂

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6_isobe.jpg 合掌
 あれから一年がたちました。復興一年です。

「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」
「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」(天皇陛下哀悼の辞)
 私たちは犠牲者の御霊を鎮魂し再建に進まねばなりません。当地アメリカの各地でも追悼と支援活動が行われています。
 ワシントンDCでも日本の若手アーティストによる東北震災の作品展示会が、ワシントンポスト紙の一面に掲載されていました。これらの作品を鑑賞しながら、一年の時を実感しています。

                  

http://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/246-and-thereafter-japans-triple-disaster-through-artists-eyes/2012/02/24/gIQAPi5vkR_story.html

日光岩

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IMG_2097.jpeg アモイに親近感を覚えるのは、飛行場が「高崎空港」で、わがふる里の地名。コロンス島が「鼓浪嶼(ショ)」で、この島の最高峰の展望台が「日光岩」と、日本語の響きがあるからと思う。
 それに登り口に「日光岩に登らずしてアモイに来たことにならない」の標語までが、なんか「日光見ずして結構と言うなかれ」のフレーズに似ている。
 日光岩は標高93メートル、直径40メートルという一枚岩の巨石でして、アモイのシンボルにもなっています。鄭成功がここから眺めた景色が、はるかなる日本の日光山にもまさると言ったたことが名前の由来らしい。そして日光岩の下に日光寺があります。
 この日光寺の掲示板に「人生成功的秘訣」の紙が貼られていた。国の気運が上り坂で熱気にある時は、街中や本屋の至る所でたくさんの「成功」という文字を見かけるものです。
 今日はこの秘訣を紹介してアモイ旅行雑感を終りにしたい。

DSCN3275.jpeg         「人生の成功の秘訣」
         急ぎの事はゆっくり話せ、
         大事な事は明確に話せ、
         小さな事はユーモアに話せ、
         自信のないことは注意して話せ、
         やれない事はいい加減に話すな、
         人を中傷する事はけして言うな、
         まだ起こりもしない事に嘘を言うな、
         他人の事は慎重に話せ、
         自分の事は思った通りに話せ、
         今の事はやってから話せ、
         未来の事は未来に話せ。 
 
 中国人の現実的なプラグマチズムな発想がでていて興味深い。

ピアノソナタ

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IMG_2101.jpeg    (海岸に立つ鄭成功塑像、顏がなぜか大海を眺めずに大陸に向いている)

  アモイ島から第1位の観光スポット「音楽の島」「海上の花園」と呼ばれるコロンス島に渡りました。アモイ島からフェリーで8分ほどの500メートルの鼻先に在り、日本の湘南から江ノ島へ渡る感覚です。
 地政学という学問がありまして、民族や人間に宿命があるように、その土地にも地理的条件による宿命があるというものですが、潮風に吹かれながら海岸を歩いていると、この島の宿命のようなものが感じられてきます。
 コロンス島は漢字で
「鼓浪嶼」書き、中国で35選に選ばれている景観地です。島の面積は約2平方キロ、人口は2万3000人余りに規制されています。
 海賊が跋扈していたこの島が、国際舞台に登場してくるのは、大航海時代の明朝末期に活躍した鄭成功が、この島を根城に反清朝を旗揚げして軍隊を組織したことに始まります。鄭成功は日本人を母として平戸に生まれ7歳まで育ったことから、日本にもフアンが多く、近松門左衛門作の「国性爺合戦」にもなっています。
 
鄭成功軍は清朝の力がアモイまで押寄せて危なくなると根拠地を台湾に移しました。当時の台湾とは台南のことで、1620年代からオランダ人が占拠していましたが、鄭成功は2万5千の兵を数百の船に乗せて台南に上陸し9ヶ月でオランダを降伏させました。清朝でなく前政権の明朝ながらも中国の軍隊が台湾へ入ったのはこれが最初となりました。オランダ人を追い払って中国人の政権を打ち立てた事が、今でも台湾と中国の両方で民族の英雄として崇拝されています。
DSCN3293.jpeg その後、清朝末期に清がアヘン戦争に敗れ、1902年に欧米列強の18カ国の共同租界地になりました。ドイツ、イギリス、アメリカ、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、日本など各国の領事館、病院、学校、教会など、赤レンガ造りの洋館が設立され、福建省で最も生活環境のよい租界地として発展してゆきました。今日でも当時のエキゾチッックな建物が多く残されていて「万国建物博覧島」と称されてもいます。今ではこれらの建物に島民が移り住み、集合住宅に改造されたり多くは朽ち果てたりしています。最近になって海外で富を得た華僑が島の反対側に市内の古い建物と対照的にモダン別荘がたくさん点在するようになりました。
 こうした歴史的な背景から、島にはたくさんの花園が残り、租界の住人たちが島を立ち去る時にピアノをたくさん残してゆきました。島にはピアノの音楽学校があり、ピアノのある家庭が5戸に1台といわれ、世界一の所有率となっています。
 1966年から巻き起こった文化大革命の時に、
西洋音楽の演奏が禁じられピアノが弾圧の対照になりました。そこでこの島出身の音楽家たちは、洗星海が創作の革命的で愛国的な黄河大合唱」をピアノ協奏曲に編曲し、毛沢東に聞かせることで荒れ狂う文化大革命の嵐からピアノを守り抜き、「音楽の島」の対面を保持したと言われています。この物語をどなたかに映画化してもらいたいものです。
 今日も島内を散策すると浪うつ鼓の音に協奏してピアノの調べが流れています。

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南普陀寺

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 アモイの地元民が常連としている「佳味再添小吃店」で、福建風味を満喫した後、この通りに隣接する「台湾小吃街」を参観し小吃(軽食)の梯子です。私は中国で臭豆腐を食べないことにしたので、もう一つの好物である「オアミサ」(カキ米線)をさがしました。オアミサは細いライスヌードルを粥状に煮詰めて小さなカキを具にし香菜を上に乗せた小吃でして、やはりここにもありましたが、あいにくランチの時刻を過ぎていたため売り切れになり30分待ちとの事でした。
 待ち時間を利用して歩行者天国「中山路歩行街」を散策してから(さしたる見る店もない)、台湾小吃街に戻り「オアミサ」を注文。13元と当地としては割高でした。旅先なので生ガキを敬遠して米線粥だけ食べたが、やはり台湾風味そのままの滋味でした。

DSCN3313.jpeg 食べ歩いてばかりでも行けませんので観光です。タクシーに乗り魯迅が5ヶ月教鞭をとったという廈門大学の前を通過して南普陀寺へ移動。
 南普陀寺は唐の時代から存し、現在の大伽藍は建立されたのは清朝の時代とされています。アモイ島で唯一のお寺であるばかりでなく、福建省ひいては全国的にも有名なお寺となってます。
広大な敷地に天王殿、大雄宝殿、大悲殿、蔵経閣といずれも立派な堂塔伽藍で構成されています。大悲殿は1930年に再建され三重の屋根がそれぞれ上空へ向かってそり返った絢爛豪華な造りとなっており、なかに千手千眼観音菩薩像が安置されていました。
 これは余談ですが、お寺で販売している精進饅頭がとても美味しと評判で名物土産になっています。参拝客が先を争うように買っていましたが、なにせ昼食をすませた直後で食指が沸かず惜しい事をしました。
 
南普陀寺はアモイで第2の観光スポットだけのことがあり、門前には観光バスが10台ほど駐車し、団体旅行客で賑わっていました。このお寺は有名なのに拝観料が不要でして、私は中国で入場料をとらないお寺はここが初めてでした。
 天王殿をくぐると敷地内には、中国各地から来た旅行団体や台湾からやって来た団体客で混雑し、騒々しくとても参拝の気分になれませんでした。仕方なく暫く立ち止り、どこから来た旅行団体なのかと見物していましたら、面白い識別法に気づきました。台湾から来た旅行団体は、お歳寄りから若い人まで伽藍
の前にひざまずいて拝跪したり、立ったまま合掌して参拝してましたが、中国国内からの旅行団体は、何もせずにただ見物し写真を撮って通り過ぎて行くだけでした。彼らにとり南普陀寺は参拝の対象でなく一つの観光地に過ぎないわけです。全部の人がそうでないと思いますが(そう思いたい)、この信仰心の欠落、祈る心の喪失は、文化大革命が残した深い心の傷跡なのだろう。目下この国は文明社会を目ざしているわけだが、こんな心の余裕なさでは豊かな文明など築けるわけがない。

民以食為天

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DSCN3303.jpeg 日本の旅行ガイド本に紹介されているか知りませんが、中国の百度サイトでお薦めレストランを調べると、アモイの地元民に愛されている伝統的な福建(閩南)風味として、「佳味再添小吃店」がでてきます。
 早速タクシーに乗って下町の大同路にでかけて行きました。お店に入ると私がイメージしていた店構えと違うので、外に出て看板を確認するとやはり間違いありません。
上の写真にある様に二階にあやしげな洗濯物が干してあり、観光客などお構いなしの地元の店でした。
 再度お店に入りましたが、ランチ時で食券売り場は混雑し、食堂は薄暗く粗末なテーブルがたくさん並んでいました。壁に貼られたメニューの価格は嘘の様に安く、すべてセルフサービスで昔の人民公社の食堂を思い起こす雰囲気でした。どうみても勝手が違うので、また店の外にでて看板を確認したが、やはりここが再添小吃店(軽食店)でした。
 一瞬やめようかと躊躇したが、三度目の正直であまり期待せずにアモイ名物の沙茶麺(5元=65円)、芋包=里芋饅頭(3元=40円)、香茹猪脚蓋=椎茸豚足スープ(5元)を注文し、それらをお盆にのせて混み合うテーブルの中からやっと空席をさがしました。
 先ず紙カップに入った南方風の沙茶麺の汁をひと飲み、豚、鶏、魚骨のだしをベースにピーナツソースの濃厚なピリ辛汁でして旨い!太麺は少し柔らかめだがイケてる。麺をすする合間に紙皿にのった芋包(里芋のペーストを皮にして中に具を詰めた薄紫色の饅頭)を食べ、これも美味い!さすがは名物料理。
 沙茶麺の汁を飲み干したいが、ここは我慢して漢方薬の入った椎茸豚足スープを飲みましたが、これもまた一級品の味!どれも見かけはよくないがすこぶる美味しく、病みつきになる庶民の味でした。計13元=170円也、日本でしたら1700円というところか。もうこれだけで幸せを感じてしまう。

 味、栄養、安値の三拍子、なるほど地元の人を惹き付けるわけです。中国も格差社会とインフレが拡散し、なにもかも派手になって行くなかで、このお店は中国本来のファンダメンタルというか、地味で地道(実在)な庶民食堂を維持していました。私の好きな実在中国がここにあり貴重な存在でした。

 孟子曰く「民以食為天」(民は食を以て天と為す)、
多くの庶民は食を第一とし、今もこうしたファンダメンタルな食堂から活力をもらってたくましく活きています。
 尚、このお店でさらにおまけがありまして、テーブルを片付けにきた貧相なオバサンに、私の限りある台湾語(
閩南語)を駆使して話しかけたらすべて通じてしまった。オバサンは親指を立てながらこの変な外人に驚いていたが、通じて当たり前ながらも、なんか奇々怪々でした。

彼岸と悲願

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小金門島、白く見える所に
標語が裸眼で遠望できる。
下は、アモイの標語。






 今回はアモイ(廈門)へ行ってきました。
 
アモイは福建省南部に位置し、人口約250万人の都市で経済特区になっています。33年前の経済解放政策で中国政府が認可した経済特区は、広東省の深セン、珠海、スワ頭と、福建のアモイの4地区となっています。
 
アモイ島は島内を観光リゾートと商業区に、島外を工業産業地区に分け、主に台湾資本の進出によって経済発展を続けています。

 以上は前置きでして、今回の私のアモイ行きの目的はただ一つ、台湾海峡の大陸側から金門島を眺めてみたいことでした。そしてこの地に立って政治イデオロギーのアホらしさを笑ってみたく思ったことです。つまりは過去の私自身のアホらしさを、静かに笑ってみたく思ったわけです。
 かつて私が台湾に留学した頃、世界は自由主義陣営と共産主義陣営に分かれた冷戦構造の真只中で、台湾海峡を挟んで、台湾へ逃れた国民党政府は「大陸反攻」をスローガンにし、やがて大陸を奪回する事を悲願にしていました。一方、共産中国は毛沢東万歳をスローガンに「台湾解放」を悲願にしていました。その最前線が金門島とアモイ島でして、双方が偶数日と奇襲日に分けて大砲を打ち合っていました。私もそうした冷戦時代の中で育ち翻弄されてきたわけです。
 私は20年ほど前、まだ緊張感が残る金門島を視察してアモイを眺めたことがあります。そしていつの日か向こう岸から金門島を望んでみたいと思っていました。
 アモイの日航ホテル19階から、真下に国際展示会場が見え、その向こうの海上に金門島が遠望できました。金門島は意外に近く何時でも攻略できる位置にあり、小金門は船で25分という近さに驚いてしまった。小金門島にある白看板のスローガンが裸眼でも見える近さでした。
 いつの世も平和時には経済が政治を優先し、経済活動が闊歩し政治がそれに追いついて行けないようです。アモイでも経済活動が前面に出てすでの臨戦の緊張感はなく、今や金門島を射程にした大砲台は観光名所になっています。
 台湾から資本が進出し、アモイと台湾間に民間の直行便が飛び船便も就航しています。ともに福建語(台湾語)と北京語が交わい、アモイ・台湾経済圏を形成しています。
 それでも政治的建前として、こちら岸アモイでは「一国両制統一中国」の大きな標語を掲げ、あちら岸の小金門では、国父孫文の思想で国民党政府の国是である、民主・民権・民生の「三民主義統一中国」を掲げて対峙しています。両岸がこの原則さえ掲げていれば経済交流はどうぞご自由にというところなのでしょう。建前と本音を巧みに使い分けるのは、この民族の得意技です。
 まさに経済発展が政治イデオロギーの遅れを嘲笑っているかの様です。アモイの海岸でそれを眺めている私も嘲笑われているかの様でした。私は「豊かさとはいいものだ」と苦笑するしか術がありませんでした。
 それにしても双方が金門島の一線を残した民族の智慧に感心します。けしてあなどれないもので、またいつの日にかこの看板スローガンが実をおびて蘇ってくることと思う。広大な中国はこれまでも「一国多制」で、統一された歴史はありません。そしてこの多様制がこの国を豊かにもしているわけで、これがまた中国でもあります。

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