彼岸と悲願

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小金門島、白く見える所に
標語が裸眼で遠望できる。
下は、アモイの標語。






 今回はアモイ(廈門)へ行ってきました。
 
アモイは福建省南部に位置し、人口約250万人の都市で経済特区になっています。33年前の経済解放政策で中国政府が認可した経済特区は、広東省の深セン、珠海、スワ頭と、福建のアモイの4地区となっています。
 
アモイ島は島内を観光リゾートと商業区に、島外を工業産業地区に分け、主に台湾資本の進出によって経済発展を続けています。

 以上は前置きでして、今回の私のアモイ行きの目的はただ一つ、台湾海峡の大陸側から金門島を眺めてみたいことでした。そしてこの地に立って政治イデオロギーのアホらしさを笑ってみたく思ったことです。つまりは過去の私自身のアホらしさを、静かに笑ってみたく思ったわけです。
 かつて私が台湾に留学した頃、世界は自由主義陣営と共産主義陣営に分かれた冷戦構造の真只中で、台湾海峡を挟んで、台湾へ逃れた国民党政府は「大陸反攻」をスローガンにし、やがて大陸を奪回する事を悲願にしていました。一方、共産中国は毛沢東万歳をスローガンに「台湾解放」を悲願にしていました。その最前線が金門島とアモイ島でして、双方が偶数日と奇襲日に分けて大砲を打ち合っていました。私もそうした冷戦時代の中で育ち翻弄されてきたわけです。
 私は20年ほど前、まだ緊張感が残る金門島を視察してアモイを眺めたことがあります。そしていつの日か向こう岸から金門島を望んでみたいと思っていました。
 アモイの日航ホテル19階から、真下に国際展示会場が見え、その向こうの海上に金門島が遠望できました。金門島は意外に近く何時でも攻略できる位置にあり、小金門は船で25分という近さに驚いてしまった。小金門島にある白看板のスローガンが裸眼でも見える近さでした。
 いつの世も平和時には経済が政治を優先し、経済活動が闊歩し政治がそれに追いついて行けないようです。アモイでも経済活動が前面に出てすでの臨戦の緊張感はなく、今や金門島を射程にした大砲台は観光名所になっています。
 台湾から資本が進出し、アモイと台湾間に民間の直行便が飛び船便も就航しています。ともに福建語(台湾語)と北京語が交わい、アモイ・台湾経済圏を形成しています。
 それでも政治的建前として、こちら岸アモイでは「一国両制統一中国」の大きな標語を掲げ、あちら岸の小金門では、国父孫文の思想で国民党政府の国是である、民主・民権・民生の「三民主義統一中国」を掲げて対峙しています。両岸がこの原則さえ掲げていれば経済交流はどうぞご自由にというところなのでしょう。建前と本音を巧みに使い分けるのは、この民族の得意技です。
 まさに経済発展が政治イデオロギーの遅れを嘲笑っているかの様です。アモイの海岸でそれを眺めている私も嘲笑われているかの様でした。私は「豊かさとはいいものだ」と苦笑するしか術がありませんでした。
 それにしても双方が金門島の一線を残した民族の智慧に感心します。けしてあなどれないもので、またいつの日にかこの看板スローガンが実をおびて蘇ってくることと思う。広大な中国はこれまでも「一国多制」で、統一された歴史はありません。そしてこの多様制がこの国を豊かにもしているわけで、これがまた中国でもあります。

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このページは、三休が2012年3月 3日 02:58に書いた記事です。

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