満州族

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IMG_0384.jpeg 瀋陽には1931年9月18日に日中戦争の発端となった柳条湖事件(満州事変)があり、中国人にとって屈辱の日となっています。いつ頃から始まったのか瀋陽では毎年9月18日、夜9時18分にすべての交通機関を停止させ3分間警笛を鳴らしています。「リメンバー9.18」といったところなのでしょう。
 しかし、瀋陽は中国人(漢民族)にとってもう一つの屈辱の地であってしかるべきかと思う。満州族が瀋陽を拠点に勃興し、太祖ヌルハチが満州女真族を統一してこの地に清王朝の基礎を築き、17世紀に第三代皇帝が北京に遷都し大清王朝を打ち立て、300余年に渡り漢民族を統治しました。
 満州族は征服王朝でありながら中国を統治することでやがて漢民族に同化してゆき、満州民族のツングース文化のアイデンディティーを喪失し、中国文化に吸収されてしまいました。
 中国史をみてゆくと征服王朝が滅ぶと王朝の故郷である土地は中国の領土になって行くことを繰り返しています。かってモンゴル族が中原に来て元王朝を打ち立てたおかげで中国の領土はモンゴルまで膨張しました。それでもモンゴル族は少数民族として残りましたが、満州女真族は漢民族と同化して少数民族ですらなく消散し、東北の地は漢民族の領土となりました。満州族は東北の小さな地域に住んでいるようですが、今ではチャイナ服と、足の小指の一枚爪にその痕跡を残しているくらいです。

 もし大和民族が中国を統治していれば、おそらく元、清、征服王朝と同じ運命をたどったかも知れれません。
他山の石としたいものです。私が中国とは「保持距離、以策安全」とするところです。幸い日本は高い代償を払って日本列島に帰還しました。
 地政学的に中国は大陸国家としてユーラシア大陸に留まり、日本は海洋国家として海洋に向い、お互いが己の分を知るべきであり、「日出ずる国」と「日没する国」との境界線が尖閣諸島となります。大和民族はこの生命線を毅然と確保して行くべきだと考えています。

IMG_0381.jpeg(上の写真は太祖ヌルハチが政務を行った瀋陽故宮の大清門と記した満州語。下の写真は清王朝貴族が毎朝北京から東方の故郷に向かって合掌したという「紫気(紫禁故宮)は東から来る」)

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このページは、三休が2012年11月 3日 20:15に書いた記事です。

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