2013年9月アーカイブ

気力

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IMG_1114.jpeg          (常若のお伊勢さん)
 8月に参議院選挙で当選した友人が、ニューヨークに凱旋し創作寿司を食べながら一時を楽しみました。
有朋自遠方来、不亦楽乎」です。
 あらためて当選祝いの挨拶をし「あの猛暑のなか3週間の激しい選挙戦は命がけの体力でしたね」と言いましたら、彼は「いや、体力でなく気力です。選挙中は疲れを感じませんでした。気力がなければ周りの人もついてきません。首相をはじめ政治家はみな気力でやっていますよ」と、返ってきました。
 少々キザな表現になりますが、彼は激しい選挙戦を通して「気力」を悟ったようでした。瞬時に私も「そうか、あれは気力だったのか」と悟ものがありました。
 私は2年ほど前から彼に選挙戦に備えた体力づくりを勧めてきましたが、それは私の至らぬミスリードでして「体力」でなく「気力」の養気を勧めるべきでした。不覚にも総ての大元は気であることを失念していました。気力と体力はつながっているが、気力が川上で体力は川下でした。
 彼の選挙戦の応援にかけつけた政治家を見ると、みな元気はつらつと活き活きしていました。いったい彼らのギラギラした活力はどこから来てるのかと考えていましたが、どうやら「気力」から来ていたようです。気力があれば体力は付随してくるが、体力があっても気力がなければ役に立つものでもない。
 
宇宙には生成化育の先天の一気(エネルギー)が遍満存在していて、その気エネルギーが心と肉体の主宰者であり、政治家はその気力を取り入れているようでした。そして彼らの気力が萎えて気枯れ(ケガレ)した時に、選挙民の洗礼(禊ぎ)を受けるわけです。
 彼に次回選挙への意欲を聞きましたら、「まず6年間一生懸命にやった後での気力によります」とのことでした。初めに気力ありき「元気」とはよく言ったものです。気が抜けたらお釈迦です。


 今日で9月も終ります。いよいよ10月2日は伊勢神宮の式年遷宮の常若(とこわか)の儀となります。9月の参拝客は900万人と過去最高を記録しました。日本も式年遷宮で元気の甦りをしています。
 10月もよい月にしてゆきましょう。

中秋の太陽

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IMG_1299.jpeg 中秋の名月はまんまるで美しいですが、実は翌夜が満月のようです。満月になれば後は欠けるだけですからなに事も完全過ぎるのを好まず未完の満月を中秋の名月としたのは、東洋の慧智かと思います。
 読書の秋で田辺聖子女史の「ひねくれ一茶」を読んで私も「ひねくれ三休」になったのか、なんで「中秋の名月」だけで「中秋の太陽」と称さないのかと考えてしまった。なんか不公平です。今日は雲ひとつない青空、気温16度という清々しい秋晴れです。こういう天気を英語では「ゴージャス(Gorgeous)」と言いますが、まさに中秋の太陽です。
 こうして世の中を逆さにして見るのも面白いもので、先日は機上から雲を見下ろすと、雲の上に船が浮かんでました(写真)。小学生低学年の時に映画教室で「ノンちゃん雲に乗る」を見ました。ストーリーは全く記憶にないのですが、不思議とこのタイトルだけが頭の隅に貼りついていて、機上から雲を見下ろすたびに思い出します。幼児期の刷り込みはすごいものでして、私の飛行機好きはあながち「ノンちゃん」辺りから発しているのかなと思っています。
 さらに中秋の読書、ひねくれ百田尚樹の著書「夢を売る男」を痛快に読了。まるで自分がモデルにされて、コケにされ馬鹿にされたかのようで、片腹が痛く抱腹絶倒しながら読みました。私がコケにされ阿呆あつかいされているだけでなく、百田氏本人も自虐して書いているのですから面白くて許せます。それに最後の落ちだけはホロリとさせられ救われもします。しかし、出版業者、小説家やブロガーを、ここまでコケにして書かれると、トホホで立つ瀬がなく変に納得です。いぁ〜実に天晴れな中秋の迷著です。こんな悪書は人にはお薦めできません。「はだしのゲン」同様に焚書坑儒です。どうぞ読まないでください。

中秋節快楽!(台北夜市)

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psb-2.jpeg 今日は中秋節、まんまるお月さんがとても綺麗です。今夜は名月を眺めながら台北夜市の話しとなります。

 先日ひさしぶりに台北に3泊し、有名所の夜市で「台湾小吃」を食べ歩きました。初日は台北郊外の士林夜市、2日目は龍山寺近くの華西夜市、最後の晩は台北駅裏の寧夏夜市の屋台でハシゴの暴食でした。
 余談になりますが今回ふと気がついたのは、かっては夜市の近くに赤線(紅灯街)があったことです。2001年に廃止となりましたが両者は切り離せない関係だったのかも。風流のあと夜市でちょっと一杯なんぞは落語の世界ですが、惜しい事をしました(>_<)
0ae089236dd7e494_S2.jpg さて先ず食べ始めは「大腸包小腸」細いソーセージとキュウリ、ザーザイ、干し大根を、餅米を詰めたソーセージにホッドドックのように挟み丸かじりです(上の写真)。ついで「阿仔煎」カキ入りオムレツ、隣の屋台で私の大好物「阿仔麺線」カキ入り煮込みソーメンを二碗、おなじみの「臭豆腐」を二皿、「魯肉飯」煮込みそぼろ肉を乗せたご飯、デザートに「豆花」の湯葉。
 私いつもはカキを食べずに残すのですが、今回は久しぶりということで少々ガサツイて食べたもので麺線と一緒に数個のカキを呑み込んでしまいました。さらに不愉快そうな顔をした屋台の老板娘(おばさん)から、かき氷に入った「緑豆湯」を食べはじめました。この時に嫌な予感がして半分以上残しましたが、翌日「果真如此」(やはり)お腹をひどく壊してしまい、カキに当たったのか赤い発疹がでてしまった。
 それでも翌朝は美味しい果物、「豆奨(豆乳)と油条(細長揚げパン)」、「韮菜水煎包(ニラ饅頭)」、昼には滋味な「牛肉麺」、夜は「酸辣湯」と「鍋貼(焼き餃子)」に
「木瓜牛乳汁(パパイヤジュース)」、もう餓鬼のように台湾ずくしでした。
 まぁ、お腹を壊してもこれだけ食べれば「余は満足じゃ」、我に悔いなし「男子の本壊」でした。

  名月や 屋台めぐりて 夜もすがら (芭蕉から借用)

台北西門町

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psb-5.jpeg 台北の西門町は観光ガイドで日本の原宿と紹介されているが、それはどうかと思う。たしかに若者で賑わっているが、西門町やはり独自の雰囲気をもっている。
 40年ぶりに西門町に行ってきたが雰囲気は昔とそれほど変わっていなかった。つまらん事にユニクロの障害物ビルが中央に出店したため道筋がわからなくなってしまった。私が週末のたびに出かけた2軒の映画館はすでになく、西瓜の種を食べながらライブで聞いた「歌庁」も消えていた。見憶えのある日本料理店「美観園」(創業1964年)を見つけ、そこを起点に歩きたどると、私が留学生のころ常連だった「一条龍餃子館」がまだ健在で、看板に「50年老店」と書かれていた。その隣に西門町でとびきり有名な「阿宗麺線」が軒を並べていた(写真)。
 私は学生気分に立ち戻り飛び込むように「一条龍」に入り、いつも通り台湾ビールに湯で落花生とキャベツの漬け物のつまみから始めて、大好物の酸辣湯と鍋貼(写真)それに通心菜の油炒めを注文した。これが私のお決まりコース、これでもう満足。店内は古い感じがしたが、味は「四十年如一日」で変わっていなかった。
psb.jpeg 50年の老店というから年増の無愛想なウエイトレス(当時もこんなおばさんだった)に、「40年ぶりに来たが、やはり美味しい。お店はもう二代目に代わったのか」と聞くと、おばさんはうれしそうに相好を崩して「いやまだ同じ店主で91歳になる。たまに店に出て来るが、子供たちは誰も後を継がないのでこれからどうなるかわからない」とのことだった。
 継続も力でして変わらないということも得難いことですが、お客もお店と同じように年寄りが多く、若いお客は見られなかった。お店とともに客層も老いて行き、私もかっての私でなく、40年前の味を懐かしく噛みしめながらも、遮二無二に美味しく食べたあの頃の興奮は失せていました。
「変わらないために、変わり続ける」ことは「大変」なことだが、隣の「阿宗麺線」は若者たちの列で混み合っていて、「一条龍」の入口には「麺線の店内持ち込みお断り」と赤い貼り紙がしてあった。時はたたずむことなく流れ、この老舗の龍もやがて店主とともにファーストフードFC店に追われて西門町から消えて行くのだろうか。
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麗しのフォルモサ(台湾)

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IMG_1277.jpeg 18才の時に台湾を旅行し淡水神社跡地に行きました。草生す中にさびれ壊れた御神殿、鳥居の両先端が「円」の様に切り取られ、両脇の灯籠が崩れ落ちて円柱だけになっていました。「あぁ、日本はやはり戦争に敗れたのか」と、これが私にとり初めての敗戦体験でした。同時に神道は日本民族の範疇に留め、他民族に強制すべきものでないことが教訓になっていました。
 先日
9月3日から6日まで台北、台南に行ってきました。いま台湾では日本統治時代の建物の修復がちょっとしたブームとなっています。古くなった建物を壊して新しいビルに建てかえるのでなく、外観をそのまま温存し内装を新しくして文化施設やレストランやパブに利用しているのが目につきました。
 台北の原宿といわれている西門町に在った八角堂が、上の写真のように「西門虹楼」博物館になっていたり、台南に当時繁盛していた「林百貨店」は外観をそのまま保存して記念館になるようです。
 満州(東北)や韓国のように全てを取り壊し新しい近代ビルへ変貌して行く様を見せられて、一抹の寂しさ感じていた私にとり心暖まる思いがしました。
これからは政治力を強制するのでなく文化力の波及となっています。
 国がお金持ちなり人々が貧しくなった隣国もありますが、台湾は国がお金持ちになって人々が豊かになりました。中国を反面教師にし、日本の良いところを学び、台湾は心暖かく礼節のある良い国になりました。日本にとって台湾という隣国をもったことを感謝し、大切にして行かねばと思います。

 そんな台湾に9日から4日間、将来の首相候補と目される小泉進次郎自民党青年局長と同局所属の若手国会議員、地方議員計約100人を率いて訪問しました。馬英九総統や李登輝元総統らと相次いで会談し、日台関係の進展について語り合い、東日本大震災で台湾から受けた支援に対する謝意も伝えました。隣国となかなかここまで深い友情関係を築くのが難しい中で、台湾と
心と心のつながりを持つことができていることを確認し、インタビューで「日台は1ミリもぶれない関係」と言っていました。なんとも心強いかぎりでした。
 私は今も台湾に留学をし、李登輝教授という恩師にも恵まれ、この麗しのフォルモサを第三の故郷にしたことを誇りとしています。

2020東京!

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13.jpg 遅ればせながら「2020年東京オリンピック」招致決定のよろこびをブログに記しておきます。実に快心なニュースでした。
 9月
7日にニューヨークへ戻る機上で東京五輪決定のニュースを待ちわび、気をもみながら帰ってきました。帰宅するとちょうど東京とイスタンブールの決戦投票となっていましたので、これは行けるぞと思いましたら、じき「TOKYO 2020」と映しだされ、思わず歓声をあげてしまった。結果から見れば東京の圧勝でした。決定のニュースの後は、時差のためそのまま気持よく12時間の爆睡でした。
 今日になって後追いで東京オリンピック招致のプレゼンテーションをネットで拝見しましたが、実に統制のとれた素晴らしいショーでした。まさに日本の底力を披露するプレゼンでした。
 I learnt that what was important was what I had, not what I had lost.

(私にとって大切なのは、私がいま持っているものであって、失ったものではないということを学びました)、過去よりも未来の選択です。
 ここ20数年、バブル崩壊、政治の低迷、経済のデフレ、東日本大震災と、あまりに失ったものが多くて下向きがちだった日本国民の眼差しが7年先に向いたことはとてもうれしい限りですし、大きな意味を持ちました。
 これからの7年間に海洋国家日本が日本を実践し、本来の日本に取り戻すことで、21世紀も日本文化の世紀になるようです。2020いい響きです。

 
我々団塊の世代が鳩山由起夫や菅直人に象徴される低落でだらしなく何の文化貢献もせずにこのまま終わってしまうのかと虚しさを感じていましたが、どうやらこれで五輪招致のポスターような桜に彩られた花道ができたと安堵しました。有り難いことです。 
 「この国を来た時よりも美しく」、1964年に聖火を引き継ぎいだ我々の世代が、2020年に聖火を次の世代に渡すべく、もうひと仕事です。そして我々世代がやるべき課題であった戦後レジーム体制の終焉を携えて日本史の舞台から引退することになったようです。

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