日本が日本を実践へ

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IMG_0111.jpeg 日本に歴史的な節目やイベントがある時には、できるだけ帰国してその瞬間時の呼吸を共有するように心がけています。今回もその様にして「あの時あなたはどこに」の予定を組んでみました。
 6月21日午後1時、成田空港からふる里の富岡小学校の体育館に直行し、大きな電光掲示版の前でカタールから送られて来る、富岡製糸場世界遺産登録決定のニュースを待ち望み、午後4時55分に決定の木槌が打ち鳴り一斉に万歳三唱でした(読売新聞の社会面に日の丸の扇子で万歳している私の姿もちょっぴり)。6時から小雨のなか六千人の市民ともに富岡製糸場まで祝賀パレードし、そこでまた万歳三唱。
私は駅前組(上の写真)として参列し48年ぶりに富岡一市民を楽しみました。子供連れが多く母親が歩きながら小さな娘に「この日をよく憶えておくのよ。そしてあんたがおばあちゃんになった時に話してあげるのよ」と市民が歴史的イベントに酔いしれていたのが印象的でした。
 25日早朝5時、W杯、日本vsコロンビア戦をホテルで観戦。99%リーグ戦敗退とわかっていながらも劇的な1%の奇跡を願っての応援でした。日本が1対とまずまず善戦していた場面で、フィリピン往きフライトの時間がきてしまい、慌てて京成スカイライナーに飛び乗りました。成田のJALカウンターでその後の結果を聞きましたら、日本チームは総崩れして1対4の敗退でした(観戦してなくてよかったーー#)。歴然とした力量の差、またしてもメディアが作り上げてきたヒーローの虚像は、世界レベルのド厚い壁に歯もたたなかった。ローカルな小山の大将を露呈。ともあれ彼らの4年間の奮闘努力、誠にお疲れ様でした。
 7月1日正午、上海から成田に向かう機上で、集団的自衛権行使容認が閣議決定の歴史的なニュースでした。日本が本来の日本を実現して、自国のアイデンティティを世界史のなかで実践する節目を迎えました。
 早速、この日を希い願ってきた恩師の御霊に花を贈り、報告をすませて成田を後にしました。
 今回は実にタイミングのよい充実した日本出張でした。

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このページは、三休が2014年7月 3日 23:05に書いた記事です。

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