2014年8月アーカイブ

フォーとコーヒー

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Pho1.JG.JPG 今回アンコールワットへ行く直行便がないため、往き帰りにハノイで各1泊しました。空港から市内ホテルまで車で約50分、カラオケ店とマッサージ店がやたらと目につく街並でした。民族的に中華系の人が多く中国から越南(ベトナム)したことが一目瞭然でした。カンボジア人とは一線を画した顔をしていまして、両国の国境線は民族の違いで自然に引かれたことがよくわかります。ちなみに両者は犬猿の仲のようで、いずこも隣国とは仲が悪いようです。まぁこれも民族の同化融合を避ける防衛本能なのかと思います。
 ハノイは市内観光だけにし、後はフォー(Pho)とコーヒーを楽しみました。フォーは私の好物で当地でも月に2回ほど食べています。鶏や牛を出汁にしたピリ辛のあっさりスープに、平打ち米粉麺(ライスヌードル)を入れ、スライスした牛肉とネギをのせ、そこにライムを搾りトッピングに新鮮なモヤシと香菜を入れて一丁あがりです。長旅で疲れた胃にほどよく、夜食を含めて7回の食事すべてフォー三昧でした。本場の麺はやはりひと味違いました。
その勢いで当地に戻りすでに2度のフォーとなっています。
Cafe.JPG一方、フランス・カフェ仕込みのベトナム・コーヒーですが、なかなかのものです。ロブスタ種コーヒーなので苦みがきついためか日本であまりポピュラーでありませんが、ベトナムはブラジルに次いで世界第2位のコーヒー生産国なのです。確かにコーヒーは苦いですが、クリーマーと砂糖で3in1(Three in one) のインスタント・コーヒーにしますと香りもよく、ほろ苦くまろやかな味になり、スナックの時や、ほっと一息ついた時一服の代わりにお薦めです(こだわりのコーヒー通にはどうかな、、、)。
 実はこの3in1インスタントコーヒーを、中国の珠海工場で接客用にだしてまして好評となっています。今回は自分用として6箱買い込んできました。
今週末はこのコーヒーを飲みながら早秋の9月を迎えることにします。
 みなさんもよい月をお迎えください。

アンコールにお応えし雑記

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IMG_3504.jpeg アンコールワット第3回廊の壁面の女神、世界遺産の豊穣の部分が手あかで黒ずんでいます。参拝者が触りたくなってしまう気持ちがよくわかるな〜、、男冥利、私くしめも思わずハイタッチ(^^;


 IMG_3456.jpegタ・プロームで恐竜ガジュマル君が立ちション、、これはいただけませんネ、罰が当たります。
 でも、壁面の女神に絡まるのは理解できます。

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IMG_3530.jpeg シェムリアップ市内で有名寺院の庭、ここにも笹川良一氏が寄贈した「世界人類が平和でありますように」の杭が建てられていました。

「世界平和の基礎づくりは、まず貧困をなくし、飢餓を解決し、その上で民族・宗教問題におけるテロを根絶することにある。口先で平和を唱えているだけでは、世界平和の基礎はできあがらない」。笹川氏はほんと偉いですね、心から敬服します。

 

東南アジア最大のトンレサップ湖の朝焼け。IMG_3513.jpeg

乾季には水深1メートルのほどで、雨季になると10メートルに達し、首都プノンペンを経由してベトナムのメコン川へ流れています。
世界最大規模の100万人が水上生活で暮らし、大半がベトナムから難民として逃れそのまま定住したベトナム人。
豊富な淡水魚が獲れてカンボジア人のタンパク質摂取の60%を占めています。しかし、高級鮮魚は輸出にまわされ、彼らは冷蔵庫もなくたっぷりと塩漬された魚を食べていることから塩分の摂り過ぎにより短命の要因になっています。

 それでも今日もアジアの朝焼けとなります。次回は東南アジア経済の夜明けを書いてゆきたく思います。          (アンコールトム)

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逝きし世の面影

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IMG_3518.jpeg                       (シェムリアップの市場)

  
「猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに」(芭蕉)

 今回持ち帰ってきた著書の中から、
先ず大連育ちの異邦人こと渡辺京二口述「無名の人生」(文藝春秋)から読みはじめました。私の愛蔵書「逝きし世の面影」(葦書房)の著者です。外国人が江戸末期から明治初期に日本にやって来て、「素朴で絵のような美しい国」、「日本人は幸せな民族だ」とつぶやいた、この暖かい眼鏡を借用してカンボジアを見て行くとまた違った世の面影が見えてきます。
 経済基準のGDP、所得水準、識字率、平均寿命等、近代文明の物差しで計量すればカンボジアは最貧国になります。近代化に失敗した国、後発開発途上でこれからの国です。是非とも豊かで健康な国造りを希望したいものです。IMG_3516.jpeg
 こうした私たちの文明基準で見ますとカンボジアは浮かばれませんが、暖かい眼鏡で当地の文化社会を観て行きますと、彼らは貧しい環境のなかでも、人それぞれが置かれた場所で一生を懸命にして生きて活き抜いています。
 国教である上座部仏教を信仰し、お寺で祈りを捧げ、殺生を戒め、和を大切にし、挨拶も互いの仏心に合掌しています。若者は38度の炎天下に最近流行りだしたバレーボールを楽しみ、子供たちは公園で元気に遊んでいます。自分たちの置かれたところが世界の中心であり、そこで人々と交わり、子沢山の家庭を築き、雨季があり、乾季があり、それに合わせて田畑を耕し収穫し、1日を得て1日を過ごし1年を終え、50歳半ばで輪廻転生して逝きます。何が幸福で何が不幸なのかも問うことなく、より豊かさを求めながら生きています。まさに沈黙の「無名の人生」ですが、そんなことは意識もせずに宿命のなかで生活しています。IMG_3525.jpeg
 漂泊の旅人、芭蕉は「野ざらし紀行」の富士川で、捨て子をみつけても助けることもできず、「唯これ天にして汝が性(宿命)のつたなきを泣け」と、一句と食物を与えて通り過ぎています。
 
ポルポトはこの性(さが)に耐えきれずに破壊へと暴走して行きました。
 
私には宿命に忍従する生命の実相として、良寛の「丁度よい」が耳心に響いてきました。
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お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい
地獄へいこうと極楽へいこうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない

死ぬ日月さえも丁度よい
お前それは丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずはない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏    (藤場美津路・作)

天空の城 タ・プローム

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IMG_3475.jpegIMG_3467.jpeg アンコール遺跡群で最も印象的だったのはタ・プローム遺跡でした。
 12世紀にアンコール王朝が仏教寺院として建てられ後に、それを土台にヒンドゥー寺院に改修された遺跡です。14世紀後半に王朝が陥落とともに熱帯密林の中に放置され忘れ去られ、400年後にフランスの宣教師が密林の中で崩れ荒れ果てた遺跡を発見することになりました。遺跡はガジュマル樹が破壊を護るかのように絡みつき一体となった神秘的な様相を呈していました。

IMG_3473.jpeg 私はこの自然の驚異にどこか見覚えがあると思いましたら、ガイドさんの説明で「天空の城ラピュタ」のモデルになったということでした。もしそうでしたら、この神秘的な様相を見て「天空の城ラピュタ」を着想する宮崎駿氏はやはり天才です。
 アンコール王朝の多くの遺跡群のなかで、このタ・ブロームは遺跡とならずカジュマル樹の根気が護蛇の如くに絡まりついて大生命の神秘さを今日に伝えていました。カジュマルの語源は沖縄で「絡まる」「風を守る」からきていると言いますが、まさに遺跡に絡まりついて風化から護ってました。私はこの宇宙大生命の躍動に大きな感動を覚えました。
 遺跡は現在インド政府の支援で修復作業が進められていますが、その過程で一つの躊躇いがでてきました。遺跡に絡まる巨木の根気は、果たして遺跡を破壊させているのか、それとも精霊の木として支えているのかということです。ヒンドゥー教三大神の
シヴァ神は、宇宙の寿命が尽きた時に世界を破壊させて再生を司る神とされています。私はクメール(カンボジア)王国の再生と重ね合わせシヴァ神の働きとして後者を選択しています。この遺跡はこのまま大自然の采配に任せれば善いです。
 ポルポトのクメール・ルージュは、僧侶を殺戮し寺院を破壊しこの近辺にたくさんの地雷を埋めましたが、さすがに遺跡だけには手をつけませんでした。彼らの潜在意識が
遺跡に祀ったシヴァ神を恐れたのだと思います。そして、かろうじてこの国の再生へ一抹の光りが残りました。IMG_3461.jpeg

アンコールワット

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IMG_3495.jpeg 残暑お見舞い申し上げます。
 
 アンコールワットの旅から帰ってきました。

 案内してくれたガイドさんが、旅なれた私を見て「なぜこれまでカンボジアへ来られなかったのですか。地雷が恐かったのかな」と聞いてきました。かつてこの地域周辺にたくさんの地雷が埋められていました。今でも地雷を踏んでしまった死傷事故がニュースになっています。この地域で戦死したフリーランサーの一ノ瀬泰造著「地雷を踏んだらサヨウナラ」(講談社文庫)があり、とても他人事に思えません。
 しかし、私がこれまでカンボジアを敬遠してきたのは地雷ではなく、1975年〜79年のポルポト赤色クメール政権を描いた映画「キリング・フィールド(殺戮荒野)」が、影響していました。中国が支援したボルポトの原始共産主義に嫌悪感を抱いていたからです。ポルポト赤軍(85%が14歳以下)による殺戮は、文字の読める知識層の法律家、医師、教師、技術者をはじめメガネをかけた者にまで及び、通貨と法制度を廃止しこの国がもはや甦生できぬほどに壊滅させました。彼らの盲目的ヒステリカルな暴走はまさにアジア・ニヒリズムそのものでした。
 でも、もうそろそろアンコールワットへ行かないと石塔の上まで登れなくなるようなので出かけることにしました。アンコールワット(王朝の都)、アンコールトム(大きな都)の遺跡群は、世界遺産として十分な見応えがありました。仏教、ヒンドゥー教寺院の遺跡なので、南米のマチュピチュ遺跡やエジプトのピラミットより身近に感じ心に響いてくるものがありました。しかし所詮は遺跡観光でして信仰の対象でなく仏教国でありながら遺跡で祈る人は稀でした。同じ仏教国でも信仰が生活の中に生きているブータン王国との大きな違いです。IMG_3447.jpeg
 私の旅はいつも名所観光より、そこに生活している人たちの方により興味がひかれています。遺跡は半日もいれば飽きますが、人々の観察は飽きることがありません。市内から遺跡への道すがらに見た高床式住居の農村風景はアジアの貧困を映し出していました。
この国のGDPは1人当たり
年に1000ドルほどでして、人口の
半数以上が子沢山の貧困家庭で1日2ドル未満の生活をしています。電気も水道もなく特に水の問題が深刻のようでした。いまだに無学文盲が24%、平均寿命が56歳です。
 (写真は遺跡でペットボトルを回収する親子)

 ガイドさんは「新生カンボジアの歴史は2000年から始まりましたが、前途多難で大きな負債をかかえて自力で再生できずにいます。子供たちには殺戮の歴史は憎しみを植えつけるだけなので封印して教えていません」と言ってました。ポルポトの傷痕がトラウマになっています。私は当地でにわか哲学者になってしまい、この国の未来に想いをはせ、あれこれと考えてしまいました。その余波にゆれたまま整理がつかず関連書籍を購入して補習勉強に入りました。おいおいブログに書いて行こうかと考えています。

朝日よ、問答無用

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1635_5.jpeg 明日からアンコール・ワットの日の出を拝みに行く前に雑記を二題。

 ニューヨークの郊外からまた一つ日本の本屋さんが消えて行きます。日系スパーマーケットの並びに在った紀伊国屋書店が撤退し、その場所を三省堂書店が引き継いだのですが、先週末から全商品半額セールで店仕舞を始めました。この近く在った古本屋さんも数年前に撤退していますので、これで当地に本屋さんがなくなりまして、これから新たに進出する書店はないでしょう。

 私は週末に車で45分かけて日系スパーに買い出しに行く折に、書店に寄るのが一つの楽しみでしたが寂しくなります。ネットによる活字離れもあり、アマゾンに注文した方が、安くて早く届くので、日本書店の必要がなくなりました。まぁこれも時の流れです。

 さてさてついに朝日新聞が慰安婦強制連行の根拠とする「吉田証言」を、32年ぶりに虚偽報道だったと取り消しました。根拠のない「歴史詐欺」が実証されてから20年、朝日は雲隠れを決めこみ非を認めず、今になってあれは誤報でしたとは「狼藉もの下がりおれ!」です。この虚偽報道と中国のカビが生えた牛肉を売るのとどこが違うのか(どっちも腐ってて食ねエ)。「吉田証言」の虚偽報道で、日本と国民の尊厳がどれほど傷つけられ、海外から蔑まされたか計り知れない。戦前は戦争を煽り、戦後は反日の煽りです。私は昔から朝日新聞を読んでいませんが、日本はお人好しが多くこの新聞をわざわざお金払って購読し、そのお金で反日運動をやられているのですから、いゃはや実におめでたい。
 しかし、なんで今になって取り消したのか、これはけして発行部数が激減したからでありません。彼らは反省も謝罪もしていないし、定年まで虚偽を隠蔽したまま退職し、後ろ足で砂を蹴るようにして逃げ切れたからです。時効による無事引退で天下りし、どこかの大学の先生におさまっています。お国ためよりもすべが保身で記者してのプライドがありません。
三島由起夫氏が最も毛嫌い軽蔑した連中でして、学生運動の時からいつもデモ隊の4列目の男で(逮捕されるのは3列目まで)逃げるのが誰よりもはやく、なんの責任もとりませんでした。
 あれだけ日章旗に敏感な反日韓国が、朝日(チョウニチ)新聞の社旗だけにはクレームを付けなかったことがやっと納得です。今回の虚偽報道の取り消しのサインは、朝日社内の団塊世代の引退宣言でした。朝日から黄昏へ、彼らも最後の償いとして残照だけでもお国の為に照らしてみてはいかがなものか、、
 朝日こけても日はまた昇る。では、少々のご無沙汰です。

P.S.
紀伊国屋書店が同じ場所にまたやって来ます、YA.YA.YA!
そこに読者がいれば書店の使命か意地か、、いいことです

変わり行くアメリカ

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IMG_3012.jpeg アメリカで40年も同じような世俗生活を繰り返していると、少しずつ変わっている環境の変化に疎くなってしまいます。私は6年前オバマが大統領になった時にやっとアメリカが変化していることに気がつきました。気がついて周りを見渡せば大きく変色していました。
 大きな変化の要因は、過去40年間に人口が2億人から2006年に3億人を超えていました。さらに今後30年に急増すると予測されてます。この急増は移民によるもので、特に中南米系ヒスパニックとなっています。2020年代前半には、若い人の人口の過半数は非白人となり2042年頃には白人のプロテスタントが少数民族マイノリティーになります。
 
この変化は当然アメリカの政治や外交政策に大きな影響を及ぼしてきます。彼らの大半は内政福祉重視で日本と中国がどこにあるのかも知らないばかりか、日中間の違いもわかりません。日本はアメリカのこうした変化を見据えながら対米外交を進めて行くことが要請されています。
 どう変わり行くのかはアメリカ研究者にお任せですが、そうまんざらでもありません。ピスパニックの多くはカソリック教徒の聖母信仰であり、そのうえ南の太陽の光をたくさん浴びていますので、一般的に楽天的で明るくてやさしい人が多く、勤勉で生活はけして裕福でありませんが心は豊です。
 過日の事、アメリカンナイズされて壊れたら買い換える事しかしなくなった私が、枯れ死んだ胡蝶蘭を会社のゴミ箱に捨てました。そうしますと倉庫で働くドミニカ共和国から移民した女性が、それを持って飛んできて、私に「まだ生きているから植木鉢と土を買って来てください」との事でしたので、その様にしますと、彼女はよく世話をし翌シーズンに花を咲かせました(上の写真)。
 つい先日も会社の庭に枯れてしまったダリアのプラントを抜き取るようにメキシコから移民の庭師に伝えました。庭師は「抜かなくも茎の根っ子の部分をカットすれば、また来年には生えてくるかも知れない」と言ってきました。私も野暮なことを言ったもんです。しかも、ダリアはメキシコ原産の国花でした。たぶん来年には大きな花を咲かせることでしょう。
 私、イエロー・ヤンキーは、彼らから新しいアメリカの息吹を感じた次第です。

果たし得てない約束(3)

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41W5CjhDtEL._SL500_AA300_.jpeg また三島なのかいなと思いながら「憂国」を再読しました。
 三島小説を読み返す気力はとうの昔に失せているのですが、三島自身が「もし忙しい人が、三島の小説の中から一遍だけ、三島のよいところと悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一遍を読んでもらえばよい」と、言っていましたから、まぁこれもお付き合いです。
 それに昔「憂国」の映画を、飯田橋駅近くの名画座で同学と見た想い出がありました。彼はかなり猛者な感じでしたが、上映中の切腹シーンのところで、両手を口に覆ってグワ〜と吐き出してしまい、そのまま退席でした。私はこの映画に三島氏に潜む醜やかなファナティックを覗いたようで、嫌な予感がしました。
 さて、それはさておき三島氏が言われた、「果たし得ていない約束」とは、占領下で制定された「日本国憲法の改正」と「集団的自衛権」に関わる安全保障の問題でした(三島のもう一つの顔は、平岡公威として学習院から東大法学部卒、高等文官試験に合格し大蔵省に所属した法に拘りを持つ経歴です)。
 国家憲法は自国の歴史と伝統文化を基盤にした基本法であるべきですが、現憲法は日本民族の精神や伝統文化をズタズタに切り裂いたものになっています。特に憲法の「前文」は、日本がどういう国であるべきなのか国家理念を謳うものですが、そうしたことに全く触れていません。
 それに、国家の主権についても「われらとわれらの子孫のために」としていますが、日本国民にとってこの国土における歴史は「われらとわれらの子孫」だけのものでありません。神話起源を含めれば少なくも、三千年の歴史が祖先代々から「われらとわれらの子孫」に受け継がれているわけです。
 「諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全を保持しよう」と、たとえ自由と民主主義と人権法が人類普遍の原理であったとしても、それが日本国民史とどう関わってくるのかという、われわれの切迫した問いかけに現憲法は曖昧なままで答えていません。
 なぜ「日本国民は、恒久の平和を念願する」のか、大東亜戦争に敗北したからなのか、それとも国民史の根深い要求によるものなのか、こうしたわれわれの切実な問いかけは、切れば赤い血が流れでるような日本国民史の命をかけた問いかけになっています。

 先ず、戦後レジームを超克する第一歩は、憲法「前文」の改正からとなります。「前文」にはかつて大和の理想であった「和を以て貴しとなす」を基調にし、「世界人類は地球上で大家族のごとく共存共栄できるように」とする、グローバル・デモクラシーの理念を掲げてゆくべきであります(三島氏と同齢の野島芳明遺作「日本文化の底力」を参照)。
 時代が天才・三島氏を後から追いかけたのか、やっと憲法改正と集団自衛権の行使の問題が、国会と国民の議題となって現実味を帯びてきました。戦時派がこれまで「果たし得ていない約束」を、
われわれ団塊の世代がライフワークとして果たして行く秋(時)となっています。
  秋を経て 蝶もなめるや 菊の露 (芭蕉)

果たし得てない約束(2)

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4167124033.jpeg 今年もまた鬱陶しい8月15日の終戦の日がやってきます。 
「文化防衛論」についで「若きサムライのために」(文春文庫)を再読しました。前書に比べるとそれほどインパクトはありませんが、この著書は昭和44年7月「日本教文社」から単行本として発行したエッセーと対談集を文庫にしたもので、三島由起夫自決の1年前の作品です。

 私が21歳の時に「日本教文社」の本を初めて購入したのでよく記憶していました。たぶんこの記憶が24年後に、私が恩師と共著で当社から「文明の大潮流」と「超古代巨石文明と太陽信仰」を上程する伏線になったかと思います。
 それに今回再読して初めて気がついたのですが、三島氏が言う、もし日本に共産革命などの一大事があれば「私は一人でも日本刀を持って駆け出すつもりです。その時には、たとえ相手を一人か二人しかぶった切れなくても、私は日本刀を持って駆け出します」というくだりを、私は完全に無断借用していました(このパクリに忸怩たる思いです)。
 しかし三島氏が言いだす前、1945年8月の終戦前夜、日本刀は持ち出していませんが、その様な行動をした人がいました。天皇陛下をお守りする為に単独で皇居に入りました。「今この戦争を止められるのは天皇陛下しかおられない」との認識でした。私の人生の師・中村天風です。私は三島論でなくこちらの影響と思っていました。
この事件を「日本で一番長い日」と題して、マイルストーン・エッセー(2011年6月)に記しておきました。ご参考まで。
 http://www.tempu-online.com/essay/2011/06/

  いざよいの いづれか今朝の 残る菊 (芭蕉)
 今時に日本刀など時代錯誤もはなはだしいですが、せめて日本のサムライとして、心に刀を佩びたいものです。「菊と刀」
文化を守る為の刀です。「心に刀を佩び」我々団塊の世代がやり残し未だ「果たし得ていない約束」、戦後レジームと自虐史観の超克の為にもうひと仕事です。人は生まれながらにしてサムライになるのでなく、心に刀に佩ぶることでサムライとなって行くものです
  いざ行かむ 雪見にころぶ ところまで (芭蕉)

果たし得てない約束(1)

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414ZRM9556L._SL500_AA300_.jpg 三島由紀夫著「文化防衛論」(ちくま文庫)を再読したが、やはり難解でした。どうしてこう難しく書くのだろう。私が二十歳の時にどれだけこれを理解できたのか心もとなくなりました。ただ同書に収録されている三大学における学生運動家たちとのティーチ・インは、当時でもよく理解できました。特に、この文庫にも収録されている「果たし得ていない約束」の衝撃は、諳んじられるほど鮮明に記憶していて、私の人生を揺さぶり続けました。ここで三島氏は:
 「私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に憎んだものは、多少形を変えはしたが、今も相変わらずしぶとく生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルス(細菌)である。
 
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら」
 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラル(曖昧)な、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」(昭和45年7月7日産経新聞寄稿)
 かくして三島氏が日本文化に殉死してから45年になりました。
 当時されど我らが日々と残された団塊の世代は、青春が化石となり、髪を切り濃紺の背広にネクタイをしめて、「三島が鼻をつまみながら通り過ぎた」実社会の中堅となって活躍し、やがて第一線を退き定年を迎えました。よくまぁも頑張り抜いたものです。ご苦労さまでした。

 さて、団塊の世代にやっと時間の余裕ができたら、1970年に還り「いちご白書をもう一度」です。我々団塊の世代がまだやり残してきた「果たし得ていない約束」の為に、もうひと仕事です。
 社会的貢献を終えたら、今度は文化的責務です。これまでの豊富な経験を活かして、戦後レジームと自虐史観と己自身を超克し、本来の美しい日本を取り戻して、若い世代にバトンタッチするひと仕事です。
 お楽しみはこれからです。がんばりましょう。
   この道は 行く人なしに 秋の暮れ(芭蕉)

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