2014年9月アーカイブ

香港の光転

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HK2.jpeg 今年4月4日付けのブログ「霞む香港」で、環境汚染について書いたのですが、「公害」を「民主」に差し替えて読でみました;
民主制度で育った香港の人にとってこの程度の汚れはまだ許容範囲なのかも知れませんが、いまだに公害運動もせずにおとなしくしているのか理解に苦しみます。やがてこれが『ピーク』になれば公害(民主)運動が始まるかと思います。中国の近代史を見ますと改革改善は常に南方から始まり北上して制度化しています。ここは香港人のプライドに期待したいところです」。
 1997年に香港が中国に返還される際、「一国二制度」の基本法で50年間は外交と軍事以外は現政治体制の維持を確約していましたが、まだ20年たたずここにきて確約が怪しくなってきました。
 先日22日に香港の学生たちが、2017年の香港次期行政長官選挙に向けて、「一般有権者による立候補制度」と「一般有権者の直接投票による長官選出」という、普通選挙制度の民主化を求め、隠れ共産党員とされる現行政長官ら政府高官の辞任を迫り、授業ボイコットをはじめ、20校以上の約1万人が参加しました。学生のリーダーは演説で「授業ボイコットは反撃の第一歩だ」と強調し、民主化実現まで徹底抗戦すると激を飛ばしました。
 28日には民主派団体が「行政長官選挙の民主化」を求めて、香港の中枢に在る国際金融センターを占拠する街頭行動の開始し、学生や民主派団体ら約7万人がデモに参加し、香港政府庁前の大通りを遮断し交通がマヒ状態になったようです。警察は催涙弾を撃ち込み強制排除をはかり26人が負傷しました。香港の抗議活動の鎮圧に催涙弾が使われたのは極めて稀でして、それほど民主化運動が盛り上がりを見せています。10月1日の国慶節には同地区で座り込デモをやるとしています。
 私はこの香港の動きに注目しています。近代中国革命は「太平天国」「辛亥革命」しかり、常に南方から火の手が上がりました。今回は中国政府の確約破棄という非があるので、早い段階に譲歩しなければ(譲歩しないと思うが)、香港民主化運動は隣接する広東省に連動して行くかと憶測しています。
 さて、10月はそんな香港の雰囲気を見に出かけてきます。おかげで出張が台湾、香港だけになり、またして日本は成田経由のフライト・スルーになってしまいました。6月から三連続で日本をスルーしますとさすがに温泉が恋しくなってきました。
 当地に戻るとすぐにスイスに飛びますので、10月はほぼ旅の秋空です。
みなさんもよい月をお過ごしください。

  昨日から ちょっちょっと秋も 時雨かな (芭蕉)

季節の変わり目

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Park9.jpeg    季節の変わり目を「朝日」の心で知るなんて
        もう嘘も もう嘘も 終わるのね〜♪ (秋冬)

 当地の季節の変わり目は、ベースボールシーズンからアメリカンフットボールシーズンの切り替えで知る感じです。今年の日本の変わり目は朝日新聞の捏造雲隠れでした。日本もこれから変わって行くでしょう。今日は安倍首相がニューヨークの国連にやってきます。首相も還暦を迎え戦後の体制から「日本を取り戻す」ために命がけでやっておられるようです。日本も幸いなことに半世紀ぶりに命をかけた信念の政治家がでました。
 今週末は久しぶりに公園を散歩しました
ら、
雑木林は鳥のさえずりからすっかり虫の音に変わっていました。西洋人には虫の音が雑音として聞こえるらしいですが、こういっせいに鳴かれると、私にも雑音に聞こえてきます。この国はなにごとも質より量ですが、やはり虫の音はチンチロチンチロチンチロリンの方がいいですね。
 公園内にはユニホーム姿で少年野球の試合、サッカーの試合、それを応援する家族や友人、その先に鹿の親子が3匹いて目を合わせず知らぬふりをして3メートル近くを通過、この国は実に豊です(たぶんこれからも)。散歩中にすれ違う人からほころぶ微笑み、こちらの人はほんと素敵なスマイルをします。心が豊かで幸せだから美しい微笑みがこぼれるのだろうが、時々うっとりしてしまう。当地のスマイルは「あなたに危害をくわえません」という、友好のシグナルだと言う人もいますが、けしてそれだけではなく心が豊かで幸せなのだと思います。心が豊かで幸せだから微笑むのか、微笑むから心が豊で幸せになるのか、たぶん相乗効果によるのでしょう。統計によると笑顔の人はストレスに強くより長寿の傾向とのことで、微笑みは周りの人50%に感染するようです。
 私も散歩しながらすれ違う人に自然に微笑みの挨拶がこぼれるでるよう心がけています。旦那(ダーナ)の和顔布施といったところです。

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クメール余波「砲声と宴」

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8.JPG 私がカンボジアを観光していた8月、中国の寄付で昨年建てられた陸軍病院の院長と副院長ら6人、中国人、ベトナム人3人が臓器の違法売買で逮捕されていました。中国が組織的に臓器収奪を謀ったようです。臓器は中国人の患者へ約350万円から400万円で密売され、提供したカンボジア人に約50万円が支払らわれていたとのことです。彼らにとり50万円は大金で約10年分の生活費になるわけで、これが貧困国の悲哀です。
 私はアンコールワットの帰りにシェムリアップ飛行場の売店で「殺戮荒野からの生還」コン・ボーン著(海賊版20ドル)を、購入して機上で読み進めたら「一ノ瀬泰造さんとの出会い」の章がありましたので、改めて一ノ瀬泰造著「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読んでみることにしました。すでに40年前の出来事で、何を今さらなのですが団塊世代の青春の化石としてブログに記しておくことにしました。
 一ノ瀬泰造(1947年生)戦場フォトジャーナリスト。いわば賞金稼ぎの国際素浪人としてベトナム戦争、カンボジア戦線を駆けずり回り1973年11月に26歳の若さで戦死しました。戦場カメラマンの最高の栄誉であるキャパ賞を獲得し国際的フォトグラファーになる夢を追い続け、命賭けでクメール・ルージュが占拠していたアンコールワット共産解放区へ単独で潜行したまま行方不明となり処刑されました。世界的に注目されていたアンコールワットを背景にクメール・ルージュを撮るという大スクープの野望に燃え、己の命を賭けて破れ散りました。ポルポト政権クメール・ルージュの狂気性を甘く目論んだ、若さ故の無謀な大博打でした。
 私が台湾に留学し山の中で共産党研究に没頭していた同時期に、彼はカンボジアとベトナムの戦場で悪戦苦闘しながら共産軍の被写体を追っていたのかと想うと不思議な感慨が胸に迫ってきます。
 著書の中の彼は、当初はいい加減な浪人カメラマンでしたが、だんだんカンボジアに引き込まれ成熟して行く姿が浮かんできます。彼は日記に「平和になったらこの国に住みたい」、
「カンボジアに悲劇は似合わない」、「大自然に順応する彼ら、こんな美しい夕焼けを毎日ながめられるカンボジアの人の眼は美しくなるはず」と、記するまでになりました。それに母から「泰ちゃんへ」の手紙も涙を誘います。
 一ノ瀬はアンコールワットの街シェムリアップでロックルー(先生)という得難いカンボジア未来に燃える好青年に出逢っています。彼はこの街でいつも一ノ瀬の側にいた親友でした。この本に「砲声と宴」として、1973年11月8日付けロックルーの結婚式の写真が3枚掲載されています。一ノ瀬は水たまりの田んぼのなかを新郎新婦が寄り添いながら歩く睦まじい生な姿に、「田舎教師に徹するという彼は、新婦と連れ添いなから未来を語りあう」と注を記してました(上下の写真)。
 一ノ瀬がアンコールワットに向かう数日前の写真です。私は彼の戦場の写真集のなかで、西洋写実絵画を彷彿させるこの写真が、最高の傑作と観ます。「カンボジアに悲劇は似合わない」とする一ノ瀬がほんらい撮りたかったであろうカンボジアの愛がここに写し出されています。彼が最期に辿り着いたカンボジアへの思いの遺作です。

 ただ著書の解説にロックルーのその後の消息が全く書かれていませんでした。恐らく知識人として殺戮されただろうと推理してみても気になりだして頭から離れなくなってしまい調べてみましたら、やはり一ノ瀬を追うようにして1975年クメール・ルージュに捕まり処刑され、彼の未来も抹殺されていました。新婦は生きのびクメール語の教師をしていたとのことです。
 8年後の1985年2月、両親によって一ノ瀬泰造の亡骸が確認され当地で葬儀を行い、遺骨の一部はアンコールワット境内のガジュマル樹の元に埋められました。       合掌
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ゼロが飛んで朝日を直撃

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 今週末は特にやることもなく、朝の運動をすませ朝食した後に昼まで二度寝でした。この爆睡があるから翌週も頑張れる。ランチは錦織圭選手の快挙にあやかり、ユニクロのパジャマのまま日清食品の「こんぶ天ぷらうどん」、これで私もインスタントに彼のスポンサー気分です(この軽薄便乗のところが私らしく素直でよろしい)。
 久しぶりに日清の即席麺、上ブタをはがすと下が湯切りブタになっていまして、この小さな工夫に大きく感動です。商品開発にたずさわる者にとり、小さな改善までにどれほどの心血を注いだかがわかり心を打つのです。たゆまぬ努力と前進さすが錦織選手のスポンサーです(こんな事に感動できるのも週末で暇だからかな)。
 さて、週末雑感「風が吹けば桶屋がもうかる」論ですが、朝日新聞の目を覆うばかりの凋落は社会現象として捉えて行く方がわかりやすい。私はこれを以前から「百田尚樹現象」と名付けいますが、彼個人ではなく著書「永遠のゼロ」が400万部近く刷られた現象です。彼がNHK経営委員になり、また朝日新聞を熾烈に批判するのは、戦後のパラダイムがシフトされる時になったと捉えています。朝日新聞に宿敵のように叩かれた安倍晋三氏が首相に還り咲いたのも同列現象です。もうこの流れは止まらないでしょう。
 戦中派の政治指導者でなく、戦後に育った60年安保「されど我らが日々」の世代のリーダー、小沢一郎、小泉一郎、加藤紘一、河野洋平、細川護煕、民主党の面々それに朝日新聞の論客など軒並み戦後体制に毒されていて信用できませんでした。ついで70年安保の団塊の世代が、彼らを越えて戦後体制から脱却して行くことを期待したが、この世代も「されどまた我らが日々」で、戦後体制のかなで去勢され塩漬けされた青菜のようで、気がつけば自分らこそ戦後体制の体現者そのもので、脱却されるべき対象になっていました。
民主党の低落から打倒すべきものが我々自身であった事実に気ずかされた時には大きな衝撃でした。
 こうした戦後のパラダイムがシフトして行く時、朝日新聞が直面している問題は団塊世代の問題でもありました。古い観念を捨てさり
自己を改造し新しいパラダイムに移行することは大変困難がともなう作業ですが、これが団塊世代に残された最後の良心的な責務になったようです。
 戦後70年、日本はここにきてやっと世界をリードする新しいパラダイムの構築が始まりました。さぁ団塊世代もう一仕事です。

朝日新聞はもうヨシダ

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 私の中国の友人に文化大革命から生き残った画家がいます。彼は反動知識人として農村に下放され、妻は瞬時に白髪となりました。その彼に「あなたはなぜ文革を生き抜けたのですか」と聞いたことがあります。彼は「人の足を引っ張った人や、密告した人は、みな人から足を引っ張られ、密告されて消えて逝きました。私はそれをしなかったからです」と答えました。私はそれ以来、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で、彼の言葉を人生の教訓としています。
 さて、朝日新聞にとり「吉田」は鬼門のようです。今日になってやっと木村社長ら役員が謝罪会見しました(不本意ながら謝罪まで追い込まれた)。「吉田調書」の「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」との記事を、誤報と認め取り消しを発表。命をがけで存亡の危機と戦った人たちの尊厳を冒涜した記事でした。また
、従軍慰安婦問題報道で謝罪しなかったことも「謙虚であるべきだった。反省している」と発表。これも日本国民の尊厳をいちじるしく冒涜したものです。こうした事は詰まるところ朝日の人間愛と国に対する愛の希薄性からきています。
 当然の謝罪会見でしたが、木村ご一行は貧乏くじを引いたものです。本来は後ろ足で砂をかけて逃げ去った団塊世代の朝日役員が謝罪すべきが筋です。安倍内閣打倒は「社是」とまで公言した元朝日新聞論説主幹の若宮敬文などその筆頭になります。彼はいま退職して韓国の東西大学教授、国立ソウル大学日本研究所研究員に天下っています(もう見え見え)。それに「強制従軍慰安婦」をねつ造した確信犯の植村隆、彼は早期退職で逃げた後に、北海道の北星学園大学の講師となり、また名古屋の某大学の教授に招かれたが、さすがにこちらはキャンセルとなりました。こういうOB連中が謝罪すべきものです。私が人様に反省を強いる権利はありませんが、彼らの責務として自省を願いたいです。
 人間の意識とはすごいもので、朝日新聞の確信誤報の後に、「朝日(アサヒ)」と言えなくなり、無意識にも「朝日(チョウニチ)新聞」とよんでしまい「あれ日本にチョウニチ新聞ってあったけ」と思い、「あ、アサヒ新聞か」とよみ直しています。朝日は謝罪会見で抜本的な改革をすると言っていますので、信頼回復のために是非そう願いたい。根深い資質の問題ですが、事ここまで至ったら団塊世代のOBを一掃し、左右思想に偏りのない良識のあるリアリスト、例えば曾野綾子さんのような目線のしっかりした方を、社外役員に招くことから始まると思います。崖っ縁の朝日に実のある抜本的改革と再生を期待したいものです。 

芭蕉の中秋

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51MaTYw2cDL.jpeg      名月や 座に美しき 顔もなし (芭蕉)

 この句は芭蕉のおやじギャグで笑えます。芭蕉翁は月面にかぐや姫の面影を見たのだろうか。「川上と この川下や 月の友」、かつて芭蕉が川上で見た名月を、いま私も川下で見ていると思うと時空など失せてしまうものです。
 科学が月の表面からかぐや姫やウサギを追い出してしまったが、その科学が新たなおとぎ話を創りました。月周回衛星「かぐや」の観測によると、月の中心部は柔らかい状態で生きていて最大で10数センチほど伸び縮の呼吸をしているようです。どうりで満ちたり欠けたり、大きく見えたり小さく見えたりするわけだ(笑)
 月の満ち欠けを見ますと陰暦の歳時記がより私たちの生活サイクルに近い感じがします。今年は例年より少し早く、9月7日が「待宵月」、8日が「十五夜の中秋」、9日が「満月」となります。満月前の待宵と十五夜を愛でる日本の美意識に感心します。「完全ということは、すべての円熟と同じく、成長が限られているがゆえに、感銘がないのである(岡倉点心)」。
 中国や華僑社会で中秋節は春節(旧暦元旦)に次いで大切な祝日でして「月餅」のお中元シーズンになります。今年は中国の工場から初めてお中元が届き(食品には手をつけませんが)、もしや玉手箱の底に現金(紅包)が潜んでいるのではないかと勇んで開けてみてガッカリ、よけい白髪が増えてしまった。

 今年の中秋は折よく錦織圭選手のUS OPEN決勝戦と重なります。蚊に気をつけながら夜空を見上げ「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」まで楽しみましょう。今年は蚊に刺されると熱がでて鼻が高くなるのかと思ったら「テング」でなくて「デング」だった。まぁご用心あれですが、そうパニックにならなくても「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」、千里の好風一夜の蚊、涼しくなれば蚊も風とともに去りぬです。
 牛部屋でなく「公園に 蚊の声暗き 残暑かな」。
IMG_3603.jpeg                        (待宵月 9/7,10pm)


カンボジアの未来

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41t39it0ILL._SX425_.jpeg アマゾンに注文したカンボジアの関連書籍が届きましたが、どれもが後ろ向きの暗い内容なので読むのを止めにしました。時間を無駄したうえ気が滅入るだけです。過去をふりかえり現状を嘆いてみても最貧国から抜け出せるわけでありません。
  今回の旅はアンコールワット遺跡群の観光が目的でしたので、キリング・フィールドの慰霊塔には行きませんでした。観光コースに入ってましたが、気が進まず遠慮しました。
 ただ昨晩、鎮魂をかねて映画「キリング・フィールド」を観ることにしました。20年前の作品ですが、当時は見てもよく理解できなかった細部まで身に詰まされる臨場感で理解できました。ラストの再会シーンはジョン・レノンの「イマジン」が流れ鎮魂の映画になっていました。1984年の時点でこれほど内容のある映画を作製する英米人の度量と成熟度もさすがです。
 しかし、彼らがいつまでも後ろをふりかえり過去のドアを開ければ、そこにはシャレコウベの山ですが、新しい光で闇を照破させ未来のドアを叩けば、そこに未来世界が開らかれてくるものです。やはり前向きの
長谷川慶太郎著「大繁栄の親日アジア」の方が、明るく建設的で元気がでます。当地のガイドさんが「カンボジアの新しい歴史は2000年から始まりました」と言った気持ちがよくわかります。
 長谷川氏が登場しましたので、ここでもう一人ビジネス界で最も影響力のあった指南役 P. F.ドラッカーに登場を願い、カンボジアの再生、脱最貧国の指南を書いて、私のカンボジア紀行を終ることにします;

*過去よりも 未来を選び
 Pick up future as against the Past.
*問題よりも 機会に集点を合わせ
  Focus on opportunity rather than on a problem.
*弱さよりも 強さに集点を合わせ
  Focus on strengths rather than on weakness.
*分析よりも 勇気を
  Courage rather than analysis.
*誰が正しいかでなく 何が正しいか

  Not who is right. What is right.
*自ら方向性を決め、その目的の成果に集点を合わせ、? 
 優先順位を設定し、一時に一つの事柄に努力を集中させてやること。
  Focus own vision on contribution. On doing one things at a time, and doing "First things First" 
 
             (「経営者の条件」P.D.Drucker

facade.jpeg 私が宿泊した Shinta Mani Club(写真)からFace book 便りが来るようになりました。いつまた行くのかもわからぬ私が、クラブのメンバーになったようでして、私も再訪する気になっています。近く日本からも直行便が飛ぶそうですが、次回はバンコク経由にしたく思っています。その頃にはバンコクからシェムリアップまで高速道路バスで5時間ほどになっていることでしょう。そしてまたあの女神の豊穣にハイタッチしてきようと思っています(^^ 

   

大繁栄の親日アジア

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61lQjfOW33L.jpeg長谷川慶太郎著「大破局の『反日』アジア、大繁栄の『親日』アジア」(PHP)今日2014年9月1日発行を、アマゾンで予約し8月28日に読了しました。驚くべきアマゾンの迅速さです。
 私は長谷川氏の30数年来の大フアンでして講演も拝聴しています。肩書きは経済評論家ですが、国際政治、経済、軍事方面にも造詣が深く経済評論家の枠を越えています。長谷川氏の論調は、常に明るく、積極的で、竹を割ったように明解で実に男らしいです。多くの経済評論家は予測が外れた場合に備え逃げのアリバイを残しますが、長谷川氏はそうしたことせず明確に論断します。もちろん中には外れることもありますが、そうしたことに躊躇せず堂々と大上段に構えて次の予測に突き進みます。経営者にとりアリバイを残す評論家は信頼しませんが、論断する評論家の意見は参考にしています。私は長谷川氏にいつも励まされ元気をもらい、やる気にさせられてきました。今年87歳になりますが相変わらず元気な論調で、誠に貴重なお人です。
 さて本題ですが、長谷川氏は反日アジアから親日アジアへ大きく舵を切っていました。ASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミヤンマー、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアで人口約6億人(世界8位の経済規模)。さらにインド12億人、バングラデシュ約1億5千万人に日本の1億人を加えますと約20億人規模になり、中国、韓国、北朝鮮の合計14億人に比べてはるかに大きな市場になります。
 今日もインドのモディ首相が訪日していますが、ASEAN諸国のアンケートをみますと、「最も信頼できる国」として、日本が33%、アメリカ16%、イギリスが6%、中国5%、ロシア3%、韓国2%の順になっていますし、「将来の重要なパートナー」でも、日本が60%、中国が43%、アメリカが40%になっています。
 目下インドシナ半島に長大な高速道路が建設中で日本もそれに支援しています。東西ルートはベトナムからミヤンマーまで約2200キロ、南北ルートはラオスからシンガポールまで約3300キロになります。この高速道路が結ばれますと、AEAN地域の生活が向上し、経済と物流が大きく変わり発展してゆきます。
世界は広い、なにも無理して反日国で苦労するより、歓迎される国と一緒に楽しくやればいい。
 以上は私の「東洋の理想」と同一線上にあります。大東亜戦争以前にアジアに一つの独立国もなく、大東亜戦争以後にアジアに一つの植民地もなくなりました。日本は先の大戦の挫折と反省を踏まえ、各国の民主社会と、文化の多様性を尊重した新たな共存共栄の時を迎えています。
アジアの東雲から再び白光がさしそめました。
  「神のごと 遠く姿をあらわせる
           阿寒の山の 雪のあけぼの」(啄木)

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