2014年10月アーカイブ

LEDと和紙

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PM-316B-2T.jpg 今年はミケランジェロの没後450年にあたり新しい照明で祝いたいと、ローマ法王庁バチカンはミケランジェロの傑作「最後の審判」の壁画で知られるシスティーナ礼拝堂の照明設備を、発光ダイオードのLEDに切り代えたと公開しました。
 礼拝堂に約7000個のLEDが点灯すると、天井画や壁画の色彩が鮮やかに浮かび上がったといいます。熱を帯びないLED照明により16世紀に描かれたフレスコ画の保護が目的ですが、この新旧のコントラストを想い浮かべるだけでも素晴らしい。是非とも再訪したいものです。
 LEDは熱を帯びないことで省エネになり、超寿命ですから電球の取り換えが少なくメンテネンスでも経費節減になります。しかし、電球に熱を帯びないことでどうしても光が冷たく月光の感じになってしまいます。それに光の放射が直線になるので目を刺激してしまいます。LEDは日々改善しているとはいえこれが弱みでして、私たちも商品開発の時に頭を悩ませました。試行錯誤の後に私等は障子越しに入ってくる朝の光からヒントを得て、和紙を媒介することで、光を拡散させてやさしく和らげる工夫をして「禅ライト」の名称で市場に導入しました。「ZEN」とは奇をてらったネーミングでしたが、おかげさまで好評を得ています。
 先日のニュースで、
和紙とその手すき技術がユネスコの無形文化遺産に登録される見通しとなったとありました。和紙は西洋紙に対して、光線をはね返し柔らかい初雪の面のやうに、ふつくらと光線を吸ひ取る」ことが登録の理由になりました。
 私たちもLED
照明の商品開発から和紙を合流させたことを、密かに誇りとしたいところです。文化は生きていまして想像し創造して行くものようです。
 10月はLEDのノーベル賞受賞と和紙の無形文化遺産登録のよいニュースでした。11月もよい月にして行きましょう。

地球をすみかとす

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IMG_1868.jpeg 今日は私事になります。
 私の一人娘がやっとチューリヒのシティーホールで、スイス人と入籍をすませました。一つの節目でして親の責務もこれで一段落です。
 我々も入籍式に列席の予定でいましたが、やむを得ない急用のために行けなくなりまして、先方の両親だけの立ち会いとなりました。
 そうしますと先方の両親が2人に飛行機のチケットを用意し、24日午前10時に入籍をすまして、そのまま飛行場に直行し、同日午後5時にニューヨークに着陸し、翌日に当地でお披露目のパティーとなりました(2週間の準備時間でよくパティー会場が取れたものです)。そして27日にスイスへ戻って行きました。
 週末を使い24日にスイスからニューヨークへ、25日にニュージャジーで披露宴、27日午後8時にニューヨークを飛び立ち、28日の朝にはスイスへ戻りそのまま会社で仕事を再開です。なんともあわただしい「イジーカム・イジーゴー」なのですが、まぁこれも一つの親孝行なのでしょう。
 極楽トンボの親父が伝授した「地球をすみかとする」旅人教育が見事に開花しています。かつて私がやった寅さん方式をそのまま踏襲し、やはり「トンボの子はトンボ」いや「寅の子は寅」のようです。

 娘が3歳から27歳まで毎年見知らぬ国に連れて歩き、27歳からは世界中を旅しているフィアンセと旅を続け、彼女の予告通り30歳までに56カ国の旅をクリアしてからゴールインしました。旅は道ずれとはよく言ったもので、これからも2人で旅を続けるのだろう。
 月並みなはなむけだが、2人が幸せであればそれでいい。


 「トンボ釣り 今日はどこまで 行ったやら」(加賀千代女)

東洋への回帰

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51hnQbOnMFL.jpeg  最近出逢った言葉に「文明は腹の足しに、文化は心の足しに」とありまして、一言でうまい事をいうな〜と感心してしまった。
 司馬遼太郎氏は「文明はだれもが参加できる普遍的なもの、合理的なもの、機能的なものに対し、文化はむしろ不合理なもの、特定な集団(民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい」(アメリカ素描)と定義しています。
 今日は心の足しになる文化について書いてみたい。文化のことですので「東洋」とし、政治的用語の「アジア」と分けました。
 45年ぶりに岡倉天心著「東洋の理想」、「日本の目覚め」、「東洋の目覚め」、「茶の本」を、文庫本で集中して読み返してみました。
 学生時代ある研究所のゼミナールで、同学とこれらの著書を教材に輪読した後、恩師が解釈してくれたのですが、ほとんど憶えていませんでした。学生が輪読していたある箇所にくると、恩師が感極まって嗚咽したことがありました。私がまったく何も感じない文章に恩師が感極まるとは、己の詩情なき鈍感さに大きな衝撃を受けて3日間の断食をした事をよく憶えていました。
 当時この東洋文化・美術論の名著をどれだけ理解できたのか、はなはだ心細いかぎりです。それでも「アジアは一つである」、「多様性の中に統一を求める」、「偉大なる芸術とは、その前でわれわれが死にたいと願うところのものである」、「西洋の栄光は東洋の屈辱である!」、「東洋の内からの勝利か、それとも外からの強大な死か」、「いざ、東洋の精神に還れ!」という、煽動的な文章が鮮明に甦ってきました。
 本書は西洋と東洋文化の悔悟を天意とみなし、日本文化のルネサンス(復興)を、祈求し実践をうながした内容です。言霊とはすごい力でして、私はこれらの言葉を若い霊性で捉えていたようです。そして今頃になってこの霊性が私の思想の原点だったことに気がつきました。多くの科学者や数学者は若い時に着想した閃きを、一生の研究課題にするようですが、私も文化思想面で「近代の超克」の着想が、一生の課題だったようです。先のカンボジア旅行の呑めり込みが、私を再び東洋への回帰を促したようです。

北京的秋天

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 久しぶりに中国の大気汚染を書きます。
 19日に第34回北京国際マラソンが行われたのですが、
この日午前6時の汚染指数は最高レベル「深刻な汚染」に達していました。中央気象台は市民に極力外出を控え、外出する際は必ずマスクを着用し有毒粉塵の粒子が体内に入り込まないように促しました。当然のこと北京マラソンは中止になるかと思いきや強行されました。中止より面子にこだわりました。
 北京マラソンは定刻にスタートし、世界55カ国から集まった選手ら3万人が
、どんよりした白いスモッグに覆われた大気汚染のなか、多くの選手はマスクをつけて走り、なかには防毒マスクを装着したまま参加した選手もいたようです。競技組織委員会は走者に極力鼻呼吸でするよにすすめていたが、42キロの距離を鼻呼吸だけで走れるものでありません。これって自殺行為マラソンに等しいものです。
 果たせるかな、先行していたケニアの選手は20キロの時点で試合を放棄。イギリスの選手は「私は10キロ走った時点でつけていたマスクを見て、これでも十分だとはっきり分かった」と、放棄しています。走る選手も選手だと呆れるが、穿った見方をすれば、これは選手たちによる沈黙の反大気汚染の威示行動にも思えてきます。かつてのあの爽やかな青い空「北京的秋天」を取り戻せです。
 また、11月10日、11日には、北京で
APEC首脳会議が開催されるので、今から「青空対策」が打たれ、乗用車のナンバーの末尾が偶数(日)か奇数(日)かによって、市内への乗り入れを相互に禁止し、交通量を減らす措置が決められましたが、これは根本対策にならない。それに「上に政策あれば下に対策あり」で、富裕層の市民には偶数と奇数のナンバーの車を2台所有して毎日乗り換えて通勤しています。
 かくして北京はすでにいやはやです。でも、大気汚染で一つだけ気持ちがよいのは、天安門広場の中央にかけてある毛沢東の大きな肖像写真が霞んでしまうことです。
51sPaT5FnEL._SY355_.jpeg 9月4日に映画「キリング・フィールド」で、BGMにジョン・レノンの「イマジン」が流れた再会のラストシーンの一言「なにも謝ることなどない」を見ましたら、無性に「ストレート・スートリー」(1999年作)の映画を見たくなってしまいました。
 この二つの映画にはなにも関連性はないのですが、再会のラストシーンが共通しています。ラストシーンは落語で言えば「落ち」になるわけですが、映画の良し悪しもこの「落ち」で決まるようです。
 20世紀の最後を飾る珠玉の名作と評価された「ストレート・ストーリー」は、実話を題材にしたシンプルな物語なのですが、心暖まる寛容と癒しの感動作になっています。
 アイオワ州の片田舎に住む73歳になるストレートに、10数年仲違いで絶縁になっていたウィンスコンシン州の片田舎に住む76歳の兄が心臓発作で倒れたという電話連絡を受け、熟慮のすえ兄と和解するために再会を決心します。ここまではどこにでもあるありふれた物語です。

 しかし、ストレイトはわずかな年金暮らし、目も体も不自由のうえ運転免許もないのに、それでも行くと決心します。「たったひとりの兄と(少年時代のように)星空の下で話しがしたい」という想いで、時速8キロの農業用小型トラックターで、560キロの道程を、6週間かけて会いに行きました。
 道中でいろいろな人の人生との出逢いがあり、車なら1日で行けるから乗せて行くと誘われるが、このトラックターで行きたいと頑なに固辞します。
そしてやっとの思いでボロ屋に住む兄のところにたどり着き、二人して狭いテラスに置かれた椅子に腰掛けます。
 兄はおもむろにトラックターを見つめて「あれで来たのか」と言い、涙ぐみながら夜空を見上げます。そこには満天の星が輝いていました。
 静謐
の世界、20世紀の最後に寛容と癒しにふさわしい名作でした。

雨傘革命

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04170600-s.jpeg 香港は今日13日も約千人の学生や市民が民主化を求めた抗議デモで道路を占拠し、デモ反対親中派と対峙し激しい口論を応酬し、小競り合い警官隊に引き離されたニュースでした。
 私は7日から予定していました香港と中国の出張が、やむなき事情で前日に取り消したために、生身で香港の現状がどの程度なのか掌握できず、また当地の友人から本音の話しが聴けないのが残念でした。
 一時は17万人にまで膨れ上がった民主化の抗議デモですが、親中派の集団(たぶん制服を脱いだ警察官か人民解放軍)が、市民を装って立ちはだかり力によって押し潰す方向のようです。先ずこれは国内問題だとし内政干渉するなとし、内部を分裂させて対立を煽り、リーダーを拘束し国家秩序騒乱罪、デモの後方に外国サポーター勢力がありとして権力で押し崩しをはかります。
これは彼らの常套手段で、権威を失い硬直化した独裁政府にはこれしか対策が打てないのでしょう。香港には人民解放軍のほかにたくさんの工作員が入り込んでいますので、組織力のない学生や市民の抗議デモは直にねじ伏せられてしまうでしょうが、火種はくすぶり続け必ずまた燃え上がるでしょう。
 今回のデモで一番大きな事は「雨傘革命(Umbrella Revolution)」の名前を、歴史に刻んだことでした。警察官の放つ催涙弾を防御するために使った雨傘が実に巧妙な名称になりました。たぶんそのうちに誰かが言い始めると思いますが、中国では「傘(san))」は「散(san))」と同じ発音になることから、「傘」は「散る」「裂く」の語呂となり特別な意味があります。中国の風習で「傘開(sankai)」は「散(傘)を開く」になるので贈答品に傘は使いません。結婚式や友人の間でも傘のプレゼントは「仲を裂く」として贈りません。商売人は「散財」と験を担いぎ店頭で傘を開くことを嫌います。
 そんなことで、雨傘は香港と中国との仲を裂く革命、または香港のデモ勢力が中国大陸へまき散るとなり、中央政府も心中穏やかざる想いでいるかもです。

   秋深き 隣りは何を する人ぞ (芭蕉)

香港やがて韓国も

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IMG_0340.JPG                (皆既月食の翌朝6:45am、月は西に日は東、陰陽太極)

 今回の香港の民主化運動は、深層部に文化と民度の違いにあります。香港を知る者にとり今までよく我慢してきたなという印象でした。自由の空気を呼吸した者が、専制政治に馴染めるわけがありません。香港の若者の感性は、中国よりもむしろ日本や台湾、シンガポールの若者に近いものがあります。

 私らも中国出張を終えて香港に再入境した瞬時に、緊張がほどけ何とも言えない開放感を経験しています。「自由はいいな〜」という実感を味わっています。ですから今回の抗議デモが容易に予測できました。
 そこで今度は韓国の若者の抗議デモを予測してみたく思います。

 韓国の「幼児反日病」には呆韓の連続でして、今日は産経新聞の前ソウル支局長が書いた韓国大統領の男女関係を示唆するコラムで、ソウル地検は支局長を名誉毀損で在宅起訴しました。外国人記者がこうしたコラムで起訴されるのは極めて異例なことで、民主主義国家としてあるまじき対応です。

 私の4月12日付けブログ「スマートフォン下克上」に;
 「
半島気質の韓国人も中国人を信用していません。韓国はこのままでは中国に呑み込まれる危機に直面しているのに、なぜ伝統ある韓国の学生運動が、自国の稚拙な外交に対して反対運動に立ちあがらないのか不思議なくらいです。私はサムソンの凋落を機に、じきに火の手が上がるとみています。民主化された韓国の民度に微かでも希望を持ちたいものです」と書きました(この文章も在宅起訴の対象かな)。
 韓国経済に大きな影響するサムソンは、中国メーカーの安価なスマートフォンの攻勢を受け、今期も60%の減益になりました。周知の通り韓国の経済は低迷し、株価は下落を続け2000ポイントを割り込み、多くの機関投資家が見切りをつけ始めています。それにも関わらずいまだに有効な経済対策が打ち出せず、親中反日外交と米韓の安全保障問題も行き詰まっています。
 この薄幸な指導者と無能な政府に、若者がそういつまでも反日ガス抜き政策だけで我慢していられるものでありません。香港、台湾、日本の若者が中国の民主化を求めて連動しているなか、韓国の若者だけが孤立して中国のポチでいられるものでありません。若者は敏感な感性で未来を嗅ぎわけますので韓国の若者だけがとり残されるわけがありません。私は継続して韓国無視を決め込みながらも、若者の感性に希望の光をみたく思っています。
 あ〜それにしても
、韓国はいいな〜隣国に韓国がないから、、

LEDの一灯

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Safety.jpeg 今年のノーベル物理学賞に青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏に授与されました。授賞の理由は「高輝度でエネルギー効率の良い白色光源を可能にした青色LEDの開発」でした。誠におめでたいことです。
 LED高輝度光源は赤色と緑色だけでしたが、1989年に最も技術開発が困難とされていた青色光が実現しました。そのことにより光三原色のLEDがでそろい白色照明などへの実用化が可能になりました。しかも超省エネで長寿命の照明となり、家庭の電灯、街角の信号機ライトをはじめ従前の照明設備が代替へとなりました。
 私にとりこれまでのノーベル賞は縁遠いものでしたが、ことLED高輝度光源に限ってはいささかの自負があります(ブログで初めて自社のPRです)。私は青色LEDが実用化した早い段階で、これは21世紀の未来商品と定め、工場と商品開発にとりかかりました。単なる電灯照明器具でしたら必ず大手メーカーが参入してきますので、それらは我々の仕事でないので、消費者の生活に密着して役に立つ小物にしぼりこんで民生商品の開発を進めました。商品開発の初期段階でLEDの品質やパテントの規制でいろいろな障害がありましたが、アメリカ市場にいち早くLED商品を導入しましたので、自社の主力商品に育つことができ、また市場でも市民権を得て定着しました。
 そんなことですから、今回の
ノーベル物理学賞が三氏に授与された栄光は、人事に思えず心から祝福を捧げたい。

LED92M.jpg

団塊の一灯

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140519_富岡製糸ボランティアガイド .jpg 10月1日に小さな同窓会があったようで、ふる里の同級生からメールと地方新聞の切り抜きコピーが送られてきました。
 私の中学時代バスケット部のチームメイトであった友人が、定年後に「第二の人生」として「観光ガイドの会事務局長」としてボランティア活動をしているニュースでした。しかも世界遺産「富岡製糸場」のガイドを中心になってやっていました。
 50年ぶりとなる彼の写真ですから当然なのですが、かつての面影がなく、中学時代は比較的マイペースでシャイなイケメンだったあの彼とボランティアで活躍している今のオジさんとがどうしても結びつかないのですが、想定外のうれしい知らせでした。
 私などはいまだに「第一の人生」の途上で彷徨っている者ですから、彼の華麗なる「第二の人生」を、祝福したい(あんたは偉い!)。
 こうした団塊の世代が、街の一角で黙々と地道に世のため人のために奉仕されている姿は、誠に心強いかぎりです。知識と経験を豊富に積んできた団塊の世代が、「第二の人生」でその持てる智慧を駆使して日本文化の創造のため「もう一仕事やっているゾ」といううれしい励ましの知らせでした。彼らにもっとスポットを当てるべきです。
 さあ、私もやるぞ! 

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