Love means never having to say you're sorry.

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51sPaT5FnEL._SY355_.jpeg 9月4日に映画「キリング・フィールド」で、BGMにジョン・レノンの「イマジン」が流れた再会のラストシーンの一言「なにも謝ることなどない」を見ましたら、無性に「ストレート・スートリー」(1999年作)の映画を見たくなってしまいました。
 この二つの映画にはなにも関連性はないのですが、再会のラストシーンが共通しています。ラストシーンは落語で言えば「落ち」になるわけですが、映画の良し悪しもこの「落ち」で決まるようです。
 20世紀の最後を飾る珠玉の名作と評価された「ストレート・ストーリー」は、実話を題材にしたシンプルな物語なのですが、心暖まる寛容と癒しの感動作になっています。
 アイオワ州の片田舎に住む73歳になるストレートに、10数年仲違いで絶縁になっていたウィンスコンシン州の片田舎に住む76歳の兄が心臓発作で倒れたという電話連絡を受け、熟慮のすえ兄と和解するために再会を決心します。ここまではどこにでもあるありふれた物語です。

 しかし、ストレイトはわずかな年金暮らし、目も体も不自由のうえ運転免許もないのに、それでも行くと決心します。「たったひとりの兄と(少年時代のように)星空の下で話しがしたい」という想いで、時速8キロの農業用小型トラックターで、560キロの道程を、6週間かけて会いに行きました。
 道中でいろいろな人の人生との出逢いがあり、車なら1日で行けるから乗せて行くと誘われるが、このトラックターで行きたいと頑なに固辞します。
そしてやっとの思いでボロ屋に住む兄のところにたどり着き、二人して狭いテラスに置かれた椅子に腰掛けます。
 兄はおもむろにトラックターを見つめて「あれで来たのか」と言い、涙ぐみながら夜空を見上げます。そこには満天の星が輝いていました。
 静謐
の世界、20世紀の最後に寛容と癒しにふさわしい名作でした。

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このページは、三休が2014年10月19日 03:55に書いた記事です。

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