美しくあれ

| コメント(0)
719x0g5pn0L._SL1378_.jpeg 岡倉天心生誕150周年記念作品「天心」のビデオが、12月5日にリリースになり、さっそく持ち帰り観賞しました。
 岡倉天心のスケールが大きいため生涯の半分くらいしか描き切れてなく少々もの足りなさが残りますが、その範囲でよくできた作品でした。題名を「天心とその弟子」か「天心と五浦」とでもすればよかったと思う。
 「信じよう日本を、その先にある光を」、北茨城市の片田舎、五浦海岸から「日本の美」を、世界に向けて発信し続けた明治の男たちの苦悶と浪漫、それを陰で支え続けた明治女の気骨に感動を覚えます。東日本大震災の大津波で彼らの日本美の灯台であった「六角堂」が流失してしまい、映画化を機に元の姿に再建されたとのことですが、意味深い話しです。
 また同年に「利休にたずねよ」が映画化されたことも興味深いです。利休と天心は同じ水脈にあり、いま再びその水脈から「日本美」の見直しと発信が求められているのかと思います。
  「花をのみ 待つらむ人に 山里の雪間の草の 春を見せばや」 
 しかし、いまの日本にこれほど強烈な個性をもつ利休や天心の後に続く者がいるのだろうか? いたとしたなら誰なのか?「日本美」の具現者をさがしその裾野を下支えしたものです。 
 映画は「光も美しい」「陰も美しい」「すべてが美しい」で結んでいました。しかも、その美は西洋のダイヤモンドのように外に向かってキラキラ輝くものでなく、東洋の玉の如く内に秘めた美となります。天心は絵画の彼方の「ぼかしの美」としています。
 「人は己を美しくして初めて美に近づく権利が生まれる」、我々も「美しくあれ」を選択の基準にし、人生の岐路で立ち止まった時に、どちらがより美しいかで行動して行きたいものです。
 「美しく生きて来た者だけが、美しく死ぬことができる」(天心)

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、三休が2014年12月14日 00:34に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「男は、あたま!」です。

次の記事は「ごきげんよう、さようなら」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。