Space is the Place

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31.jpeg         (長野県八方尾根、4月1日青木健次氏撮影) 
 今日から15日まで
、NYブルックリンのシネマで「スペース・イズ・ザ・プレイス:アフロフュチャーリズム・オン・フィルム」と題して、アフリカ系アメリカ人による映画、ミュージック・ビデオが12本上映されます(私は行く予定なしですが)。
 人種問題は複雑で、アフリカン・アメリカンとは、アメリカの黒人ですが、差別語になるため当地ではこう称しています。
 アフロフュチャーリズム
Afrofuturism)は、20世紀後半にアフリカン・アメリカンの間で誕生した新しい思潮とのことです。アフリカ大陸から奴隷としてアメリカに連れて来られた彼らは、故郷の言葉を喪失し文化を喪失し、すでにアフリカンではなく、さりとてアメリカ的な西洋文化をいまひとつ受け入れられずにいます。彼らが生み出したジャズがアフリカ音楽でも西洋音楽でもない不協和音に象徴されています。
 アフリカ大陸から引きさかれた彼らは、自らの文化基盤を失いデラシネ(根なし草)となり、自分らの魂のよりどころを、宇宙に見出したのが、「自分たちのソウルは宇宙にある(
Space Is the Place))という、アフロフュチャーリズムでした。
 このデラシネ現象は、かつてローマ帝国が栄えた時代、周辺国から諸民族や奴隷が、土着の文化と神を持ち寄ってローマに住みつき、やがてそれらを失い、魂の故郷を喪失してゆきました。文化を失うということはその民族を失うことです。さりとて彼らはローマ人にもなれず、異邦人として魂の分裂をまねき新しい信仰に寄りどころを求めた事が共通しています。キリスト教はそうした彼らの神々を征服しながら、彼らの魂の隙き間を満たしてゆくことでパック・ロマーナの繁栄を築きました。
 またこのデラシネ現象は、21世紀に生きる日本人にも通じた問題になっています。私たちはナショナリズムとグローバルリズムの交差で魂の分裂をきたしています。日本文化と世界文明の狭間で魂の寄りどころを求めて彷徨っています。さりとて高度に文明化された今日、使い古された既成の世界宗教に魂の救済を求めても満たされません。新しい宗教による魂の救済が求められています。
 そうした意味でアフリカン・アメリカンの「自分たちのソウルは宇宙にある」という、アフロフュチャーリズムは興味深いものがあります。これらはヨガの宇宙霊にも通じてきますし、またこの波動の延長線上に、宇宙的宗教感情「われは宇宙霊と一体なり」という、万教帰一の新しい信仰形態があるように思います。 

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このページは、三休が2015年4月 3日 04:58に書いた記事です。

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