2015年8月アーカイブ

あうんの呼吸(心身統一)

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IMG_1444.jpeg                  (一の宮貫前神社の狛犬と百日紅)
 28日に当地に戻ってきました。
 今回の出張は我が身に一つの変化を感じ少々凹みました。出張はフライトと交通移動に合わせ時間単位で予定を組み込み、それをクリアして戻って来ます。今回も同じようにしたのですが、各所でミスが頻発しました。時差の時は判断ミスがあるものですが、今回はそれとはまた違ったボケミスでした。
 いったい何故だろう考え、脳内スピードと体内時計にズレが生じたからだと思い至りました。簡単言ってしまえば、強行出張に体力の方がついて行ってないということです。脳内ではすでにクリアした行動を、肉体がそれをまだクリアしていないことでミスが多発したようです。心身の不統一で修行が足りないというわけです。これからは体内時計の体力に合わせ脳内に少し余裕もたせてスローダウンさせる必要があるようです。スローライフへのシグナルなのでしょうが、まぁこれも修行と決めいましばらくは強行出張を続けたく思う、、、
  野ざらしを 心に風の しむ身かな (芭蕉)

 恩人を訪ねコスモス街道と百日紅街道を抜けて信州の佐久へ行ってきました。コスモスの花が、初秋の風に涼しそうにゆれていました。
 明日から9月です。みな様よい初秋をお楽しみください。

残暑お見舞い

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IMG_0536.jpeg お盆送りもすんだことだし、そろそろアジアにでかけてきます。
 今回は主に台南、上海を回りますが、ビジネス出張でなんら悪いことをするわけでないですが、お隣の国に行く時は安全を期して出張日程や宿泊先をできるだけ曖昧にしています。
 ホテルからネットのアクセスは読売.comだけにして、検索もCoogleYahooでなく(使えず)、現地の「百度」を使っています。産経.comはトップページだけでそれから先はアクセスできません。今どき信じられませんが、LineFacebookも接続できません。eメールも知人に迷惑がかかることを考慮しできるだけ控えるようにしています。外人宿泊客は全員がチェックされているのか、写真を添送すると遅く届き、翌日にまた同じメールが届くこともあります。
 私のHPサイトにもアクセスしません。前にアクセスしたらお隣から不正アクセスが急増して炎上気味でした。最近その数も「新常態」に戻ったようで、たぶん箸にも棒にもかからぬサイトとお墨付きをもらったのでしょう。こうした規制は国の豊かさと比例し、最近はますます規制が厳しくなっています。
 夜はできるだけ外出しませんし、出る時は一人を避けるようにしています。一人でタクシーに乗る時には、車内から友人に電話をかけドライバーに聞こえるように「今そちらに向かっている」と話すようにしています。これでも見えないところでけっこう気を配っているのです。ですからお隣の国を離れた時の開放感はなんとも言えぬものがあります。
 18歳からこんな海外素浪人を飽きずにやっているのですから腐れ縁とでも言うか好きなのでしょうね。やはり隣の芝生が気になるわけで、大きな流れは実際に現地に行き肌で感じる以外、ニュースや評論だけでは見えない部分があります。
 前回も上海の街頭で景気の冷え込みを肌で感じ、珠海では私が贔屓にしていたポルトガル・レストランがいつの間にか消えていた事に景気の後退を見てきたわけです。相変わらずタクシー・ドライバーがいやな咳をしていることも、なにせ
アメリカの科学誌によると大気汚染の影響で1日4000人が死亡していると発表しています。人の命が空気より軽いなど現地で大気を読まないことにはわからない。
 さてそれでは海外の寅さん風をたよりに出かけてきます。

お盆と鬼灯

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IMG_1314.jpeg      (鬼灯は 実も葉もからも 紅葉かな  芭蕉)

 前の家から根分けしてもらった鬼灯(ホオズキ)が、今年から我が家の庭にも育ちました。   
 子供の時から鬼灯を盆棚に飾っていたので、これがないことにはどうも様になりません。鬼灯が立秋になると赤く色づき、もうすぐお盆と知らせてくれます。大人になってから日本仏教の習俗でホオズキが死者の霊を導く提灯として盆棚に飾るとことを知り、「鬼灯」という恐い漢字に納得しました。
 これも小学生の時ですが、お盆前に蝉やカブトムシなどを捕まえると「お盆が来るまで回ってこい!」と、せっかく捕まえたのになんで放してやるのかわからなかったが、これも殺生する勿れという「放生」の教えでした。
当時の世の中はまだ豊でなかったが、こうした情味豊かな環境のなかで育ち幸せでした。そんなことで今年も御霊が鬼灯に導かれ、キュウリの馬と茄子の牛に乗ってお客にきます。
IMG_1323.jpegただ毎年この時期になると、終戦記念日(祈念日とすべき)などと騒ぎたてられ、古傷のカサブタを故意に剥がしそこに唐辛子をなすり込まれたようで辛くて痛い想いで過ごしています。居心地がよくありませんが、ちょうどお盆と重なるので静かに祖先の霊と先人の御霊を祀ることができます。 
 有り難うございました。 合掌 

 湖に浮かべたボートをこぐように
 人は後ろ向きに未来に入ってゆく
 目に映るのは過去の風景ばかり
 明日の景色は誰も知らない           (ポール・ヴァレリー)  

傾国・曲がり角に立つ中国

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11.JPG 曲がり角に立つ中国はこれからどこに行くのだろう。
 考えられる道の
一つ目は、「冷たい平和」でアメリカと対立する道。
 中国が富国強兵で軍事を急速に増強してアメリカに対抗する道で、かつてソ連が対立を続けた果てに息切れして解体したケース。

 二つ目は、中国の妄想として、アングロ・アメリカン世界の旧覇権国に対し、新興覇権国が報復挑戦する「中華帝国復興の夢」です。
 これは大日本帝国が大東亜共栄圏に挑戦して挫折したケースでもあります。
 三つめは、軍部や強硬派を抑えられずに暴走し、台湾を制圧、沖縄、海洋諸島を侵略の道です。
 この延長戦にはアメリカと武力衝突が不可避となり圧倒的な武力の前に中国が解体するケース。
 四つめは、日本にとり悪夢ですが、アメリカの衰退を横目に中国が強靭に戦い、アメリカをアジアから撤退させ、太平洋の東側に追いやり、中国が西太平洋の覇権を握り海洋を二分する道。
 これは彼らが前から主張している太平洋は米中が二分するのに十分な空間があるという「新しい大国関係」となります。この可能性はおおいにありです。
これは中国のかなり本音でして、その際に日本は目の上のタンコブ。かつて李鵬元首相は日本などあと30年もすれば無くなるだろと放言しています。
 いずれもが武力による覇権争いになります。
 しかし、日本は現実がここに至ってもなお集団安保体制反対を叫んでいるのですから理解に苦しみます。ダチョウが地面に頭を突っ込む平和ボケを通り越し、国の未来に対し責任放棄です。

 鄧小平が1992年に市場経済を開放する時、先ず半世紀は黙って我慢して力を蓄えてから中華復興を考えろとしました。私も2020年頃まで「自強不息」に努めれば、あるいは中華復興の夢も可能性がでてくるとみていました。
 しかし、現政権が発足した2012年あたりから覇権の道が露骨にあらわれました。あと8年を待てずに牙を剥いてしまったことで、今日の曲がり角に来ています。後世の歴史家は2012年を「傾国」への兆しの年と記すかも知れません。

 そこで私が最近になり思いを強くしている予測の五つめは、中国4千年来の「禍福はあざなえる縄の如し」の道です。
 中国の奇跡の高度成長が30年続いてきたしわ寄せが、2012年の政権交代を境に一気に吹き出しました。経済の成長の減速とインフレ、目に余る汚職と権力闘争、倫理道徳の廃退、所得格差の拡大、社会不安と頻発する争議、迫り来る高齢化年金問題、チベット、イスラムウイグル族との軋轢、のっぴきならぬ環境汚染問題など、高度成長の裏で累積してきた諸問題が、抑えきれずにパンドラの箱を開けたかのように表面化してきました。
 中国はこうした諸問題で行き詰まり「傾国」の道をだどり解体しはじめると思います。そして後20年もしたら大陸にこもり脅威も薄れ普通の国になって行くのではないかという予測です。所詮14億の人口と広大な土地を、一つの政党で統治するのに無理があります。
 しかし、それまでは不断に中国の覇権を抑え込むことが必要になります。台湾は中国が民主国に変わるまで現状維持を必死に守って耐えています。日本も台湾のように中国が普通の国になるまでは「冷たい平和」を堅持して行く覚悟が必要になっています。
 「天は自ら助くる者を助く」です。

傾国・チャイナブルー

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IMG_1301.jpeg ニューヨーク・マンハッタン中華街のはずれに在る素敵な上海料理店を発見しました。お店が「傾国・China Blue」という詩的な名前に魅せられて出かけてきました。
 「傾国」とは、楊貴妃のような「絶世の美女」の含みがありまして、一目みれば君子が心を奪われ城を傾け、再度みれば国が傾くという実話の喩えからきています(心情としてわかるな〜)。まぁ「絶世の美女」を「お金」に変えれば、今の中国になるのかも、、、、
 たぶん店のオーナーはセンスのいい上海女性だと思うのだが、絶世の美女を見たさにでかけました。内装の雰囲気は懐かしき上海で、料理は量が控えめで美味しく、ウエイターのサービスも洗礼されていて、価格の方もまずまずでした。内緒にしておきたいお店ですが、そのうちにミシュランが星をつけることでしょう。
 実は私の直感で「傾国」の漢字を見た瞬時に、今の中国がイメージされてきたわけです。「一葉落ちて天下の秋を知る」いな「一漢字をみて天下の傾国を知る」です。     (続)

冷たい平和

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IMG_1304.jpeg              (街路地に咲く木の鬼「槐樹」)
 「冷たい平和」という新語を目にして、うまい表現だな〜と唸ってしまった。
「冷たい戦争(Cold War)」は、主に米ソの対立でしたが、その「冷戦」に対して「冷たい平和(Cold Peace)」は、予期される米中の対立です。「冷和」とでも言うのでしょうか、日韓関係もこのようなものです。経済基盤は運命共同体でありながら覇権で争っている状態ですが、もしこのまま中国が海洋に膨脹を続ければ、いずれどこかで地域紛争が勃発するでしょう。
 島国の日本は一国で自国の平和を守りきれませんので「冷たい平和」のどちらかのチームに入るのかが、
集団安保賛成/反対の分岐となります。日本はすでに海洋国家としてアメリカと同盟を結び、中国の膨脹を押さえ込む方針で進めています。中国の覇権は日本の平和を脅かすので私はこの方針を支持しています。またそれが戦争抑止になるし70年前に日本が偏狭なナショナリズムで突き進み挫折した轍に、中国が踏み込まぬようになります。
 隣国に強大な覇権国家の台頭は脅威ですが、さりとて中国崩壊をやたら騒ぎ立てるのもどうかなと思います。隣国が強大国になっても、また崩壊してもいずれにしろ厄介な問題は解消しません。私が繰り返している持論ですが、「対中国外交は、近かすぎず、遠からず」の距離の取り方にあります。
 日中間にアメリカを置いて距離を取り、集団安保体制で中国が覇権国家になることを抑え込む対策です。海は日本の生命線ですので日米同盟を強固にし、中国が普通の国になるまで膨脹を抑止することです。そのために「冷たい平和」の覚悟が必要になり、平和を維持するのには祈るだけでなく、積極的に作為することが求められています。

 ただ、安保法案の論議が軍事力の方面に偏り、文明、文化の視点が置き去りにされているのが残念です。安保法案は、民主国家として日米の文化防衛であり「菊と刀」です。美しい菊の花(文化)を守るために、時には研ぎ澄まされた剣が必要になります。「菊と刀」はいちじるしく対極的な緊張にありますが、どちらが欠けても平和の本質を失います。
 日米両国は太平洋をめぐる楕円の二つの極地で、西欧文明の所産であるアメリカと東洋文明の正統な後継国である日本が、一つの地球文明を建設してゆく関係にあります。そして、これこそ太平洋上で散った両国の英霊に捧げる鎮魂になります。
 戦後70年の日本も、少し「冷たい平和」で頭を冷やした方がよろしいようです。

司馬遼太郎の世界

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IMG_1272.jpeg 今日も「片づけオタク」にお付き合い願います。
 こんまり魔法に、本の整理は先ず一気に、短期に、完璧に「捨てる」を終らせる事。しかも「触ったときに、ときめくか」、触るだけで中身はけして読まない事。いつか読むつもりの「いつか」は、永遠に来ないが、殿堂入りの本は迷わず手元に残す事とあります。
 このマニュアルにしたがい、本棚の3分1の本を触っただけで捨てました。今回は恩師、司馬遼太郎、曽野綾子の書籍類は、触らずにそのまま残しました。雑誌類はすべて捨てることにしましたが、「文藝春秋」の臨時特別号「大いなる昭和」昭和天皇崩御と、「司馬遼太郎の世界」追悼号の2冊が殿堂入りしました。
 雑誌ですので紙が日焼けし変色していましたが、「大いなる昭和」は無条件に殿堂入り。「司馬遼太郎の世界」はいったんゴミ箱行きでしたが、こんまり法の禁を犯して捨てる直前に中身を読んでしまい、出戻り殿堂入りとなりました。
 私の不勉強なのかわかりませんが、司馬遼太郎氏が逝かれてからじき20年になるというのに、司馬氏を越える、または司馬氏並み、あるいは司馬氏を引き継ぐ思索家が不在なことに気がつき驚愕しました。いいかげんに出現してもいいと思うのだが、文化の衰退なのか、出版界の人材発掘が力量不足なのか、読者の活字離れによるのか、どうしたことなのだろうか。もしどなたかいるなら教えてもらいたい。
 司馬氏の著書出版社は、朝日新聞社から各大手出版、産経新聞社にいたるまで網羅していた稀有な国民的作家でした。私はそこに氏のニヒリズム的な調子のよさ感じていたのですが、いま想うと氏の透徹した思索は、そうしたイデオロギー的な次元を越えていたのでしょう。
 私は司馬氏にまつわり一つだけ大きな悔やみがあります。
 同時代に呼吸しながら生身の司馬氏を見たことがなかったことです。1993年に氏が訪米しコロンビア大学で講演をした時、私は司馬氏はもう枯れたと思い行きませんでした。その後に対談集「土地と日本人」を読み、あの土地狂乱バブルに対峙しこのままでは「この国のかたち」が崩壊してしまうと、一書生として反骨精神を発揮していて全く枯れてなどいなかったことを知り、あの時に行けばよかったと痛恨の悔やみとなりました。

 司馬氏は戦後の日本が平和を享受していることはよいことだが、その代償として若者の目が生気を失ってしまったことを憂いていました。
もし司馬氏が在世なら今の日本をどう思うことか、戦後70年の折りに「二十一世紀に生きる君たちへ」を、再読することにしました。  

片づけ祭り

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3.jpeg          (今月から一回り大きくなったこんまり箱)
 週末に「人生がとくめく片づけの魔法
""」を買いました。第2部は中国翻訳版を持っているし、"How to DO"片づけの重複なので、別に買わなくてもいいのに魔法の鞭に打たれて買ってしまった。
 第2部でこんまりさん少々背伸びをしていますが、臭さはなく許容の範囲内。片づけを「お祭り」にまで押し上げてしまったことは面白い。これはもう「片づけ教」の境地で、信仰の一歩手前になっています。「こんまり教祖とその弟子」です。
 して、今日はリビングルームの「片づけ祭り」でした。
 こんまりによると、片づけと掃除は別モノ、片づけは対モノで自分と向き合い、心を整える
人生のリセット行為で、掃除は対汚れで自然と向き合い、心を清める行為とのこと。片づけはモノを動かして部屋をきれいにすることで、掃除は汚れを拭いたり、掃いたりして部屋はきれいにすることである。類似単語ですがまったく別物だから混同する勿れと説教しています。
 ブラジャーは心臓に一番近い「おブラ様」と祭りあげるあたり豊穣を願う縄文人の土偶に通じ、ぬいぐるみとのお別れはご供養する気持ちでサヨウナラ。もしぬいぐるみがさみしい目をしているようなら、時には粗塩でお清めです。片づけすべてのモノに対してここまで精霊を吹き込むこんまりさん、いや〜ご立派な魔法です。
 そういえば一昔前まで針供養も人形供養もありました。かまどに神様もいたし、玄関には魔除けの神様が、床の間はパワースポットでした。こんまりの片づけ魔法は、失った神々の再生に通じるのかもです。
 さて、明日からガレージと物置の「片づけ祭り」です。ワッショイ、ワッショイ、どんな神を発見することやら。 
 

  なほ見たし 花に明けゆく 神の顔 (芭蕉)

パク・クンリョンの場合は

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8.1.jpeg                (8月の空)
 8月は胸のすくニュースから始まります。
 ほぼ毎週末に韓国のスパーに野菜と果物の買い出しにでかけていますが、棚にたくさん日本の食料品が並べてあります。またコーリアン・タウンに行きますと、たくさんの日本車が駐車しています(最近ヒョンダイも増えましたが)。そんなことで韓国に沈黙の良識派がいることを信じていました。その良識派の代表がネット動画サイトのインタビューで口を開きました。
 しかもその人が韓国のパク・クネ大統領の実妹パク・クンリョン女史でしたので韓国社会に大きな波紋を投げかけました。不都合な真実のためか韓国では大騒ぎなのですが、不思議と日本のマスコミはさほどに取り扱っていません。
 パク・クンリョン女史の発言を、そのまま掲載します;
 「日本の神社参拝は子孫が先祖を訪ねていくものであり、100年前の先祖が悪いことをしたから子孫が参拝をしないとい
のは人の道にもとる」、「韓国がそれに関与しよとするのは内政干渉である」。
 「元慰安婦をはじめ苦痛を受けた方々に対しては、韓国国民が国内で面倒を見なければならない」
 「全斗煥元大統領が訪日した際、首相よりはるかに重要な天皇が頭を下げているのに、なぜ首相が替わるたびに謝れと言
のか」
 「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」
 「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の
"親日"と解放後の"親日"では概念が違」。

 どれもすこぶる勇気がいる正論ですが、世の中「ほんとのことを言ったらおりこうにはなれない」「
あまりにもお馬鹿さん」(フランシーヌの場合は)で、韓国国民に総スッカンになっていますが、さすがに朴正煕元大統領の令嬢です。父の偉業を否定する現政権の父殺しに我慢がならずにキレタのでしょう。朴正煕元大統領の亡霊のような響きです。
 
八方塞がりなってしまった韓国にとり、これを打破するため良識派は希望の光りです。これさえ抹殺するようでしたらこの国に未来はない。我々も良識を持って対応してゆきたいものです。

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