冷たい平和

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IMG_1304.jpeg              (街路地に咲く木の鬼「槐樹」)
 「冷たい平和」という新語を目にして、うまい表現だな〜と唸ってしまった。
「冷たい戦争(Cold War)」は、主に米ソの対立でしたが、その「冷戦」に対して「冷たい平和(Cold Peace)」は、予期される米中の対立です。「冷和」とでも言うのでしょうか、日韓関係もこのようなものです。経済基盤は運命共同体でありながら覇権で争っている状態ですが、もしこのまま中国が海洋に膨脹を続ければ、いずれどこかで地域紛争が勃発するでしょう。
 島国の日本は一国で自国の平和を守りきれませんので「冷たい平和」のどちらかのチームに入るのかが、
集団安保賛成/反対の分岐となります。日本はすでに海洋国家としてアメリカと同盟を結び、中国の膨脹を押さえ込む方針で進めています。中国の覇権は日本の平和を脅かすので私はこの方針を支持しています。またそれが戦争抑止になるし70年前に日本が偏狭なナショナリズムで突き進み挫折した轍に、中国が踏み込まぬようになります。
 隣国に強大な覇権国家の台頭は脅威ですが、さりとて中国崩壊をやたら騒ぎ立てるのもどうかなと思います。隣国が強大国になっても、また崩壊してもいずれにしろ厄介な問題は解消しません。私が繰り返している持論ですが、「対中国外交は、近かすぎず、遠からず」の距離の取り方にあります。
 日中間にアメリカを置いて距離を取り、集団安保体制で中国が覇権国家になることを抑え込む対策です。海は日本の生命線ですので日米同盟を強固にし、中国が普通の国になるまで膨脹を抑止することです。そのために「冷たい平和」の覚悟が必要になり、平和を維持するのには祈るだけでなく、積極的に作為することが求められています。

 ただ、安保法案の論議が軍事力の方面に偏り、文明、文化の視点が置き去りにされているのが残念です。安保法案は、民主国家として日米の文化防衛であり「菊と刀」です。美しい菊の花(文化)を守るために、時には研ぎ澄まされた剣が必要になります。「菊と刀」はいちじるしく対極的な緊張にありますが、どちらが欠けても平和の本質を失います。
 日米両国は太平洋をめぐる楕円の二つの極地で、西欧文明の所産であるアメリカと東洋文明の正統な後継国である日本が、一つの地球文明を建設してゆく関係にあります。そして、これこそ太平洋上で散った両国の英霊に捧げる鎮魂になります。
 戦後70年の日本も、少し「冷たい平和」で頭を冷やした方がよろしいようです。

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このページは、三休が2015年8月10日 04:37に書いた記事です。

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