少女の瞳

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tumblr_omec6bOTQO1saph2jo2_500.jpeg あるサイトを検索中に雪国の少女の写真を見つけ感動してしまった。寒さの中でも眼が澄んで輝いています。懐かしい天然力の輝きです。
 この輝く瞳をみた時、司馬遼太郎が生前、戦後の日本は豊かさと平和の代償として若者から眼の輝き奪ったとして憂いていたことを想い出しました。こうした若者がいま国の中堅政治家になって不毛な国会討論を繰り返しています。 
 私も1990年代のチャイナの若者にこの目の輝きがみた時に、これでは日本は危ないと直感し戦慄を覚えたことがありました。
 澄んだ瞳でもうひとつ小野田寛郎氏の眼を思い出しました。小野田氏は敗戦後フィリピン・ルパング島のジャングルに独り居残って29年間アメリカ軍と遊撃戦を継続して帰還した軍人でした。私は2度お会いする機会がありました。その時に氏の透明に澄んだ瞳をみて、もしや義眼ではと思うほど強烈な印象を受けました。戦後の日本を見ていない瞳でした。
 我々もかつてはこの雪国の少女のように目を輝かしていました。もう一度これを取り戻す秋(とき)にきています。

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このページは、三休が2017年3月 8日 01:19に書いた記事です。

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