2017年11月アーカイブ

IMG_6433.jpeg マッターホルンの麓ツェルマット村と富士河口湖町は友好都市になっていました。どちらも国を代表とする誇りある霊峰の麓町ということなのでしょう。そんなことでついつい富士山と比べてしまうのだが、何故か二つの山から受ける印象が違うのです。
 マッターホルン(牧草の角)は、氷河に削られ異様に造型されたため傾斜が激しくわずかに氷雪を残すだけで、長きにわたり魔の山として雪も人も寄せつけぬ孤高の霊山でした。私はこの造型に神の死を宣言した哲学者ニーチェをイメージしてしまった。
 その点、富士の山(不二の山)は、やさしい雅な形状で高嶺に雪をいだき長きにわたり信仰の霊山となっていました。どちらも名山ですが、マッターホルンが私と自然を隔絶する冷たい畏怖を感じさせ、富士山が人をやさしく受け入れるのは、内に秘めたマグマの熱き愛の有無によるのかも知れない。星の爺はここでも「大切なものは目に見えない」とのつぶやきです。
 これは全くの偶然でしたが、私の来年4月の予定は、河口湖から眺める富士山になっていました。もしかしたら、私も林住期に入りこの二つの山に呼ばれたのかも知れません。
 おかげ様で11月もいい月になりました。感謝です。12月のよい月にしてゆきましょう

DSC09679.jpeg 11月26日早朝、青天、零下7度。だぶん雪かと思い7時まで寝てしまい、惜しくも朝焼けのマッターホルンをミスしましたが、麓のツェルマット村から眺めた朝のマッターホルンです。今旅のベストショットになりましたので再度掲載です。ツェルマットは敬虔なカソリック教徒の村で、村の中心に教会があります。教会の天井画はノアの洪水の絵で上方にマッターホルンが描かれています。村人がマッターホルンを守り教会の裏手に山で遭難した人をお墓がありました。スイスには山々の連峰国なのに火山がないのが不思議です。ですから地震もないかわりに温泉がないのが残念。
IMG_6432.jpeg この遠望を見に行く途中で、国際留学生グループの小さなパレードがありました。マッターホルンも最近は中国人の団体旅行者ばかりで、日本人の姿が目立たなくなってしまうなか、日の丸を背負った日本若者の姿に感動してのショットです。

マッターホルン

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IMG_6366.jpeg 11月24日、マッターホルン(4478m)は晴れ。氷河特急でヨーロッパ最高地点のゴルナークラート展望台まで(3089m)まで登り名峰を遠望できた。4000メートル級の連山が29峰あり、スイスで最高峰のモンテローザ(4634m)も遠望できるのだが、形状が冴えないためにマッターホルンにスターの座を譲っている。山の世界もイケメンで差別されるようです。
 ここまで来るのにニューヨークからチューリッヒーまで7時間ー>列車で4時間ー>氷河特急で45分、これで名峰を見られなければまた出直しでしたが初回でパス。ラッキーでした。
 翌25日から当地は冬シーズに入るとそれに合わせたかのように雪模様でマッターホルンは雪でみえなくなる。麓のツュルマットはスキーを担いだ旅行客が駅からたくさん来はじめた。当地いよいよスキーの冬到来です。
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IMG_6212.jpeg これからスイスに出かけるという矢先に急いで更新です。
 機上で読もうとして購入した遠藤誉著「習近平VSトランプ」ー世界を制するのは誰かー(飛鳥新書2017年7月刊)を、昨日読みはじめたら停まらずに、夜更かしと早朝を使い一気に読んでしまった。
 遠藤女史は1941年に満州で生まれ、7歳のときに長春市の兵糧攻めで数十万人の餓死者で、足の踏み場もなく死者たちの上にシーツをひいて野宿しながら脱出しました。「半分は無感覚になって記憶を失うことで発狂を免れ、残り半分は発狂することによって死を免れていた」という中国動乱の地獄をみた人です。ですから女史の書く著書は、累々した死者の呪いの血で書いた中国論になっていて、一夜漬けの評論家など足元にもおよびません。
「誰も語らない北朝鮮問題の根本矛盾、AIIB、一帶一路の真の狙い」に関する分析は、時を得た核心テーマでたいへん参考になります。中国人の表裏を知り尽くした中国研究の第一人者です。私の中国観とスタンスは、遠藤女史に近いと思う。是非とものお薦め本です。
 そんなことで、機上で読む本は女史の「チャーズ」を持ち込むことにしました。

IMG_6207.jpeg まだなんの用意もしていませんが、今週からヨーロッパ・バーションに切り換えです。
 今回はスイスのマッターホルンの麓ツェルマットに2泊して、白ワインで今年の感謝祭を乾盃し、霊峰を遠望してきます。
 楽しみに待った霊峰を、遠望できるかできないかは、行った上での運任せ。天気予報によると気温5度、曇り多少の雪になっていますが、山の天気は変わりやすいので、どうなることかです。雲ならば私が吹き飛ばす。
 うまく写真を撮らえたらブログに更新、それとも絵はがきでの更新となるか、請御期待!
 以前に南米ペルーで世界文化遺産のナスカの地上絵を、セスナー機に乗って上空から観光したとき、ガイドさんが名言を吐きました「カメラで写真を撮ろうとせずに、裸眼で地上絵を楽しんでください。写真は着陸してから絵はがきを買えます」。これに納得して以来、観光地ではできるだけ裸眼で観て、眼の裏側で焼き回しするようにしています。
 「晴れてよし 曇りてもよし 待ったホルン」の心境で、スイスアミー・ナイフを持って出発です。

越冬スズメ

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IMG_6200.jpeg 10月から止めていたスズメの餌付け解禁。
 止めてから1ヶ月半になるのに、いまだに私が出勤するとスズメたち数十羽が飛んできて、オフィスの外に出るたびに飛んでくるので、柔弱不断な私めの心が折れてしまった。
 スズメたちは私を鳥類だと思ってか、すっかりカモられている。
 こうしたスズメたちを見ていると冬が近いことを知らされます。スリムだったスズメがお腹に卵を抱いているかのようにすっかり脂肪太りとなり、前よりも餌にがさつき、羽の色も越冬の濃いスズメ色?になっていました。彼らも生きるために一生懸命のようです。
 スズメ子と 声鳴きかはす ネズミの巣 (芭蕉)

流転の王妃

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lif1711160052-n1.jpg 今日は産経ニュースのサイトからです。
「満州国皇帝の弟の愛新覚羅(あいしんかくら)溥傑(ふけつ)の妻で「流転の王妃」として知られる嵯峨浩(ひろ)(1914〜87年)が結婚直前 の揺れ動く心境をつづった未公開書簡が見つかり、16日に、東京都千代田区の東京古書会館で報道陣に公開された。国策として進められた政略結婚の資料だ。浩は嵯峨実勝侯爵の長女で、女子学習院卒業後の昭和12年4月に関東軍の主導で溥傑と結婚」。
「とうとうあきらめて私は 死んだつもりで国の為に結婚しなければならなくなりましたの」、「本当にもっともっと平凡な結婚がしたうございました」、「お国の為になることなら私はどうなろうと満足でございます。決心と覚悟がつきました」。
 「流転の王妃」昭和の動乱に翻弄されながらも運命を受け入れた覚悟すごいですね。当時はほんとにお国のためでした。私は瀋陽に旅をしたときに愛新覚羅溥傑の記念堂を見てきました。日本の歴史遺産として記憶しておきたいものです。
 さてと、嵯峨姓はあまりないので思い出したのだが、私の小学4、5年生時のクラスに「嵯峨みどり」という子がいたと記憶している。たしか世界遺産に登録された富岡製糸内の社宅に住んでいて、顔が土地の人でなかったのでよく憶えているのだが、同級生に聞いても知らないという。転校生して来てまたすぐ転校したのか、私の幻の記憶なのかわからずにいる。次回、帰省したときに小学時代のアルバムを調べてみようと思っているが、誰か嵯峨を知らな〜いか、、、

読書の晩秋

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IMG_6191.jpeg 日本の思潮を知りたく、帰国の折りに必ず本屋さんに寄って横積み本をのぞいているのだが、最近めっきり増えてきたのが、老人関係の本となっています。需要と供給の関係で最も読者層の多い団塊世代がいよいよ老人問題を真剣に考えはじめようです。
 団塊世代は戦後レジームの流れのなかで、みなよい子に勉強し、律儀に活きて、憲法の改正もせぬまま、ドングリの小粒に成長してしまい、老いてまでもなお真面目に読書しています。まぁいじらしいと言えばいじらしいが。
 毎月の「文藝春秋」の特集は団塊世代向けの老後関連、何を今さらに「右に習え」だ放っとけ、もう買う気が失せてきた。時流にうまく媚びてきたお調子もの五木寛之が、相変わらず年下の団塊世代に「孤独のすすめ」と、五木の子守唄でもてはやす、おぃおぃまだ頑張っているのかい、、手にとって見るのも面倒になる「さらば五木の愚連隊」。
 それでも律儀な私は、アンチ老化派の佐藤愛子著「九十歳。何がめでたい」、土屋賢二著「年はとるな」、曾野綾子著「老いの僥倖」を、持ち帰ってきました。
 3週間も苦闘した原稿の修正が13日にやっと〆切となり、今日からの脳閑期にこの3冊から「読書の晩秋」となりました。

Hunt but not Kill.

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IMG_6172.jpg アメリカは今日から冬時間になりました。
 ハロウィーンが過ぎると今年もいよいよ第4コーナーにさしかかります。サンクスギビングデイから一気にクリスマスとなり、新年まで走り抜けます。アメリカのいちばん綺麗で楽しいシーズンになります。
 ここ10日間ほど原稿の大修正に追われて余裕のない生活でしたが、やっとあと1週間で渡せる目処がたち、今日は午後の公園を散歩して、晩秋の景色を楽しんできました。
IMG_6169.jpg湖水の小橋にさしかかると折よく"I love Fish"のトレーナーを着た子供が、大きな魚を吊り上げ魚をもってスマホで自撮しているところを見て可愛くなってしまった。子供たちは吊り上げた魚を "Hunt but not Kill" のルールで、家に持って帰らずに魚にキスしてまた湖水に惜しそうに放してあげるわけです。
 私のよきアメリカでの好きなシーンです。今日からトランプ大統領が訪日しています。腕白だった彼も"Hunt but not Kill"のルールで育っています。

ハロウィーン

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IMG_6165.jpeg ニューヨーク日本国総領事館からメールで、ハロウィーンの事故に注意との通知がきましたら、予想したように事件が起きました。
 ニューヨークのマンハッタンの下部地区で、テロ男が小型トラックで自転車道を暴走しながら通行人をはね、降車して銃を発砲し8名が死亡10数名が負傷と報じられています。
 最近、銃撃事件が各地で頻繁するので、事件に遭遇したらどう対処するか、極めて明解なマニュアルがあり;
 1、先ず逃げる。2、何かの壁や障害物のかげに隠れる。3、それでもだめなら闘え(そのさい命の保障はない)。以上。
 アメリカらしいマニュアルですが、これは日本の対ロケット野郎にも通用します。日本はそろそろ鯉口を切れ。

 我が家の今年のハロウィーンですが、お菓子をもらいに来る子供たちが、ここ数年では一番多かった。この日、お菓子をもらいに来る子供たちは大人を楽しませる奉仕だと思う。彼らの袋に沢山お菓子が入っているのに、この家で何をもらえるのかを、純真な目でクールに見ている。母に連れられてダウン症状の女の子が来たが、手を伸ばすだけで言葉にならない。この子に余分にお菓子をやらなかったのが悔やみです。
 今年はリスたちの悪戯が早かった。いつもだとハロウィーンのあとからカボチャを食べ始めるのに、すでに半分以上食べてしまった。たぶん今年は土手カボチャだったので、美味しいかつたのだろう。近頃リスがめっきり少なくなってきているので、こいつは嬉しいニュースでした。

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