流転の王妃

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lif1711160052-n1.jpg 今日は産経ニュースのサイトからです。
「満州国皇帝の弟の愛新覚羅(あいしんかくら)溥傑(ふけつ)の妻で「流転の王妃」として知られる嵯峨浩(ひろ)(1914〜87年)が結婚直前 の揺れ動く心境をつづった未公開書簡が見つかり、16日に、東京都千代田区の東京古書会館で報道陣に公開された。国策として進められた政略結婚の資料だ。浩は嵯峨実勝侯爵の長女で、女子学習院卒業後の昭和12年4月に関東軍の主導で溥傑と結婚」。
「とうとうあきらめて私は 死んだつもりで国の為に結婚しなければならなくなりましたの」、「本当にもっともっと平凡な結婚がしたうございました」、「お国の為になることなら私はどうなろうと満足でございます。決心と覚悟がつきました」。
 「流転の王妃」昭和の動乱に翻弄されながらも運命を受け入れた覚悟すごいですね。当時はほんとにお国のためでした。私は瀋陽に旅をしたときに愛新覚羅溥傑の記念堂を見てきました。日本の歴史遺産として記憶しておきたいものです。
 さてと、嵯峨姓はあまりないので思い出したのだが、私の小学4、5年生時のクラスに「嵯峨みどり」という子がいたと記憶している。たしか世界遺産に登録された富岡製糸内の社宅に住んでいて、顔が土地の人でなかったのでよく憶えているのだが、同級生に聞いても知らないという。転校生して来てまたすぐ転校したのか、私の幻の記憶なのかわからずにいる。次回、帰省したときに小学時代のアルバムを調べてみようと思っているが、誰か嵯峨を知らな〜いか、、、

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このページは、三休が2017年11月16日 23:02に書いた記事です。

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