2018年5月アーカイブ

大谷翔平選手

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IMG_7205.jpg 平成の宮本武蔵が出現。「平」成の「大」きな「谷」から飛「翔」。
 メジャーリーグで大谷翔平選手の活躍がここ毎日報道されています。私は松井秀喜選手がヤンキーズを去って以来、野球とはすっかり無沙汰になっていますが、現地レポーターとして大谷翔平選手を無視できなくなりました。
 でも私がいまさら大谷選手を追っかけるには、歳を取り過ぎました。好青年の印象を受けますが、フアンになるまで熱くなれない。私が彼に驚いたのは別のことで、高校1年の時にすでに目標「ドラフト1位」を中心部におき、やるべきチャートを明確に作成し、それに向かって一つ一つクリアしていたことです。今は「メジャーリーグ1位」を中心部にそえてやっていることでしょう。恐れ入るのはチャートのなかに「運」「人間性」「メンタル」も課題にしていることです。彼の今日の活躍は、偶然でなく計画的に創造されたものでした。もう天才ですね。
 私が類似した目標達成チャートを作成したのは27歳だったと思う。彼の早熟さに感心し「親の顔が見たい」と思いきや、両親も父が社会人野球の選手、母がバドミントンの選手でした。まさにサラブレッドで、親からの育成が大きかったかと思う。趣味は読書とDVDの観賞で、あとは野球だけ、親から女性スポーツアナウンサーとの交際を禁じられています。このあたりもお見事。
 渡米前に日本ハムの栗山監督が大谷選手に「最近何を読でいるの?」か聞いたら、持ってきた一冊が、天風師の「運命を拓く」だったとは素に泣ける(>_<)。
 もちろん、これは大谷選手の恵まれた素質によるもので、同じことをやったからとて、誰もが大谷選手になれるわけではありません。でも、この目標達成チャートは、平成の若者によき見本になると思う。

518K-gOZg8L._SX351_BO1,204,203,200_.jpeg 柳澤桂子女史の知性に魅かれ「永遠のなかに生きる」を読みました。
 著書は書き下ろしでなく、これまでの書かれたエッセーを、出版社が編集したものです。女史は「般若心経」とそれに関連した「信仰告白」の二冊を書き終えて筆を置いています。「この2冊の仕事を終えて、私はしおれた花のように、文章を書く意欲をまったくなくしてしまったのです。仏様のお導きであったかのように、それでいいのだと納得できるのです」と、女史の知性は引き際までわきまえていて誠に天晴れです。
 著書の内容はこれまで書かれたエッセーですから、同じトーンになっています。それでも最終章の「豊かな未来に向けて」の書かれた「感動の大切さ」「美しい本の思いで」「天才音楽家の遺伝子」「教育の臨界期」「音楽と文字」「宗教と科学の真理」「慈悲の遺伝子」は、一読のおすすめです。
 生命科学者としての女史の信仰は:「私は宗教をもっておりませんが、自然、宇宙に対する祈りの気持ちはいつももっております。こんなに弱い、こんなに小さな私を今日も一日無事に過ごさせていただいたことに感謝します。そして、どんなに辛いことがあっても、それは私にあたえられた試練と思って、祈りのうちに享受します」。
「人間の意識の進化は、アニミズムにはじまって、人格神を求める自我が育ち、さらに人格神を超越したところに、より進んだ信仰の世界があるのだと信じております」。
 女史の宗教観は私とほぼ共通していますが、私はたとえ辛いことがあっても「試練」でなく「修行」と捉え、意識の「進化」でなく「還帰」と考えています。
 「美しい本の思いで」では、女史は幼児期に「若草物語」、こんまりは小学1年時の「不思議な国のアリス」を宝にしていました。このあたりは女性の幼児体験なのでしょう。私は小学時は「イガグリ君」の漫画だったかなと思う、、

こんまり教祖

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IMG_7624.jpeg 本との出会いは面白いもので、ここ数年来でたいへん感動した2冊はいずれも安倍首相夫妻による本でした。
 1冊は2013年かに首相がアジア訪問から帰国した時に、百田尚樹著「海賊とよばれた男」を、マスコミに見えるように抱えてタラップを下りてきたのが縁でした。これは首相のおすすめ本のメッセージだと理解しました。
 1冊は昭恵夫人が、2015年にニューヨーク訪問の折、近藤麻理恵(こんまり)著「人生がときめく片づけの魔法」を、著者と一緒に英語版をプロモートしていたので知りました。この著書はニューヨークタイム誌でベストセラーになり、世界で300万部突破、TIME誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれました。私は日本語、英語、中国版の著書を購入して知人にくばり歩いたものです。著書の内容は同年6月17日付けの元気ブログで書いていますので略します。
 彼女はその後、日本のTVバラエティー番組で持ち上げられダメにされてしまうことを心配しましたが、聡明なことに日本離れ2児の家族ともにカルフォルニア州に長期滞在し、お掃除魔女を続けているようです。いまでは日本の掃除だけでなく、世界の魔女を目差しているようです。「日本を洗濯する」どこかで聞いた台詞です。
 彼女は掃除教の教祖、心の掃除法がしっかりとした哲学になっています。さしずめ私はこんまり信者ってところで、毎年5月の鼻水期が終ると無性にこの本を読みたくなり、こんまり掃除をはじめています。
 5月後半は「こんまり」です。 さて、今日は靴と下駄箱から始めます、、 

五月のこと

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IMG_7576.jpeg 5月2日に富士山から当地のオフィスに戻ると、八重桜が満開で待っていてくれました。
 八重桜が散りはじめて花絨毯になると花水木の開花がはじまります。花水木はアメリカの東海岸が原産ということもあり、どの家々の庭に見られるほどポピュラーです。Dogwood(犬の木)という名称が気に入りませんが。
IMG_7612.jpeg 花水木の開花とともに私の鼻水期がはじまります。車を外に一日おくだけで花粉に覆われ薄黄色になるのですから、この時期に花粉が目を刺激し、鼻から気管に浸入し、くしゃみと咳が出るのは当然のことだと諦観しています。
 ハナミズキが散りつつじが咲き、樹木の若葉が茂りはじめると、私の鼻水期が治まり初夏となります。そしてじき新緑の散歩シーズンがはじまります。
 毎年こうした大自然に織り込まれた秩序に感心し、しみじみ私も自然サイクルのなかに組み込まれていることを実感しています。
  空〜を押し上げて くしゃみする君 五月のこと〜♪

甲州勝沼ワイン

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5:13.jpg 富士山を堪能していたらすっかり里心がついてしまった。富士みやげに甲州勝沼ワインを書いたら下山したく思う。
 スカイツリー634メートルにある「ムサシ」レストランは、すべて東京近辺の食材にこだわっています。私はここで初めて国産の赤ワインを飲み、なかなかやるなという印象をうけました。
 昨年の暮れ池袋の和食料理の店とコラボレーションという勝沼鳥居平の赤ワインを飲みましたら、ワイン特有のアクがなく喉に抵抗なく流れて実に美味しかった。これまで飲んだワインのなかで一番美味しく感じました。
 私は本来ワインの銘柄にこだわりはなく、適当な価格で美味しく飲めればそれでいいのですが、今回は上野の和食料理店で、鳥居平今村の赤ワインで、UTFM富士レース完走の前祝をしましたが、これも美味しかった。そのときにヨーロッパ産と国産ワインは何が違うのかなと不思議に思いました。
 それが富士「忍野八海」の透明な水を見たとき、水質の違いだとガッテンが行きました。日本のワインは軟水で、ヨーロッパのワインは硬水をベースに醸造されていました。ですから軟水で育った私が、アクを覚えずにすんなり美味しく飲める分、ヨーロッパ人はアクがないワインに物足りなさを覚えるのだろう。
 政治に地政学というという呪縛があるように、文化にも水質の宿命があり、日本食文化に軟水は切り離せないようです。

満月にほうとう

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800px-Houtou.jpeg いまさら甲州の「ほうとう」を、紹介しても始まらないが、半分ほど放蕩外国人の私にとり、初めてこのメニューを知りました。
 小麦粉を練り太く切った長い麺に、カボチャや山菜を入れて味噌仕立ての煮込みです。上州の「お切りこみ」や、中国山西省の「刀削面」に近い郷土料理(ちなみに中国語は略字で「麺」を「面」と書き、麦の由来もなく味気ない)。いずれも私の大好物、今回も三食とも「かぼちゃほうとう」を食べてしまった(毎日でもいい)。
 漢字にこだわる私は、日本語にも中国語にもない「餺飥」の漢字が気になってしかたなく、語源を調べますと、大和語で穀物の粉を「ハタキモノ」と呼び、ハタクを経て「ほうとう」になったのが有力説で、漢字は当て字でした。でも、私は湯の中に菜を放つ「放蕩」にしたい。
IMG_7471.jpeg日本ではこの粉食文化は縄文時代からというから私の遺伝子にも「放蕩」が刷り込まれているのだろう。4月29日、昭和天皇誕生日(私めの結婚記念日)の満月に、甲州「小作」レストランで連夜「かぼちゃほうとう」に、甲州勝沼の赤ワインでもう最高!!
UTFMサポーターの責務も忘れ、早くも完走の前祝いでした。

富士の命水

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IMG_7454.jpeg UTFMサポーターのついでに、もう一つ楽しみにしていたことは、富士の名水を飲むことでした。
 河口湖に着くと早速く「この水をひとくち飲めば湧き上がる千人力」という「登水」を求め、2泊3日間お世話になった。
IMG_7565.jpeg 霊峰富士山に十万年もの歳月をかけて積もった玄武岩地層で、雪解け水が地下の不透水層という溶岩の間で数10年の歳月をかけて濾過され湧きでてきたパナジュウムを豊富に含む天然水とのこと。
 その湧き水の極めつけは、世界文化遺産構成資産になっている「忍野八海」に、透明度の高い美しい湧池です(海なし県の人には池が海に見えるのだろうか)。
 湧池はかつて富士登山の前に禊に使われ、富士講の行者らによる信仰の場として巡拝されてきました。惜しくも禊ぎの信仰は廃れましたが、湧き水はいまでも霊峰富士を地下でささえています。富士が荘厳で美しく見えるのは、裾野の山々とそれをつなげる地下水脈にあるようです。大切なものは目に見えないということで、日本の山々に美しさは地下水脈がささえているようです。日本文化の生きた世界遺産として大切にしたいものです。
IMG_7456.jpeg この日も「忍野八海」の観光客の大多数が中国人で、お土産屋に入ると中国に迷い込んだ錯覚を起します。なぜ彼らが東京や京都でなくわざわざ富士なのかと思ったが、考えますと今の中国にはこの透明な水と飲み水がないのです。透明水は彼らが心から欲しい見果てぬ中国の夢なのだと思う。彼らにとり富士の命水は、水光を観る巡礼なのです。
 水の湧星・地球、瑞穂の富士ってところでしょうか。

ここに

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IMG_7374.jpeg たぶん再訪はないと思う河口湖町勝山中学校に、UTFMのサポーターとして一期一会。
 校舎はこの地域に不釣り合いな建物、その正面に富士山が見事にそびえ、幸いにもこの朝かすかであるが赤富士を撮らえた。
IMG_7379.jpeg 感心なことに校庭にいまだ現存する二宮尊徳の銅像が富士に向かって読書をしている。と、それと並んで女性の裸像、同校を卒業した著名な芸術家の作品なのだろうか。その中間の石碑に;
 「真白の富士 真澄の湖 その心ここに 深く深く ここに」とある。
IMG_7381.jpeg いったいこのパロディーをどう解釈したらいいのかと目眩がした。
 しかし、積み木のような校舎でしたが、「ここに」窓から壮大な富士山を眺めながら勉学できる学生が、素に羨ましかった。
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UTMF_pace_chart2018_JP.jpeg ウルトラ・トレイル・マウント・富士、UTFM170キロは、標高約900メートルの富士こどもの国をスタートし、高低差8100メートルの富士山麓、登山道、林道、獣道、歩道を、大池公園まで制限時間内46時間に走破する耐久レースです。登り坂は歩き、下り坂は走り、夜はヘッドライトで進みます。A5の勝山関門までが、夜通し走った選手たちの苦しい大きな山場で、文字通り山に勝つか棄権するかの峠となります。勝山で富士山が選手たちの正面に来ます。
4/28.jpeg レースは自らの心身の可能性への挑戦で、他の選手に勝つことや順位を競うことでなく、あくまでも自己との戦いを目的としています。
 速い選手は平均走行速度8.5キロ、19時間20分ほどで走破し、最終走者の走行速度3.7キロ、45時間58分で完走しています。その差は約26時間30分で、選手たちはこの時間差のなかで、自らのペースを制御して10ヶ所の関門(エイドステーション)を、通過して行きます。各関門で制限時間外の選手は失格ないし棄権となります。娘婿は事前に平均走行速度を4.85キロに想定し、結果として速度5キロで、誤差1時間の35時間10分、187番目の完走でした。完走者は900人で約60%。
 関門ではサポーターが待機し、選手はここで休息、着替え、食事、時に仮眠して体調を整えて次の関門に進みます。人生百年時代がささやかれる昨今、こどもの国のスタートを誕生として、ゴールまで10ヶ所の通過儀礼があり、それを1つずつ乗り越えて完走するレースに、人生の縮図をみる思いでした。
 誰のものでもない貴い自分の人生道、己のゴール目指し、自分の力で完走するしかないわけで、今回はそんなことを教えてくれたレースでした。
  富士の風 扇にのせて 江戸土産 (芭蕉)

IMG_7323.jpeg スポーツが商業化されているなか、4月のボストン・マラソンでアマチュアの川内優輝選手の優勝は、世界でただ一人と欧州メディアで驚きとともに称賛されています。スポーツはプロだけのものでなく、本来こうあるべきという欧州のスポーツに対する成熟度がうかがえます。
 私の4月は、ウルトラ・トレイル・マウント富士、UTFM170キロのサポーターでした。このレースにもこうしたアマチュア走者1480人(男1230、女250人、内外国人230人)がエントリーし、この他にも抽選にもれた人が2000人といいますから驚きです。
 彼らはエントリー費2万8千円、交通費、宿泊、諸経費すべて自費で参加しています。完走しても何の公式記録になるわけでなく、完走記録の時間が書かれた賞状とトレーナ・チョッキ1枚というものです。常識から考えますと、呆れて溜息が出るほど信じられない馬鹿らしさで、開いた口がふさがりません。にもかかわらず、なぜ彼らはこんな馬鹿らしいレースに喜んで挑戦するのか、いまだに理解できずにいます。
 なかには100キロ地点を泣きながら走っている女性を見ましたが、彼女は辛くて泣いていたのか、嬉し涙なのか全く理解できません。また完走のテープを切った時に、多くの選手が目に涙を溜めていましたが、これは達成感からくるドーパミンの幸せホルモンによるのか、私の理解を遥かに越えたことばかりでした。
 本来スポーツの語源の由来は「気晴らし」「楽しみ」「遊ぶ」ですから、彼らは馬鹿らしさを承知で、それでも走るのが好きなのでしょう。それがサポーターにも心地よく響いてきました。人間の脳内には損得だけでは推し量れぬ何かがあるようです。
   山路来て 何やらゆかし すみれ草 (芭蕉)

IMG_7552.jpeg 今日から5月。
IMG_7268.jpeg アメリカに戻る今日になってやっと体が本調子。池の端から上野恩賜公園の散歩をすまし、これから荷物の整理になります。
 アメリカに戻りましてから富士UTFM170キロレースについて考察してみたく思っています。それではまた。
 
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