2019年5月アーカイブ

令和元年5月

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 日本文化史を飾る素晴らしい令和元年5月でした。
 いまだ万葉の余韻のなかで6月を迎えます。
 万葉ルネッサンスとしての調和と秩序を書きはじめますと、これだけで1冊の本になってしまいブログでは書き収まらないので、余韻が消えましたら少しづつ書いてみたく考えている。
 6月もよい月にして行きましょう!

小さな星条旗

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IMG_9084.jpg メモリアルデーのランチは、久しぶりにピザにしました。しかも手でなくホークとナイフを使っての食事でした。
 10テーブルほどの小さなイタリアンレストランでしたが、それぞれの卓上に星条旗と花が飾られていました。店主の小さな心使でしたが、アメリカンのファンダメンタルにまだまだこの国は行けると勇気づけられました。
 当地のメモリアルデーは爽快な令和日和となり花粉症シーズを終え、今日から公園の散歩と晩酌を解禁しました。幸い今年も目の痒みと、喉の軽い痛みと、時たま出るクシャミだけで済みました。外界から直接に目と鼻と喉に花粉が侵入するのですから、外敵に「おう来たかと」防衛反応は、病気の「症」でなく健康の「気」元気の印です。
 この日、トランプ米大統領の来日を締めくくりの舞台として、横須賀基地に向かい海上自衛隊最大のいずも型護衛艦「かが」の艦上に、日米両首脳が並び立ち「法の支配に基づく秩序を脅かす中国」に対し、揺るぎない日米同盟の決意を強く印象づけました。
 我が社のオフィスもサボテンに挟んで星条旗を飾っています。
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日本自立論

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 61IO2XkcAsL.jpeg 令和元年のご祝儀読書は、徳仁親王述「海運史から世界の水」についで、加瀬英明と馬淵睦夫両氏の対談「グローバリズムを越えて自立する日本」でした。
 私が日頃から尊敬している両氏の主張は、たくさんの動画で拝聴できますが、この機会にハードコピーで読んでみることにしました。
 両氏は敗戦から75年になっても未だに精神的武装解除が続き劣化する日本ですが、令和の時代に憲法を改正し伝統文化に基づいた精神的に自立した日本を取り戻すことを指針としていました。
 敗戦で受けた精神的な打撃を、平成時代まで引きずってきましたが、令和時代はこれを超えて新しい元気を持って日本を建設して行こうと主張しています。過去を否定し恨むという左翼的なマイナスな感情からは、自立という積極的な成果は何も生まれない。
 国士である両氏による維新「後ニ続ク者在ルヲ信ジ」の対談でした。

メモリアルデー

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IMG_9040.jpeg 来週5月27日はメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)。毎年この時期に退役軍人による赤い羽根(ポピー)の募金活動があります。
 私はトランプが大統領になって以来、1年間に貯めたお釣りコイン(小銭)を募金し、国に命を捧げた軍人を追悼することにしています。アメリカは軍人によって守られています。
 今年のメモリアルデーは、トランプ大統領が訪日中でして、米軍基地で追悼スピーチを行う事かと思うが、米中覇権戦争の真っ只中で実に意義深い儀式になります。 
 昨今のトランプ大統領の対中国の厳しい姿勢、「国家非常事態宣言」を発令し、ここまでやるかと驚かされるが、この覚悟は彼でなければここまでやれない事です。彼の給料は全て寄付して1ドルの報酬と確固たる信念だけでやっています。アメリカはこの時期にいい大統領を得たものです。
 アメリカは全力で中国の覇権を潰す覚悟です。いまアメリカの同盟国としての日本の覚悟が問われています。独裁政権がアジアの覇権を握れば日本は中国の属国になり下がります。
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「水道をゆく」

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IMG_8901.jpeg 私は司馬遼太郎史観で日本史を学んだので、日本に何か出来事があるとついつい司馬さんならこれをどう観るかという問いかけが習性になっています。
 先日も百田尚樹著「日本国紀」を読むにつけ、なぜか無性に司馬さんがこいしくなってしまった。そして今回も御世代わりを司馬さんならどう観ただろうかと想い巡らしました。
 私の記憶でたしか2つほどかつての皇太子、皇太子妃にふれたエッセイがあると探してみたが見つからず、友人に頼み3日がかりで見つけ出してくれました。 
 司馬さんが草莽の士として若き日のお二人をやさしく見守る眼差しをそのまま書き出してみました;

 『無題(皇太子さまと小和田雅子さん)』
 皇太子さまには2度お目にかかりましたが、素晴らしい青年で、私の周りにもあんなに礼節と知性をそなえた人は見当たりません。雅子さんはすてきなお婿さんを選ばれたと思います。四、五年前にことをゴシップ風な記事として読みましたとき、この人が未来の皇太子妃になってくださればわれわれ草莽の者はうれしいんだけどな、と思いました。せっかくお仕事がおもしろくなったときに、それをお辞めになるのはお気の毒ですが、しかし皇太子妃になられれば日本国がもっとおもしろい角度から見えてきて、知的にも十分ご充足なさると思います。 (産経新聞朝刊、平成5年1月)」

 『お手洗い』
 いまの陛下(上皇天皇)が皇太子時代のことです。
 三浦朱門さんが文化長官で、「何か話をしろ」といわれて、赤坂の東宮御所に行きました。皇太子ご夫妻とお話をしているとき、浩宮さんは入り口近くに控えておられました。
 一時間ほど経って、私は手洗いが近い者ですから、浩宮さんに、
 「お手洗いはどこでしょうか」
と、おたずねしたところ、浩宮さんは廊下の奥のやや歩きごたえのあるところまで、案内してくださった記憶があります。
 普通の家庭でもお客に対するこういう作法は、若い人には疎いんじゃないでしょうか。
 三浦さんが後で、「あの人は将来皇太子になる人で、おまえ、失礼だよ」と、笑わずにいったのが、おかしかったですね。  (アサヒグラフ、平成5年1月)」

71cQoaPrY1L.jpeg 令和のはじめはご祝儀読書で、徳仁親王述「水運史から世界の水へ」(平成31年4月NHK出版刊)でした。
 「水の恵み、水と地球、水と私たち」は、新天皇陛下ご即位の記念出版になりました。アマゾンではやくもベストセラーになっていまして直ぐに取り寄せましたが初版本を逃しました。書評は控えますが、陛下の全地球的な視野、目線のやさしさ、バランスのとれた格調高い天晴れな著書でした。
 天皇陛下は登山を好み、これまで170余の山に登られたことは知っていましたが、水に関してここまで学術的に深く研鑽されておられたことを初めて知りました;
 「八ケ岳は私の好きな山の一つで、最高峰の赤岳をはじめとして、今まで3回ほど登っています。実際に登ってみるとよくわかりますが急峻な地形です。登山の際に湧水『乙女の水』を口にしましたが、大変冷たくておいしい水でした。」
 「乙女の水を口にするお姿」、なんとも詩的で現代の神話を読んでいるかのようでした。
 水を分かち合うことの大切さ、江戸時代から使われてきた山梨県にある「三分一湧水」の分水池に、農民が置いた「水分石」施設を紹介しています。そして今日でも日量約8500トンという豊富な湧き水を、地域に三分の一ずつ分けて、豊かな農業を支えていると説明しています。
 「川から眺める景色は、陸上からのそれとはまた違った広がりを持つ良いものです。日本でも人々が水に親しみ、水上交通が改めて見直されることを願うとともに、日本に限らず世界の川や湖がその美しさを今後も保っていかれることを願っています」。
 またここに「令和」を考案した中西進の「万葉集全訳注原文」から、大伴家持の雨乞の長歌を引用し「万葉の時代、渇水に苦しむ人々は、空に浮かぶ白雲を仰いで雨乞したのでしょう」と偲んでおります。
 締めくくりは前田普羅の俳句;「立山の かぶさる町や 水を打つ」を紹介し、「立山が覆いかぶさるようにそびえる富山の町で、人々が夏の暑さをやわらげるために通りに水を打ち涼をとっている」日本の原風景で結んでいました。
 いずれもが令和の観光名所になることでしょう。

tumblr_pr0jnq2n8l1qb12quo1_500.jpeg 新天皇皇后両陛下の一般参賀に14万人が参加し、長い列が皇居から東京駅まで続きました。けして権力や人から強制されたのでなく真心からの祝意でした。
 目には見えなくとも、そこには新天皇皇后両平陛下と国民との魂が一つに溶け合うシンフォニーが美しく実在し「象徴」とはこのことかと想い起されました。
 陛下と国民の真心によって今上天皇が創られて行きます。雅子様のこれからの体調を心配されていますが、国民の念波がそれを癒して行くことでしょう。天皇を支えてきたのは国民なのです。雅子様はまさに雅の子です。それに21世紀の大切な課題である家族愛の再生は愛子様に象徴されてきます。
 これは別件ですが、名は体を表すようで、左翼陣営が席巻する沖縄で孤軍奮闘しています我那覇真子(かなはまさこ)さんは、平成元年生まれ30歳「我は那覇の真の子」となっています。令和でも彼女の健闘を讃えたい。

tumblr_pqk5icfV9u1w1yutso2_1280.jpeg 平成時代に団塊の世代が憲法改正をせぬままやり過ごし、令和の初めての憲法記念日です。
 日本が本来の日本を取り戻すために、どうしても避けて通れない「占領憲法」が、令和になった今も頑として立ちはだかり、日本文化が直面する最大の政治課題になっています。
 現憲法のままでは日本はますます弱体化して行きます。御世代わりに若い世代が見せたあのハシャギぶりは、集団無意識に自分ら日本のアイデンティティとはなんなのか、世界の中で日本はどういう存在なのか、自分自身を発見しようとする動きに見えてきました。それを見るにつけ我々団塊の世代が無責任にも回答を保留した申し訳なさを感じます。
 国家の基本法である憲法は、何よりも自国の歴史と伝統文化を基盤としなければならないのですが、占領憲法は日本民族の歴史的精神や伝統をズタズタに切り裂いたものでした。ですから現憲法の「前文」から見直さなければならないのです。「前文」は国家理念、国民史的な理由を盛り込むべきなのです。日本国民にとって国土における歴史は、神話的起源を含めれば少なくても三千年の歴史が、祖先代々から我々と我々の子孫に受け継がれています。現憲法は「日本国民は、恒久の平和を念願し」、「諸国民の公正と信義を信頼する」、自由と民主主義と人権の法の支配を謳いますが、それが日本国民にどうかかわるのか全く答えていません。なぜ「日本国民は、恒久な平和を念願」するのか、敗戦によるからなのか、それとも国民史の根深い要求に根ざしたものなのか、現憲法に対しての疑問は尽きません、この切実な問いかけは切れば赤い血が流れるような日本国民史の命をかけた問いかけなのです。
 令和において憲法の「前文」を改正し、若い世代と子孫に向けて日本国家はどういう国であるべきか、どういう国家になりたいのか、という理念を謳わねばならない秋(とき)になっています。

春はあけぼの

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 「令和」元年。お祝い気分で令和時代に入りました。
  より善い時代にして行きましょう。

 見上げれば れいわの空に こいのぼり (三休)

 楠千年 ふたたび今日の 若葉かな   (杉山彦一)
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