令和の憲法記念日に

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tumblr_pqk5icfV9u1w1yutso2_1280.jpeg 平成時代に団塊の世代が憲法改正をせぬままやり過ごし、令和の初めての憲法記念日です。
 日本が本来の日本を取り戻すために、どうしても避けて通れない「占領憲法」が、令和になった今も頑として立ちはだかり、日本文化が直面する最大の政治課題になっています。
 現憲法のままでは日本はますます弱体化して行きます。御世代わりに若い世代が見せたあのハシャギぶりは、集団無意識に自分ら日本のアイデンティティとはなんなのか、世界の中で日本はどういう存在なのか、自分自身を発見しようとする動きに見えてきました。それを見るにつけ我々団塊の世代が無責任にも回答を保留した申し訳なさを感じます。
 国家の基本法である憲法は、何よりも自国の歴史と伝統文化を基盤としなければならないのですが、占領憲法は日本民族の歴史的精神や伝統をズタズタに切り裂いたものでした。ですから現憲法の「前文」から見直さなければならないのです。「前文」は国家理念、国民史的な理由を盛り込むべきなのです。日本国民にとって国土における歴史は、神話的起源を含めれば少なくても三千年の歴史が、祖先代々から我々と我々の子孫に受け継がれています。現憲法は「日本国民は、恒久の平和を念願し」、「諸国民の公正と信義を信頼する」、自由と民主主義と人権の法の支配を謳いますが、それが日本国民にどうかかわるのか全く答えていません。なぜ「日本国民は、恒久な平和を念願」するのか、敗戦によるからなのか、それとも国民史の根深い要求に根ざしたものなのか、現憲法に対しての疑問は尽きません、この切実な問いかけは切れば赤い血が流れるような日本国民史の命をかけた問いかけなのです。
 令和において憲法の「前文」を改正し、若い世代と子孫に向けて日本国家はどういう国であるべきか、どういう国家になりたいのか、という理念を謳わねばならない秋(とき)になっています。

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このページは、三休が2019年5月 3日 23:06に書いた記事です。

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