もう一つの天安門

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 64天安門事件の遠因になった文化大革命を、人類は決して忘れてはいけない。
 中国共産党の最大のタブーの大悲劇で、これに比べれば天安門事件はまだ小さな事件なのです。毛沢東が発動した文化大革命1966年から10年間の権力闘争で、800万〜1千万人以上の死者犠牲者を出しました。毛沢東にとり権力掌握のために死者の1千万人などどこ吹く風なのです。
 階級闘争「造反有理」の名の下に、文化と知識人が否定されことごとく粛清され、教会や寺院は壊され、仏像は溶かされ僧侶が迫害されました。司馬遼太郎の現地レポートでは「子供達に孔子のゴム人形を鉄砲で撃たしたりしました」。また地方では飢餓から人肉まで食らいました。
 人心は荒れ果てまさに呪われたこの世の地獄でした。農村に下放した習近平は文革の落とし子で、そのトラウマから権力闘争に執着します。ただ文革で唯一の教訓は、もう2度とこのような大惨事を起こしてはならないという指導者の間に暗黙の了解があり、それがその後の経済発展に結びつきました。ただ半世紀も過ぎると文革の記憶も薄れ、歴史を隠蔽して学ぶ事もなく権力闘争の兆しが見えてきました。
 天安門広場の毛沢東記念堂にはいまだに「偉大なる導師は永遠に朽ちない」と記された遺体が安置され、人民大会堂の正面に大きな肖像画を掲げています。
 さらに、あれほど孔子を批判しておきながら、今では世界各地の大学に孔子学院を設置して文化工作を行い、ノーベル平和賞に対抗した孔子賞まで設けています(毛沢東賞でないだけまだまし)。ったく文革の地獄を知る者にとっては、ちゃんちゃら可笑しく臍が茶を沸かします。
 私は毛沢東の肖像画が降ろされ、遺体がどこかに移転するまでは、天安門に行かないと密かに決めています。そしてでき得れば、近い将来の再訪を待ち望んでいます。

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このページは、三休が2019年6月 4日 23:51に書いた記事です。

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