若きサムライのために

| コメント(0) | トラックバック(0)

51N8QW0NQ4L._SX322_BO1,204,203,200_.jpeg 12月の読書は三島由紀夫著「若きサムライのために」から始めた。
 三島由紀夫50周忌の追悼会「憂国忌」が、先月25日にありました。もう半世紀が過ぎたのかと感慨の深いです。
 「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」。
 あれから日本はどれだけ変わったのだろう。
 当時は私も「若きサムライ」を、自負していましたが、今では御隠居の身になってしまった。それでも50周忌にあの時の大きな衝撃を追悼したく再読を始めた。
 いまユーチュブで若きサムライが、アメリカ大統領選挙の不正に敏感に反応し炎上しているのを、感心しながら見ています。よその国の事件なのに、なぜ自国の事のようにここまで騒ぐのか不思議でもある。おそらく彼らは直感でこの事件は、明日の日本にも起こることを察しているのかも知れない。いや、すでに起きているのかも。
 そう、これは日本の問題でもあり、その時に国が滅びぬように研磨しているのだと思う。アメリカ人は建国憲法を死守するが、三島氏は「日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。今後もそうだろうと思う。何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局(天皇を象徴に抱く日本)文化だと思うんだ」。
 日本の若きサムライもやがてそこに行き着くのであろう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://www.tempu-online.com/mt/mt-tb.cgi/790

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、三休が2020年12月 1日 03:12に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「トラトラトラ」です。

次の記事は「民は無知でも真実を見抜く」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。