人並の道は通らぬ梅見かな

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51pe2IGcsWL._SX324_BO1,204,203,200_.jpeg 城山三郎著「人生余熱あり」を読み終えた。
 退職後に第二の人生を歩む人間模様を描いています。余熱とはいえ30年前の出版ですので、著者をはじめ登場人物みな鬼籍に入っています。私も30年前にこの著書を読んだと思うのだが、他人事のように読み流したためか、まったく憶えていない。
 私がそろそろ第二の人生を歩むのでと、友人から「今ココ」とばかりに参考になりそうな本を送ってくれています。有り難いことです。
 私は「人生は一回限りで第二はない」と考えているので、余熱ではなく、今もこれからも本熱で行くと思いながら、今回も同じように読み流していたら、赤髭医師の関寛斎の「70過ぎの身で、なぜ」の章に打ち当たり、心が震えてしまった。この本はこの章だけでよかった(本にも邂逅の時があるとはいえ、古本で1円からとは泣けるが、アマゾンならではです)。
 関寛斎の72歳からの壮絶な人生が並んでいます。「人生は百年、七十はまだ中途」と、これまでの黄金生活をすべて投げだし、寛斎発狂説が出るほど厳しい覚悟で、北の果て最も避遠な未開地に開拓民として赴き「寛斎の人生に軟着陸などく、一度限りの人生を深く生き」ていた。
「身体健康かつ僅かな養老費の貯えあり。これを保有して空く楽隠居たる生活をし安逸を得て死を待つは、これ人たる本分たらざるを悟る事あり」、世のため「理想の為に尽くして死に至るは男子たる本分」と己に厳しい。
 形見の歌に;
    人並の 道は通らぬ 梅見かな 

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このページは、三休が2021年5月23日 02:30に書いた記事です。

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