2011年1月アーカイブ

国際人

 国際人とはどういう人なのかと考えてみました。
 何かの本で読んだが、外国での生活に入り込むには、その国の床屋で散髪してもらい、床屋談義を聞きながら店主の口角から飛びちる泡の洗礼を受けることだとあった。
 そんなもんかいなと思いながらも、私は海外生活が40年にもなるというのに、いまだに日本の理容室でヘアーカットし、毎朝ご飯みそ汁、着ている下着といえばすべて日本のものとなってます。三つ子の魂なんとやらで、知らぬ間に憶えた日本理容のきめ細やかなサービス、ご飯と醤油味と寿司、下着の肌触りから脱皮できずにいます。いわば国際人とはほど遠いローカルな日本人です。触感覚に刷り込まれた習慣はなかなか替えられないものです(変える気もないが)。
 それでも私が「自分も国際人になったな〜」と実感したのは、中国出張の折、時間がなくて日本に寄れず、ニューヨークから成田経由で香港へ飛び、そのまま香港から成田経由でアメリカへ帰って来た時でした。成田の上空から母国を眺め、世界で一番好きな国に寄れないさびしさを感じたものです。
 私はここ20数年、年にアジアを8往復、EU諸国を2往復、南米1往復のペースで出張していますが、中国へ行ったら中国の面子基準で付き合い、ヨーロッパに行っても身構えることなく文化的に付き合い、民族の坩堝アメリカではそれぞれ民族の出自に合わせて民主的に付き合い、世界のどこでもあるがままに自然体でやっています。
 いわゆる国際人とは、自国の文化体系と価値基準をもって、相手の文化体系と価値基準を尊重し、そこに共有できる文明基準を設定して交流してゆくトリプルスタンダードを、知識と経験から身につけているリアリストと考えています。
 これは私がいつも言っていることなのですが、「強烈な日本人たることによって、立派な国際人に成り得る」ということです。世界に開かれたナショナリズムとはこのことかと思います。
 ナショナリズムを飛び越えていきなりグローバリズムへ行くのでなくして、オープンでアクセス可能なナショナリズムを通してのグローバリズムであるわけです。
 私も尊い、あなたも尊い、両者の調和はさらに尊いわけです。このどちらかが欠落すると、根無し草の異邦人になったり、排他的な民族主義になってしまいます。


 中村天風は、明治期に世界各地の精神遍歴を通して、先駆的な国際人の原型を形成しています;
 「私は外国であらゆる階級の人に会いました。猛烈な国家主義者にも会った。それから猛烈な社会主義者にも会いました。コミュニストにも会いました。アナキストにも会った。けれども彼らの主義に、いくら彼らが熱心に口角泡を飛ばして話しても感激は感じなかった。私が感激を感じたのは、国籍が違い、民族が違ってもただ一つ変わらないものは、人の真心であります。親切であります。人というものは主義に活きているのではないのだ。どこまでいっても真心一本だと思ったのであります。」
「一遍外国に行って困ってごらんなさい。一遍外国に行って困って親切にされると、地球上に活きる民族に、仮に人間たちが観念の上から人種の別をつけ、国籍の別を創っても、人という生命の活きる存在はおなじことだということに、すぐに気がつくのだ。気がつけば直ちに、主義なんていうことは人間の観念の中の遊戯だということに気がつくのであります。
  人の世に 右も左もなかりける 真中ひとすじ 誠一本
             (「正義の青年」昭和41年講演)

 こうした思いは、いま流行の人権思想ではなく、キリストにおける「隣人愛」に比する、地球上の民族はすべて同じ人間ということを基底にした、「人類愛」とでも称すべきものなのでしょう。

道行く人よ、、

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サイト「宙の心」の開設日にあたり、天風哲理の原点を書いてみたい。
 1919年6月8日、妻に向かって、
 「おい、今朝からはじめるんだ」
 「なんで今日からお始めなさいますの」
 「お釈迦様は7月8日にはじめたとい
から、俺は6月8日だ。にぎり飯をこさえてくれ、にぎり飯を」
 かくして朝9時、上野公園にある精養軒のはす向かい、青葉しげる樹下の台石に、草鞋に脚絆姿の男が立ち、「道行く人よ、来たれいざ」、10人ほどの人に向かって辻説法を始めた。
 中村天風42歳、天風会がここ樹下石上で産声をあげた日であった。

 「なんで6月8日なのか?」
 天風先生は粋な人ですから、口にこそださなかったが、そこには心に秘めた「己の甦らせたこの日に」とい
、熱き想いがあったのではないか。思に8年前のこの日が、エジプトのカイロでヨーガの大聖者・カリアッパ師との運命的な邂逅の日ではなかったかと推測します。
 天風先生が講義の時に、いつも万感に胸を詰まらせて涙ながらに、「巡り会いを想
と、何とも言えない、私は無量の感慨に胸打たれる」と話される、カリアッパ師との出逢いの日です。
 ちょ
ど百年前の1911年5月25日に、小雨そぼふるマルセーユのほのかに暗い港を、求めても救われぬ我が身に、絶望の唾を吐くよにして離れ、同じ死ぬなら「桜の咲く国、富士山の見える国で」と、死に行く帰国の船上にあった。
 それこそ絶望のどん底、いつ死んでしま
かもわからない息をしているだけの屍、病み疲れた男に、、カイロのホテルの食堂で、偶然に出会ったカリアッパ師に;
 「俺と一緒においで、お前はまだ死ぬ運命じゃない、お前はまだ救われる道を知らないでいるから、俺と一緒においで」と、差し出された一筋の光。
天の采配としか表現できない運命的な邂逅の日であります。
 このカリアッパ師との邂逅と、その後ヒマラヤ山麓ヨーガの里での厳しい修行と大悟の日々は、文字通り「起死回生」の人生ドラマでした。
 も
し、この運命的な出逢いがなかったら、「私の今日もある道理がなく、あなた方も私と一緒に喜びの人生を味わことができずに終わったでしょ。因縁ですよ。ど考えてみても、事実は小説より奇なりであります」と、言われているよに、この邂逅がその後の半生を大きく決定つける人生の一大事でした。そであればこそ、己を甦らせてくれた6月8日を、門出の日に選ばれたのではないかと思
 今年も上野公園の樹々は青葉にしげり、蓮台に似た黒い台石の前を、道行く人が通り過ぎて行きます。なんでもない台石でありますが、今なお92年前に、草鞋に脚絆姿で立った天風の、「世の為、人の為」の初志を、そのままに偲ばせています。
 「人生の道行く人よ、来たれいざ」