2012年4月アーカイブ

ヨーガの里に生きる

DSCN3137.JPG 今にして想うと、私が天風師の本を後世に残そうと、出版に意欲を出したのはこの時に始まるかと思います。
 上に写真にあります、おおいみつる著「ヨーガの里に生きる」(新人物往来社)、1979年(昭和54年刊)が、すでに絶版になっていて入手する事ができないため、天風会の先輩から借用しそれを友人が全ページをコピーして綴じて紙箱のケースまで作って送ってくれました。この手造り本は、私の天風関連の第一冊目の本として大切に保存しています。
 1986年、私は池袋にありました大井心理研究所に大井満先生を訪ねて持参したコピー本をお見せし、私のように読みたい人がたくさんいるはずですから、なんとか再版できないものかとお願いしました。お願いというより強制に近いものでした。その時に「ヨーガの里に生きる」前後の生涯も書いてくださるように希求しました。
 大井先生は静かに沈黙したまま即答してくれませんでしたが、思うところがあったかのかと思います。こうした要望はけして私だけでなかったと思いますが、お願いした2年後に「ヨーガに生きる」が、春秋社から再版となりました。そして、ご丁寧にもお手紙を添えてアメリカにまでお送りしてくださいました。再版の後書きに「これで、いただいた多くの御要望にいくらかでもお応えできたかと、安堵している」と、ありました。
 大井先生は天風師の愛弟子として、天風師が逝去した1968年(昭和43年)の頃、会員雑誌「志るべ」の編集をしていまして「哲人追悼特別号」に葬儀・告別式の経過報告を記しています。
 そして、師が逝去して10年の歳月がたち、天風師の愛弟子として時を同じくした者、また、師の生涯を書き残しておく最短距離にいた者の責務として「ヨーガの里に生きる」を刊行しました。
 大井先生はこの著書が出版された心境を、志るべ会特集号に「今の私の胸中に、しきりに去来して止まない、或る一つの事柄ある。それは、現代の日本が生んだ、中村三郎号天風という、一人の偉大な実践哲学の大家が、今後世界の思想史の中で、どのような位置づけをなされるのか、という問題なのである」と述べています。大井先生はその問題定義のために師の生涯の書籍を残されたのだと思います。
 私の聞いているところでは、著書のなかで可能な限り客観的な立場から書くことを心がけ、「中村天風」「中村三郎」「三郎」と、敬称を略したために他の会員から疎まれてしまい天風会を離れる情況になったようです。
 大井先生はその後も「不孤」を心情にして、師の逝去20年後の1989年に「戦場と瞑想」--若き日の天風ーを、30年後の1997年に「心機を転ず」--昭和の激動の生涯--(春秋社刊)を、世に出されて30年間をかけて天風生涯の三部作を完結させました。立派に責務を果たされ敬服の至りです。
 その後に天風ブームとなりたくさんの天風本が出版されていますが、それらの多くはこの三部作からの引用となっています。

 大井先生からいただくお手紙の返事は墨筆で和紙に書かれていまして、いつも私の理入を戒め、理屈はいいから打坐をしなさいという内容でした。一見するとどこにでもいる普通のおじさんの感じで、埼玉の行田駅から在来線で池袋まで通う電車の中を、街中の仙人のように静かに坐っていたのだと思います。世の中には人知れずにすごいお方がいるものです。
 その後、2001年9月に「生命活力の哲学」--中村天風随聞記--を刊行され、私は著書のお礼状をしたため(これが大井先生への最後の手紙になってしまいましたが)、天風師の逝去50年後にもし天風師が忘れ去られる様なことがあったら、今度は私が大井先生の著書を再版する約束をしましたが、大井先生から返事をいただけませんでした。たぶん「それは私の責務ですでに完結している。そんな事はいいからその時間があったら、ただただ打坐をしてひたすら心の純度を求めて行けば、それでいい」と、言うことだったのでしょう。
 最後のお手紙に「心の純度。これこそ人生の勝負どころです。外国で思うようにいかぬこともあるでしょうが、行とは孤独なもの、頑張ってください」とありました。

 大井先生はその翌年2002年5月に帰霊されました。