人工知能と人情味

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 天風箴言カレンダーの13日に;
 「活きる事の努力のみに追われて生活の中の情味というものを味はないと、人生はどんな場合にも真の生きがいというものを感じない」とあります。毎月これをめくる日に「生活の中の情味というもの」は、なにを指すのかいまひとつ解からずにいました。先日、安定打坐中にふと「なんだこれか」と思いました。
 花を見てきれいだな〜に思う心、食事を美味しいただく心、人情にふれていいな〜と思う心、朝日に向かって合掌し、爽快な青い空や夕陽色の美しさに感動する心のようでした。
   "おもしろき こともなき世を 面白く
            すみなすしものは 心なりけり"
 すべては心の置きどころ、人生に情味を味わうとなにごとも有り難く面白く感じてくるものです。
 将棋の羽生善治名人が人工知能(AI)コンピューターと対局すれば、おそらく私が負けるだろうと話していました。それは将棋士が一生かかってもできない数の対局を、人口頭脳同士で何万局と繰り返して強化学習し、あらゆる局面をプログラミングしますので最強です。
 それでも名人ともなれば互角に対戦しますが、人間は詰め一手の一瞬に迷いの心が生じますが、人工知能はなんの迷いも無くプログラムされた通りに差します。それが勝敗を分けるようで、有機質の心と無機質の無情の差です。
 天風先生の言われる「人間に心がなかったらどうなるだろうか。それは庭の中の石ころと同じになってしまうんですよ」。
 たとえ人工知能機士が対局で勝ったからといって、機士に勝利の感動は無く、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、人間はそれ以上のものでして情味が負けたわけではない。情味は人間が人間らしい感情の発露でありAI時代になっても大切のしたいものです。
 AI時代にも心身統一法が普遍性をもつ所以です。

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このページは、三休が2017年3月 2日 23:29に書いた記事です。

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