2019年3月アーカイブ

3:1.jpeg  2014年に打ち上げた「はやぶさ2」が、32億kmを飛行し3億4千km離れた小惑星「リュグウ」にタッチダウンした爽やかなニュースに心が洗われました。2月22日、はやぶさ太郎が竜宮で採集した物質から、海の起源、生命の誕生の秘密に迫まるという現代神話の快挙です。
 天風の宇宙を語る時、地球軌道を遠く離れて月面に降り立った3人のアポロ飛行士のメッセージから入ってみます(「宇宙からの帰還」立花隆著を参考)。
 彼らは静謐の月面で受けた神秘的な宇宙体験を語っています。しかし、月面着陸からすでに50年になるというのに、私たちはいまだに彼らが受けた神秘な霊的体験は月面に放置したままになっています。それは彼らの衝撃的な魂の叫びを、私たちが感受できるだけの霊性心が用意されていないからかだと思う。
 惜しむらくは、1969年にアポロ11号が月着陸した年に天風師は故人となっていることです。もし存命だったとしたら、彼らからのメッセージを感受して「宇宙霊とはこれだよ!」と、膝を打ったに違いありません。

 地球はいきいきとして雄大で、
 その存在は、偶然の産物にしては
 あまりに美しすぎる。
 我々より大きな何かが存在するはずだ。
 宗教的なものでなく霊的なもの。
 人間の作った宗教を超越する
 万物の創造主が、存在するに違いない。
           (ユージン・サーナン)

 ユージン・サーナン飛行士は、アポロ17号で司令官を務め「月面に降り立った最後の人類」となりました。また地球軌道を離れて深い宇宙に一番長く滞在した人類でもありました(2017年1月没)。
 サーナン飛行士は、宇宙から見た地球があまりに美しく、これが偶然に素粒子と素粒子が衝突してできたとしたなら、あまりにも美し過ぎると、彼自身はカソリック教徒でありながら「宗教的なものでなく霊的なもの。人間が作った宗教を超越する、万物の創造主が存在するに違いない」と、語っています。
 これは天風哲理の宇宙霊への問いかけそのものでもあります。

 次のメッセージはアポロ14号に月着陸操縦士として搭乗したエドガー・ミッチェル飛行士のメッセージで、月から地球への帰路にアポロ宇宙船の丸い窓から「母なる星、地球」を眺めた瞬時に;

 宇宙には知性と愛情と調和があることを
 私は身をもって知ったのである。
 そして気づいた。
 己の肉体の分子も、宇宙船の分子も、
 クルー仲間の肉体の分子も、
 その原型ははるか昔に宇宙で創られたものだと。
 すべてはつながっていて一体なのだと。
 他と私ではなく万物は一つなのだと。
 私という人間がここに存在しているのはなぜか。
 私の存在には意味があるのか。目的があるのか。
 人間は知的動物に過ぎないのか。
 何かそれ以上のものなのか。
 宇宙は物質の偶然の集合に過ぎないのか。
 宇宙や人間は創造されたのか。
 それとも偶然の結果として生成されたのか。
 我々はこれからどこに行こうとしているのか。
 すべては再び偶然の手の中にあるのか。
 それとも何らかのマスタープランに従ってすべては動いているのか。
 こういったような疑問だ。 
 いつも、そういった疑問が浮かぶたびに、ああでもない、
 こうでもないと考え続けるのだが、そのときは違った。
 疑問と同時にその答えが瞬間的に浮かんできた。
 問と答えと二段階のプロセスがあったというより、
 すべてが一瞬のうちだったといった方がよいだろう。
 それは不思議な体験だった。
 宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。
 心理学でいうピーク体験だ。
 詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。
 とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。
 世界は有意味である。
 私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
 そのプランは生命の進化である。
 生命は目的をもって進化しつつある。
 個別生命は全体の部分である。
 個別的生命が部分をなしている全体がある。
 すべては一体である。
 一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、
 調和しており、愛に満ちている。
 この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。
 自分は神の目論見に参与している。
 宇宙は創造的進化の過程にある。
 この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。
 進化は創造の継続である。
 神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。
 人間の意識はその神の思惟の一部としてある。
 その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、
 宇宙を創造しつつあるといえる。
 こういうことが一瞬にしてわかり、
 私はたとえようもない幸福感に満たされた。
 それは至福の瞬間だった。
 神との一体感を味わっていた。
 神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神であると言ってもよい。
 宇宙知性と言ってもよい。
 それは一つの大いなる思惟である。
 その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。
 人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムに過ぎない。
 宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。
 この本質が神だ。
            (エドガー・ミッチェル)

 「神の顔にこの手でふれた」、なんと奧深く詩的な宗教感情なのでしょう。
 この言葉に聖パウロの信仰告白にみえる、「もはや我生きるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり」という、人間が到達しえる最高の宗教意識を聴くような思いがします。アポロ飛行士が月から地球へ、「宇宙霊の実在にこの手でふれた」、「もはや地球として生きるにあらず、宇宙霊が地球の内にありて生きるなり」という、宇宙的宗教感情に到達したかのようなメッセージです。
 こうしたアポロ飛行士からの魂のメッセージでありましたが、我々はそれを心耳で聴く準備がなくいまだに月面に放置されたままとなっています。エドガー・ミッチェル飛行士は、熱心なクリスチャンでしてテレパシーやUFOの存在や宇宙人の実在まで言及したものですから、奇人でオカルト的と見られがちなのですが、もっと謙虚に彼の霊的な叫びに耳を傾けてもよいかと思います。
 彼もサーナン飛行士と同じように「この宇宙には、行き当たりばったりで、秩序も目的もない分子集団の運動だけでは説明のつかない、なにかがあるように思われる。私にとって、神とは、宇宙に存在する知性だ」、「うれしかったのは、宇宙には調和があり、目的があり、創造力があると感じたときだ。悲しかったのは、人間はそれを知りながら、それに反する行為をしているのに気づいたときだ」と、語っています。

 天風哲人も生前に「神を人格視しないで、宇宙の法則性で捉えたほうがわかりやすい」と述べています。ミッチェル飛行士の神秘体験である「自分は神と一体」を、宇宙霊に置き換えれば「自分は宇宙霊と一体」となります。
 また、彼の「宇宙には知性と愛情と調和があることを私は身をもって知った。すべてはつながっていて精神的には一体なのだ。他と私ではなく万物は一つなのだ」というスピリチュアル・ ワンネス(spiritual oneness) のメッセージは、天風哲人がインドのヨーガの里で会得した大悟の瞬間そのものになっています;
 「天の声はそう簡単には聴こえない。聴こえないどころか、日がたつにつれてわからなくなってきた。どうしょうもなくなって、もうどうでもいいや、と滝の外の草原で大の字になって雲をながめていた。すると緊張感がす〜となくなり、大宇宙と一つになった気になって、たとえようのないうれしさと喜びが、心と身体をつきぬけた。もう嬉しくてたまらなくなり、ああそうだ、我が生命は大宇宙の生命と通じているのだと思わず叫んだ。まさしく心の感動のエクスタシー、今までわからなかったことがみんなわかった。宇宙創造の叡智を知った時だ、悟りの瞬間だ。これだ! 宇宙創造の叡智はスーパーノリッジなんだ。それがわかった。うれしくて、ありがたくて、自然に手を合わせてしまった。自分が自分に手を合わせた。自分で自分を見ることができないのにうっとりしたなんともいえない喜ばしい顔つきになって、身体全体からオーラがさしているのが、はっきりとわかった。なんともいえない歓喜の絶頂に達して、涙が自然にどっとあふれでた」。
 月へ行ったことのない天風師は、アポロ飛行士より70数年も前にヒマラヤ山脈の麓で、宇宙から「空」の声を聴いて神秘体験をしていたことになります。
 もっとも天風師ならきっと「なにもそんな大掛かりして月にまで行って神秘体験しなくても、私のお教える方法を実行すれば、すぐさまその境地に入れますよ」と言うかと思います。
 次はアポロ15号からのメッセージで;

人はみな神に祈る。さまざまのことを祈る。
しかし、神に祈ったときに神が直接的に答えてくれたという経験を持つ人がどれだけいるだろうか?
いくら祈っても神は無言だ。直接的には何も答えない。
すぐには何も答えない。それが普通だ。神と人間の関係はそうしたものだと私も思っていた。
しかし、月では違った。
祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。
祈りというよりは、神に何か問いかける。するとすぐ答えが返ってくる。
神の声が声として聞こえてくるというわけではないが、
神が今自分にこう語りかけているというのが分かる。
それは何とも表現が難しい。
超能力者同士の会話というのは、きっとこういうものだろうと思われるようなコミュニケーションなのだ。
神の姿を見たわけではない。神の声を聞いたわけではない。
しかし、私のそばに生きた神がいるのがわかる。
そこにいる神と自分の間にほんとうにパーソナルな関係が現に成り立ち、
現に語り合っているという実感がある。
これはどうしたって、すぐそこに神は実際にいるはずだ。
姿が見えなければおかしいと思って、何度もふり返ってみたくらいだ。
しかし、その姿を見ることは出来なかった。
だがそれにもかかわらず、神が私のすぐ脇にいるというのは事実なのだ。
私がどこに行っても神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる偏在者だと言うことが実感としてわかってくる。
あまりにその存在感を身近に感じるので、つい人間のような姿形をした存在として身近にいるにちがいないと思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる。
                (ジェームス・アーウィン)

 ジェ--ムス・アーウィン、アポロ15号月着陸船操縦士は月から「創世記の石」を持ち帰ったことで知られる飛行士です。やはり彼も月面で神秘体験をして「神はあまねく遍満存在している」と、メッセージを送ってきています。
 これもまた天風哲人のいう「神(宇宙霊)はあまねく宇宙に遍満存在している」に重なってきます。日本人で初めて宇宙遊泳した土井隆雄飛行士も、この宇宙に遍満存在するなにものかを、「極端に言えば、霊魂の世界で生きているような感じだった」とメッセージしています。漆黒の宇宙が彼らを瞑想の世界へいざなうのでしょう。
 月面に降り立った3人の宇宙飛行士は、宇宙からの帰還した後に、彼らが神秘体験した神とは宇宙霊あるいは宇宙精神、宇宙知性と一体という実感と、地上の地球人の現実意識との乖離に苦悩していきました。そして、彼らの神秘体験は時の流れとともに一時的なものになってしまいました。彼らは宇宙で受けた精神高揚のエクスタシーを、維持してゆくことができず、また維持する方法を知らないがために、彼らの精神を理解できない現実社会の中で魂の分裂をきたして行きました。

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