創造する生命

創造する生命

 昨日は「創造する宇宙J をテーマにしてマクロ的なお話しをしました。今日は「創造する生命」をテーマにミクロ的なお話をしたく思う。昨日の宇宙の不思議についで、今日は生命の不思議さについてのお話となります。
 生命を無視した科学や哲学は危ないです。科学の究極である原子爆弾は一瞬のうちに人類を壊滅することも可能であるわけですから、我々はしっかりとした生命観をもった科学や哲学が必要になります。人類はたとえ肌の色が白かろうと、黒かろうと、黄色かろうと、命にとって尊さは同じです。その人類共通の大切な命について、これからお話しようと思う。
 「天風会とは何をする会ですか?j と問かれたら、「天風会とは命を扱う会ですと答えればよいと思う。今買ったらすぐに上がるなどという株は天風会では扱っていません。ダイヤを半額で手に入れるなんていう販売方式を、天風会では扱っていません。確かにお金も必要ですし、ダイヤも必要でしょう。しか し、亡くなった人の棺桶にザクザクとダイヤを入れて見たところで何の価値はない。本人が死んでいるからです。ダイヤに価値を与えているのは生きている人問です。誰にとっても生命は大切です。その生命を原理的に捉えて行くのが哲学であります。哲学は原理の学です。哲学には経済哲学、経営哲学、芸術哲学などいろいろな範囲がありますが、哲学の中心をなすものはなんと言いましても生命哲学です。20世紀の科学が物理学を主流とするならば、21世紀の科学はおそらく生命学であることは十分に予想されています。その生命はけしてデタラメで生きているのではなく、呼吸器にしろ、消化吸収にしろ、一つの法則性に基づいて働いています。これを研究して行く学問が科学であります。とくに生命の科学は「生理学」「生科学」これをひっくるめて「 医学」となります。 そしてこれまでに多くの医学博士が生まれ、多くの生命原理が生まれています。
 しかし、原理だけでしたら何にもなりません。その原理を人間の生命において実践されなければならない。そして我々の生命のなかには、すばらし い原理があることに目覚めなければなりません。天風哲理は生命を科学と哲学の両面から理論を構成しています。その理論にもとずいて生命の実践を重視して行く会でもあります。すなわち理論と実践から成り立っ ているもので科学的にも哲学的にも正しい理解をして、正しく実践し、正しく確証して行く会であります。
 今日のテーマもこの生命というものを、科学と哲学の両面から扱ってゆこうと思う。欲張りではありますが、この両面から扱いませとん本当の理解というものに到達できないからです。これだけアウトラインを申し述べて本日のテーマに入ります。
 この大宇宙の根本に巨大なエネルギーがあるということはすでに申し上げ誰もが認めるものであります。そのエネルギーが、中性子へ転化しそこからエレクトロンの電子が飛びだして陽子ができます。この中性子、電子、陽子で基礎的なアトムが造られます。そしてまたその結合によっていろいろな元素ができまして、現在までに約108余の元素が認められています。その元素がまた化合して300万種以上のもの物質ができあがっているというのですからすごい事です。この300万種以上といわれるなかで、いったい我々の体というものは、いくつの元素で成り立っているのでしょうか。
 我々の体の中にある一番分量の多いのは、酸素でして90%を占めます。人間は酸素できていると言って良いくらいです。それならライターで火をつければ爆発するかといえば、そうでもありません。酸素の大部分は化合物でH2Oとなっている水ですから火はつきません。90%の酸素、それから炭素と水素と窒素が主なものです。その外にカルシュウム、リン、カリウム、イオウ、ナトリウム、クロオール、マグネシュウム、鉄、これ辺のところが大部分を占めています。それに本当の微量ですがマンガン、銅、ヨウ素、亜鉛、これらは少しあればで足りるんですね。全部で16種から17種類くらいの元素で人間は造られているわけです。これはイヌでも馬でも人間でも違いがありません。哺乳類はだいだい同じ様な材料でできていることは、分析してみればすぐわかる事です。
 さて、最初はエネルギーであったのが物質を造ってきたわけです。この初段階における物質を無機物質といっています。生活機能をもたない水、酸素等がそれです。それらが炭素を主な成分として進化してくるのを有機物質といいます。無機物質より有機物質のほうがより進化した物質となります。物にも進化あるわけでして、クンバク質、脂肪、炭水化物のデンプンなどは、物質の中でもかなり進化したグル ープですね。その中でも特に複雑に結合しているのがタンパク質です。我々の食べているタマゴ、お肉というものは高分子のタンパク質といわれるものです。分子量が数万から数十万といいますから.生物の中でも横綱クラスです。生物が進化してくるまでには、相当の時が流れているわけです。
 ここで一つのエピソードを、お話しましょう。1887年、明治20年ですが、ベテルブルグ大学のイワノススキーという学生が「タバコの葉にモザイク状の模様ができる病気はいったい何の病気か?」と、テー マを出されて研究していました。モザイク病の黒い汁を取りだして他のタバコの葉につけたところ、やはりモザイク病になったことから伝染病であることがわかりました。それでは、そこに必ずばい菌いるものとして顕微鏡で覗いても見つ かりませんでした。「いったい何だ」ということで、ばい菌を通さないフィルターをつかってみたが、やはり伝染するのでばい菌よりも小さいものがいることがわかりました。そしてこれをフィルターの濾過器を通過してしまうことから、漉過性病原体と名ずけました。ところがこれだけでなく濾過器を通過してしまうものが、次ぎから次ぎへと発見されまして漉過性病原体というものはいくつもあることがわかりました。そしてこのグ ルー プを「ビールス」と名ずけました。ラテン語で「毒』という意味です。英語で「virus」です。
 1935年、今度はアメリカのスタンレーが、このタバコの葉のビールスを結晶として取り出しました。結晶でしたら無生物の物蜇のはずなので すが、この結晶を他の生物の細胞に入れてやるとその結晶が繁殖を始めたわけです。繁殖をはじめれば、それは生物ということになります。そこでよく調べてみると細胞構造は見られず、原形質も持っていな いのですが、核酸という遺伝子の材料はもっており繁殖作用があることがわかったわけです。ある時は物質であり、またある時は生物であることから、 生物学者は驚いてしまった わけです。そこでこれを「半生命体」と名ずけたようなわけです。この半生命体のビールスが発見されてから、無生物と生物の境がなくなってしまいました。ビールスは現在までに60種くらい発見されていまして、みなさま方もすでにビ ールスと関係をもたれた人が大勢います。ハシカこれはビールスですね。おたふく、百日咳、天然痘、ホーソー、狂犬病、黄熱病、ビールス性肝炎これらはビールスですね。エイスもどうやらこのグルーブのようです。このビールスをバネにして出来たのがアメーバ ーです 。アメーバーの細胞はたったの1 個でして最も簡単な生命体ですが、やっていることは素晴らしいことをやってのけます。触覚があり食物選択をもち、消化吸収、排泄作用、そして成長と繁殖と単細胞のくせによくここまでやるものです。35億年後に人類が出て来るのですが、その人類のもっ感覚、弁別摂取、消化吸収、排泄、成長、繁栄の全ての原始形をすでに持っているわけですから、これは不思議かっ驚きです。私は「心身一如J ということが観念的にも体験的にもわからなかったのですが、医学を学らびアメーパーを顕微鏡で見た時にやっとわかりました。これは私にとり偉大な発見でした。「心身一 如」になるほどと納得が行きまして、後は安定打坐をして体験的にこれを把握して行けばよくなったわけでした。
 かくして物質からビールス、そしてアメーバーへと生命は進化してきたわけですが、それではいったい生物とはどういうものなのか、生物はどういう条件を揃えているのか、ここで生物の特徴を生物学的に申し上げておきたく思う;
1.体は細胞から成り立っている。それぞれの形をした細胞構造を持っている。
2.体の物質成分として、タンバク質、その他なん種類かの有機物質で構成されている。
3.体を構成している物質は絶えず変化して行く。新陳代謝メタポリズムがある。
4.外の環境が変化すると、それに反応、対応して行く適応能力がある。
5.体は時の流れの中で変形して行く。生から死までの変形にみられる。
6.体の一部が変り、子供ができる増殖作用がある。
7.子供は親とよくにてくる遺伝作用がある。
8.多くの代を重ねているうちに新しい種が出てくる。
 ここに8っをあげましたが、これらの特徴はバラバラに表れるのではなく、統 一的調 和的にな っていることから、生物学においては「生命は秩序である」、生命とは調和であると言い切っております。ですから生物では、これが一番の特徴であると思う。

 さて、ここから外側の話からだんだん内側のお話しに入いろうと思う。
 35億年の生命の最先端に立って我々人類がいることは誰もが疑うことができない事実です。多くの優れた進化を持っていますが、中でも一番優 れているものは何といいましても大脳の励きである。大脳の働きは他の動物を断然に引き離した人類の顕著な特徴になっています。人間の大脳は第一線級の細胞を140憶個と第二線級の支援細胞を600億個有しています。この膨大な細胞を使って人間は対象を理解し推測し、創意工夫をして 科学を発展して行きました。またこれから理性的な励きとともに、もう一っ「自覚」というものが上げられます。自覚とは直感的に生命的でわかる悟りに近いもので哲学を形成してゆきました。人問はこの理性が開発した哲学と自覚が形成した哲学の両翼の立場に立って我々の生命を正確に捉えて行かなければなりません。イヌやネコは自分がイヌやネコであることもわからぬままに、イヌやネコをやっています。我々は科学や哲学を使いながら、我々人間をもっと理解しなければなりません。なぜならば人問をやっているからです 。
 それでは我々人間をやっているその「命とはなんでしょうか?」これは大きなテーマですね。禅宗に行くと、命というものを捉えようとする考案があります;
 「やみの夜に 嗚かぬからすの 声きけば 生まれぬ先の 父母ぞ恋し」、一般的に考えますとやみの夜にからすが見えるわけがありません、嗚かぬからすの声が聞こえるわけはありません。また生まれてからの父母なんですから、生まれぬ先に父母なんて居るわけないのであります。いったい何を言っておるのかと思うのですが、実はこれは「命の本体は何か」という大きな考案でして、我々の生命の本来元来は触れることのできない、無味無臭で我々の五感を越えた実在であるというのが回答です。我々の五感感覚を越えた純粋直感でもって生命を捉えよとのことです。
 ではその「生命の本質的な働きとはなんでしょうか?」、生命の本質的は活きて、活きて、活きて、活きて、活きて、ひたむきに活きてやまない働きであります。しかし、この感覚を言葉として知るのではなくて生命の実感としなければなりません。すなわちそれは、生命とは活きて、活きて、活きて、活き抜いて行くだけの強いものであります。強いものであるからこそ35億年も活き抜いてきたわけであります。そのうえ生命とは叡智をも持ちます。天風先生は「生命とは素晴らしい力と叡智をもつ」と、断言しております。
 それでは「生命の活動」はいかなるものか?」、生命の活動はけしてデタラメではなく厳しい法則性をもって活動しています。生命の働きは呼吸するにも、消化吸収、排泄するにも、全て法則性をもって働いています。 法則性があるからこそ、そこに生理学、生科学が成立するという事です。その「生命活動の顕著な活動とは何か」といいますと、生命は創造的であるということです。それでは「生命はどんな状態で堅持しているか」といいますと、生命の状態は、活きて、活きて、活きて、活きて、活き抜くのですから、天風先生は「生命の状態は常に積極的である」と言っています。生命が積極的であることは、日夜休むことなく働く自律神経をみればわかります。10万の黴菌が侵入すれば、10万の赤血球を出してこれを食い殺します。
 更にもう一つの生命の状態は「調和的j」であります。我々には体温を一定に保もとうとする恒常性機能があり、交感神経と副交感神経が相互にバランスを取ろうと働いていますし、感覚神経と運動神経が調和を保とうとしています。まさに「生命は積極と調和であります」。天風先生は後に心身統一道を試みた時に表面にでてきましたのがこの積極と調和でした。
 では「生命は積極的で調和的でどの方向に向かっているのでしょうか?」、生命は前進的に進化と向上に向かっています。このことは単細胞から35億年の進化の過程をみれば一目瞭然であります。生命とはよくよく考えま すと素晴らしいものであります。
 ここで一つの結論を述べておきます:
「生命の本質は活きて、活きて、活きて、活き抜く働きをしています。活きて、活きて、活き抜くために、生命は力と叡智とをもつ。そしてその活動は法則的であり創造的である。そして活きている生命の状態は常に積極的で調和的であり、生命の本質は進化的で向上的であります」なるほど生命というものは、すごいものだということがおわかりになると思う。
 以上の生命の特徴を申し上げると、昨日の「創造する宇宙」の結論と一致してくることがおわかりになることと思う。宇宙の大生命から生まれでた小生命ですから似ていていいわけです。一筋の河の流れと同様で、生命の流れの水源にあたるものが大宇宙ということになります。ですから宇宙の大生命と同じように造られているのが、我々の小生命であるから、その特徴も一致してくるというわけです。ここで天風先生のお言葉「我は宇宙霊とつながっている」、「我は宇宙霊と一体である」へと結晶されてくるわけです。

 さてここでさらに大宇宙の支流とされる小宇宙、我々の生命の尊厳についてのお話に移ることにします。
 人間の生命誕生についてお話をしながら、生命の実在というものを、より価値高く評価して行きたく思います。
 人間が誕生する際にいったい男性と女性とがどれほどに関わっているのでしょうか。この問いに対しまして、私は結論から申し上げますと「男女がタッチした分は0.1%で、誕生のきっかけを造ったのに過ぎない 」と考えています。
 誕生までの過程を少し説明します;人間の誕生の始まりは、先ず男性の精子からであります。おたまじゃくしの 形をした精子は単細胞でアメパーと同じですが、生命35億年の情報を持った遺伝子です。これが一回の性行為で射精されます数は3億個から5億個とされています。一方の女性の卵巣は28日ごとに排卵されてちょうど卵管を出てきたところに折りよくこの精子団が突き進みますと、その精子団のうちの1個の精子が卵巣と受精します。3億から5億個の中の1個ですのでゼロのような数字です。しかも女性の28日ごとの機会ですから、双方の空ぶりを換算しますと、まさに5000億分の1の確率といわれますから、人間として有ることは、実に困難で有り難きことのわけです。ですから誕生ということは、科学的にみましても実に「有難い 」ことなのでありま す。 先ずは生まれたということは、尊い有難い事なのでありますから、我々はこの有難い命を大切にしなければなりません。
 かくして受精しますと30時間後には、早くも細胞の分裂活動が始まり子宮に向かつて移動して行きます。3日後には細胞の役割分担が決り6日目には子宮に着床します。20日目に2mmほどになり一本の筋が出来てきます。この筋を形成する時に地球の重力作用が大切とされています。そして2、3日目に立てに走る筋から脊椎ができ胚葉も3つに分れてきます。外胚葉からヒフと感覚器官からと各神経系統が出来上がって行きます。中胚葉から骨、筋肉、そして循環器系統の心臓や血管などが形成され、内胚葉から呼吸系統の肺、消化吸収器官の胃や腸が出来てくるそうです。 
 35日になると指などの輪郭が形どられ、35日に8mmほどに成長し、なんとこの時にすでに子孫への原子生殖細胞が生まれています。60日目に母のおなかの浴水のなかで体は3cmほどに成長してきます。おなかの浴水は原始の海の成分に近いもので胎児にもエラのようなものがあり魚類の時代を経ているかのようです。まま尻尾のようものが表れてじきになくなってきます。
 150日目に脳が日本猿の脳ほどに、8ヶ月目では顔も赤く体毛につつまれたサルのようであり、10ヶ月目で脳はゴリラほどになるといわれています。出産の直前の生まれでる試練として一 瞬だけ酸欠状態に なります。これは母体から離なれて心臓の最後の穴の部分が閉まりオギャーという産声とともに肺呼吸へと切りかわって行きます。生命の最先端にたつ人間生命の誕生です。生命進化35億年を系統発生と言いますが、これを母のおなかの中で、わずか10力月の突貫工事でやってのけるのですから誠に神秘でもあり偉大なるものあります。この一貫したみ は人間の機能をはるかに越えています。おおいなる生命の働きが男女にきっかけだけを造くらせ、後は赤ちゃんが生まれてくるまでの全作業の99.9%を請け負っているわけであります。
 生理学からみましてもなるほどと納得が行きますね。これが正しい大生命に対する認識だと思います。どんなにたくましい男性でも、男だけでは生命は生まれません。どんなに美しいミス ユニバースでも、女性だけでは産むことはできません。男と女に付随しているものが少しだけ違うのですね。違うから喧嘩するのではなくて、違うから協力しなさいということです 。大生命の計画によって成長するとホルモン分泌によって、どこからか恋心が芽生えまして、やがて「むすぶ」という行為がでてきま す。この事を日本人はよくわきまえておりまして、男女がむすばれて出来た女の子を「むすめ」といい、男の子を「むすこ」呼んで、赤ちゃんを「産んだ」とは言わずに「さずかった」と言う表現をしています。仏教では「仏様からのあずかり者」、神道、キリスト教でも「神の子」と言っています。
 しかし、この誕生した生命は有限であります。70か、80か、90年たてば亡くなるのですから有限です。ですから有限の内に子孫を残しまして、その子孫の有限、また有限、有限と、有限が継続しまして永遠の生命というものが創り出されてくるのでありま す。
 私が今ここに存在すると言うことは、父母がいて、そのおじいちゃん、おばあちゃんがいて、そのまたおじい、おばあがいて、そのまた ー ー ー ーと1 億回これを繰り返しみなさい、一世代35年としましたら、35億年のアメーバーの時代に到達します。生命はこのころから活きて、活きて、活きて、活き抜いてきたのであります。私の命もこのころから一度も死んでいないのです。もし死んでいればこの私はこの世にいませんからね。誠に「有り難きこと哉」です 。
 だから私の本当の年は35億年と72歳ということになります。大正9年に生まれたということは現象面の歳でしょ。生物学的にみてもこうなるでしょう。それ以前をさらに物理学的に、また哲学的に遡れば「私は大宇宙とともに生きていた」ということになるでしょ。昭和の何年に生まれたなんてのは大間違いです。
 この偉大なる生命をいただいた私が、いい加減に活きていいわけがないでしょう。「私もうダメ、活きられない」なんて弱音を吐けば、縄文式時代の祖先が「私たちの時代には冷蔵庫も炊飯器も無い時代だったが、大地にしがみっき、はいつくばって活きて、活きて、活き抜いて来たんだよ。 こんな恵まれた世の中でダメとはなんでえ」と、文句を言いますよ 。またいい加減の事をしたら、10万年後の子孫が「平成時代の人類はなんて馬鹿なことをしてくれたのか」と言いますよ。振り返れば祖先、前を向けば子孫、生命は活きて、活きて、活き抜くのですから、我々はいい働きをしなければなりません。祖先の生命があり、私の生命があり、そして子孫の生命があるのですから、私が勝手なことをしていいはずありませ ん。命を単なる70年、80年の単位で捉えるのではなく、永遠の命の中で捉えてゆくのが正しい認識であると思う。
 これが本当の生命に対する考え方です。ですから「私の命も尊い、あなたの命も尊い」のであります。さらには大生命体のなかでは、私とあなたとの区別もなくして同じ大生命の根源からっながっている小宇宙として「自他一如」であります。
 最後にこの永遠の生命の素晴らし真実を把握し、それを見事に歌上げています宮沢章二氏の「ひばりのかあさん」を紹介して終ることにします:

  ひばりのかあさん
            宮沢章二作
  ひばりのかあさん
  たまごを うむよ
  ひとっ ふたっ みっっ
  よあけの むぎばたけ

   たまごのなかに
  なにがあるのか
  わからない
  とっても だいじなものが
  あるの
  だから ころんとひかるの

  ひばりのかあさん
  たまごを だくよ
  ひとっ ふたっ みっっ
  あめふり むぎばたけ 

  たまごのなかに
  だれがいるのか
  わからない
  とってもかわいいものが
  あるの
  だから ぬれてはこまるの
             
    (1993年年2月17日、野口書き起こす)

     

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このページは、三休が2022年6月 2日 23:51に書いた記事です。

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