08. 空の巻

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 空の巻  安定打坐法

  <空の空>

 「安定打坐」(あんじょうだざ)は、心を無念無想にして宇宙霊(宇宙エネルギー)と一体になることを目的としています。
 「霊性の自覚法」とも称し、霊性心を煥発せしめ、ひたすら「宇宙霊と一体」となり、宇宙霊のもつ万能の力を、我が生命のなかへあたうる限り受け入れて活きてゆくことにあります。
 「クンバハカ法」は神経反射の調節を促す「身構え」となり、「安定打坐法」は心を無念無想へ導く「心構え」になります。この両輪が対となって心身が統一されてきます。クンバハカ法を天風哲理の入門コースとしたら安定打坐は卒業コースになります。
 少々禅的な表現になりますが、安定打坐とはまず自己という有我を離れ、雑念妄念を消し去り、多心から一心へ、無念無想へ、そして無心の境地から、宇宙霊(宇宙エネルギー)との一体化へといざないます。そうすることで宇宙大生命と我が小生命を帰一的に同化させて霊性心の煥発を促します。
 心を静かに澄まして空の境地へ、宇宙の大生命と人間の小生命が一体になり得た時に湧いてくる感情は、人生を讃美して奏でる宇宙大調和のシンフォニーです。

  安定打坐をして宇宙霊と人間とが空の世界で瞑合するには;
 
  安定の打坐密法の真諦は
     心耳を澄まし 空の声きく
  心をば 虚空の外に 置きかえて
     五感気にすな 打坐の妙法
  心をば 静かに澄ます 空の空

 「空」とは何も無いでなく、厳密にいえば五感感覚で認識できない「有」となります。「有」には目に見えない音なき空の世界で、宇宙エネルギーが遍満存在しています。ヨーガ哲学では「この世の中にある森羅万象の一切は、すべて何もかも、いずれもみな『空』という唯一のものから作為されている。この『空』なるものこそは宇宙全体の根本主体となす『元霊』である。そしてこの『元霊』なるものには、宇宙生命の生成化育を行う『力』を生み出す『気』というものが保有されている」と、認識しています。
 宇宙大生命を大海の水にたとえますと、我々の小生命はその一滴の水となります。水の実相から見れば大海の水も一滴の水も同じ水で、何らの違もなく分量と場所の相違があるだけです。安定打坐とは宇宙大生命の大海に人間の小生命の一滴の水を、没入させていく法となります。
 天風哲人は安定打坐とは「心を虚空の外におき、人間の小生命と宇宙の大生命とを一体化させ、大自然のもつ神秘な力を、自分のものとして、心の働きを超特的に向上させ、自己の人生を、万物の霊長としていかんなく確保すること」だと教示しています。
 安定打坐は天風師がヨーガの里で取り組んだ瞑想法をもとにして、さらに独自の工夫を加えて誰にでも容易にできるように創建したことから「天風式打坐法」とも称しています。
 打坐による境地と効果は自分自身で会得して直感で捉えるしかありません。打坐をして自分で会得する以外、どんなに知識があろうが理解だけでは会得できません。もとより言葉での表現には限界があるのですがそれを承知の上で説明を加えて行きます。
 そして私の力不足で説明できない部分は、第3部の天風講話「
安定打坐法」で補ってもらうことにしました。


 <養動法>

 いきなり安定打坐行に入っても構わないのですが、その前に養動法を行い、呼吸を整いながら神経の興奮を静めて「調心、調身、調息」の三調をしてから始めますと、そのまま自然に安定打坐に入いれます。
 養動法は安定打坐の姿勢と同じようにし、肩の力を抜き、背筋を伸ばし、あごを引き、手は双輪の印を組んで下腹の前に置きます。軽いクンバハカを保ちながら「ヘソ」を筆にした気持で、水平に「の」字を書きながら上半身を回します。
 水平に「の」字に回転する時、後方に腰を動かすにつれて軽いクンバハカになり、前方に動かすにつれてクンバハカが緩みます。はじめは意識的に「の」字で回転していますと、しだいに養動のリズムに慣れてきまして、気持ちよく体が「の」字に動いてきます。そしてだんだん神経の興奮が静まり、心が安定し、腹が練れ、そのまま静かに安定打坐に入って行けます。
 養動法を継続していますと上半身の姿勢が矯正され活力が全身に充実してきます。また内蔵筋肉のつりやこりをほぐして血液の循環をよくします。養動法は打坐の時だけに限らず、座ってテレビを見ている時など、いつでも気軽にできます。

 
 <安定打坐の練習>

*まず長続きのする姿勢で坐り、肩の力を抜き、背筋を伸ばし、あごを引く
*目を閉じて、手は双輪の印を組み、下腹の前に置きます
*ブザーや鐘の音に耳を傾けて、多心から一心へと誘い込み
*音が消えるのに合わせて、無心の境地に入って行きます。
*音が消えた刹那の静寂のなかで、心を宇宙霊とを一体化せしめて霊性心の煥発に努めます。  

 ブザー音、鐘の音に耳を傾けながら、多心から一心へ、そして音が消えるのに合わせて無心の境へ、さらに本心の煥発へと、ひたすら修練に努めます。
 一心から無心になることで、無念無想の境地に達入し、心が休まり、やがて本心が煥発されて霊性心が呼び醒まされてきます
 安定打坐をしていますと空間感覚や時間感覚が消えて行き、宇宙と自分との境界が取り払われ、自分が宇宙のなかに溶けこんでいる感覚になってきます。
 安定打坐の呼吸は、口を軽くむすび眉間に意識を集中させて、静かに鼻から息をだし腹式呼吸をします。
 初心のうちは宇宙霊との一体感を念じ、鼻から息を吸う時に宇宙霊が自分の体内に入りこんでくることを想念し、口から息を吐く時は自分が宇宙霊のなかに溶け込んで行くのだと想念します。想念とともにこの呼吸を続けていますと、ついには宇宙霊との一体感を感じられます。
 手の印の組み方は、両手の人差し指の第二関節のぴたりと密着させ、片方の小指を軽く引き締める。親指には力を入れず、両人差し指の上に軽くのせて、両親指と人差指の四本の指の脈が一つに感ずるようにします。そうして四本の指の脈が一つに感じられたら意識を眉間に集中させますと無心の境に入ってゆけます。
 こうして三昧の境地に入ることで霊性心が発現されて、我は宇宙霊の根源と同質一体であることが会得されてきます。そうしますと人間の最高本能がよび覚まされ、宇宙霊の見えざる神秘の力が、自己の生命のなかに受け入れられたことになります。
 人間は誰もが霊性心をもっています。安定打坐を行うことで霊性心が煥発されてきますと、信念が増幅されるだけでなく直感が研ぎ澄まされ自分でも不思議なくらい名案が浮かんできたり、人の心が読めるといった働きがでてきます。
 また本心が宇宙霊との一体感を把握した時に、体内に大きな不思議な力が湧き起こってきたりします。そしてその不思議な力で危機一髪の生死の境から助かったり、重い難病がいつの間に治ったりと奇跡的な現象が起きることにもなります。

 <私の安定打坐練習法>

 私の朝60分の行修は、天風師のCD「神人冥合」13・14に8分間収録されている安定打坐法で始まり、安定打坐法で終わっています。天風師が言われた「私が死んだ後にも波動は残る」という波動による指導を受けています。
 カセットテープの電動機のブザーの音に耳を傾けながら「有我一念」となり、音がパッと消えた瞬時に「無念無想」の境地に入る修行をしています。天風師はこの境地に「入る」と表現していまして、理屈で解ろうと解るまいが、絶えず働き続けている心の疲れを一瞬でも休める効果があるとしています。この境地が「神人冥合」、つまり宇宙霊との一体であり、坐禅でいう三昧の境地だと説示しています。
 実にわかりやすいのですが、天風師はここで安定打坐法を「修行」と言っています。天風師は教義のなかで「修行」という単語をあまり使用していません。「教義を修行として行つたのでは、およそ第二義的となる。ただ一念それを生活の行事として行う時、完全に第一義的のものになる」と、日常生活の中に採り入れて「生活即実践」を勧めています。
 ではなぜ安定打坐だけは「修行」と言ったのでしょうか。

 安定打坐とは「無念無想」の境地に入り、自己を宇宙霊と一体化せしめ、本心(霊性意識)の煥発を目的としています。しかし、打坐行はそうすんなりと生活のなかに組み込めませんので、第二義的な「修行」が必要と考えたと推測します。ここで言う「修行」とは、安定打坐をして時々心を無念無想の境涯に持って行く練習です。第二義的な「修行」を積んで、第一義的な「生活」のなかへ組み込めるようになるまで修行が必要とする認識です。
 安定打坐法を二段階に分け、先ず第二義的な「修行」段階の打坐と、それから第一義的な「生活行事」のなかでの打坐となります。つまり無念無想の境地に入る第一歩を習得した後、少なくても10年、20年と「修行」を積むことで、やがて打坐やブザー音を媒介にしなくても日常生活のなかで、何時でもどこでも瞬時にスーと無念無想の霊的境地に入れるようになり、「そうなればもう達人であり、聖人であり、哲人であります」と、教示しています。
 「達人、聖人、哲人」の境涯に至るまで、一生懸命に10年、20年の修行とは、気が遠くなる話しですが、この道を「修行」としました。それに安定打坐法は電動機や鐘の音を媒介するので生活行修のなかですぐに行えませんので、第二義的な「修行」に組み入れたかと思います。
 さて、その電動機や鐘の音ですが、天風師が指導なされていた当時は、CDプレーヤーは言うまでもなく、テープレコーダーもラジオカセットも普及していませんでしたから手短で格安な電動機を使いました。もし普及していましたらラジオCDカセットに切り代えていたことでしょう。(天風会でカセットテープとCDを販売しています。『安定打坐』のカセットテープは優れものでして、私は打坐する度に活用しています)。
 それに電動機のブザーの音は、安定打坐を知らない人にとってノイズの不快音になるようで、打坐の際に家族にさえ気を使ってしまいます。特に音感が敏感に育った若世代に敬遠されるかと思います。また打坐の自習に電動機を使用しますと、有我一念から無念無想に入る境でブザーを消す指に注意が行き「有我」に引き戻されてしまい効果的でありません。鐘の音は波長が消えて行くのに合わせ無の境に誘い込みましてとてもよいのですが、どうしても陰気音になりがちです。ですから音に対する応用は、各自が打坐の修行を通して自分に合った方法を工夫し選択されたらよいと思います。
 私自身は天風師から直接ご指導を願い、CDによる電動機のブザーの音に心耳を傾けて打坐をしていますが、その他にも日常生活の中でいろいろな音に耳をすます方法を工夫しています。たとえばトイレで用をたして水を流した後、水槽に補給される水の音に耳を傾けながら有我一念となり、補給する水の音が消えた瞬時に、無念無想に入る練習を繰り返しています。このトイレでの安定打坐はとても有効になっています。
 また車を運転している時に、西洋のクラシック音楽を聴きながら、音節と音節の無音の瞬時、演奏の終りの静謐の瞬間に「空」に入っています。特にヴィオリンの音は瞑想によく合っています。この西洋音楽打坐もたいへん有効になっています。かつての私は車の中でいつもジャズを聞いていたのですが、ある日を境に突然ジャズ が耳に入ってこなくなり、クラッシックがすんなりと入ってきました。心耳が宇宙のハーモニーを求めたのかと思います。ある安定打坐法の解説本にクラシック音楽は心が高揚するからだめと指導していますが、それは選曲にもよるし個人差もあると思います。安定打坐は宇宙の旋律を奏でるシンフォニーとよく調和しますので是非お試しあれです。
 そのような次第で、私はクンバハカ法を生活行事のなかで「実行」し、安定打坐法は「修行」しています。


 <無念無想>

 人間も宇宙の創造物ですから、それを認識するしないにかかわらず、本性において宇宙本体と人間とは一体化されるようにできています。
 心は宇宙霊の無限の力を自分の中に受け入れる窓口です。それはちょうど電灯と発電所のつながりと同じで、スイッチをONすると電灯がつきoffにすればばつきません。人間も同様に宇宙本体と人間を結びつけている心のスイッチが安定打坐になります。安定打坐のスイッチをONにするにはまず雑念妄念を取り除いて無念無想になることです。無念無想とは心が心や肉体を思わず、なにも考えない状態を言います。一切の感覚や感情情念を心の中に入れないで純真な気持ちになることです。
 宗教的にいえば「神人瞑合」でして、神仏の命のなかに自分の命を帰依して行くことになります。哲学的にいえば宇宙本体のエネルギーのなかに自分の命を同化せしめることです。心が無念無想の状態になれば生命の根源である宇宙霊と結びつき霊性意識の境地に入ることができます。
 雑念妄念を取り除いて無念無想の境地入る事は、非常に難しいように思われますが、そう思うのは無念無想になる方法を知らずにいるからです。雑念妄念を取り除くのに難行苦行や坐禅でもしなければ取れないと思いがちですが、そうではありません。生まれた時から雑念妄念が付着しているのならともかく、生まれた時の心は純真無垢なのですから、生まれた時の心になれば取り除けます。取れるどころか人生の真理が悟れ、自分の本体が霊魂であることをはっきりと自覚できます。安定打坐は誰にでも容易に習得でき、かつ効果が上がるように創建した方法ですので、難しく考えずに実行したいものです。
 また、安定打坐の特徴はどんなに忙しい時でも、仕事をしながらでも、話しながらでも、心の緊張を終息させ、即座に無念無想の心境に入れる点にあります。ですから安定打坐を「心に与える瞬間活法」とも呼んでいます。
 安定打坐を長年実行していますと、目を開いていても、仕事をしていても、その刹那に心耳を澄まして空の声を聞けて、すぐに無念無想に入れるようになります。目を閉じて手に印を組んで坐わらなければできないというものでありません。
 安定打坐の修行が進むと雑念妄念からの離脱が実に速くなります。言いかえますと容易に無念無想の心境を会得でき信念が煥発されてきます。そして信念が煥発されると「われに勇気あり」と思えば、直ちに勇気が煥発されてきます。「われは健康なり」と思念すれば、直ちに健康の思念が発動してきます。「楽しい」と 思えば、ただちに苦しみをも楽しみとなす心境になり、心が無礙自在の境地になります。
 実際にこういう生き方を実行している人は、これを知らずに生きている人よりも幸福の内容量が天と地ほど違ってきます。宇宙本体がもっている万能的な英知を受け入れるのですから、事業経営する人はもちろん、普通の人生を営む際に、今までのようにあれこれと考えて苦心しなくても、また考える必要もなく浮かんできます。なんとなくス〜と直感したことが、普通なら考えに考え抜かなければ思いつかない事だったりすることが多くなります。



 <打坐と脳波>

  安定打坐の状態を脳波からみてゆきますと、私たち目覚めている時は、多心のベータの波形です。静かに目をつぶり打坐をしている脳波は、一心状態の静かなアルファの波形となっています。
 一心の先からが無心のシータ波になります。なかなかここまで進めませんが、これが坐禅のいう三昧の境地になります。

  心の状態    脳波       単位ヘルツ
   多心    βベータ波     40〜14
   一心    αアルファ波    13〜8
   無心    θ2 シータ2波    7〜5
   本心    θ1 シータ1波    5〜4
  (睡眠    δデルタ波     3.5〜0.5)

 安定打坐の大きな特徴は、坐禅のように長い時間をかけて難行苦行しなくても、瞬時ではありますが比較的容易に一心から無心の境地に入れてすぐにシータの脳波へ達入できることです。そしてほんの一瞬とはいえ三昧の妙境を味わえます。
 実はこの一瞬はまことに貴重な感覚でして、「わかった。この境地か。よし出来るぞ!」という気持ちにさせてくれます。後はその一瞬の境地を、少しでも長く維持するように修練に打ち込んでいけばよいわけです。シータ波の静寂までの修行は、焦らず、急がず、たゆまず、こだわらず、着実に継続することが重要となります。

<第三の眼>

 クンバハカと安定打坐を実行していきますと、体内に活力が充実し、目に輝きが増し、霊気体がより鮮明に現れてきます。
 霊気体とはオーラと称し太陽の光線と同じ七色で短い層の発光体です。人間の肉体はオーラに包まれています。オーラは心身を通して閃いている霊魂から発光しています。神様や仏様の絵画や塑像に見られる光背です。
 オーラが肉体から離れる時が死であり、寿命が尽きこの世を去る時に霊魂は宇宙の本源に還元します。
 オーラはたくさんある人から少ない人の方へ移るので、病気の時はなるべくオーラの多い人のそばにいるようにして、少ない人のそばを避けた方がよいようです。しかし、心を積極化しオーラがたくさん放射されるようになったら、今度はそれを困っている人に分けてやるように努めます。これがお見舞いの真意です。また手の平からも霊気体がたくさん出ますので、手の平を具合の悪いところに当てて治療するのが「手当」です。オーラがたくさん発現できる段階まできますと、これはもう本者でしてお見舞等に使用したオーラをすぐに補給するコツを掴んでいることにもなります。
 歩く時に裸足で歩くことも健康によく、つま先から歩けば土踏まずから霊気体をたくさん吸収できて姿勢もよくなり心身ともに立派になります。
 オーラを見ることのできる人は少ないですが、オーラが見える人は眉間で見ていると言います。これを「第三の眼」といいまして、仏様の眉間にある星で心眼となります。古来インドのヨーガでは霊性心がでた覚者を、哲人と称し眉間に第三の眼をつける習慣がありました。クンバハカ法と安定打坐法を実践して行くことで第三の眼が養われてきます。
  第三の眼は両眉の少し上ある骨の凹みの眉間に位置しています。眉間は命の窓といって大切な場所で、この凹みから生命活力が出入りし、直感のセンサーにもなっています。第三の眼の眉間から導入された生命エネルギーは、松果体を経由して心身の全神経系統に配分されてゆきます。


 よく「安定打坐は何のためにやるのか」、「安定打坐の境地の気持はどんなものか」と初心者から質問を受けますが、砂糖の甘さを知らぬ人に言葉でもって甘さを説明するのは至難なことと同様に、打坐の心境は言葉を超越していますから自分で実践して直感して掴んでゆくしかありません。それに言葉だけにとらわれるとかえって迷ってしまいますので、ここは理屈でわかろうとせず、先ず「打坐一番」で体得してゆくほかありません。
 ただひたむきにやる。やらずにいられないからやるわけです。理屈から考えていたら出来るものも出来なくなります。近代の合理主義からすれば、まるで馬鹿としか言いようのないくらいに、ただただ無念無想になって心の純度を求めていきます。ここに科学的思考を入れるのは百害あって一利なしですので説明はここまでとします。



 以下、私のことながら、、、


 安定打坐の練習に中村天風講義「神人冥合」のCDをお薦めします。
 私も朝起きてこのCDで安定打坐をしています。前にも書きましたが、その他にも生活の中にも練習を取り入れています。仏壇の鈴の音や、車をスタートする時にキーを差し込んでエンジンがかかるまでのブザー音について行き無念無想を心がけています。頭上の飛行機音等、なにかの音が聞こえるとその音が消え入るまでついて行くのが習性になっています。ですからもうすでに何万回とやっていることになります。
 天風師は安定打坐法の実行を3ヶ月から半年やると無念無想になれると述べています。そして10年か20年と実行してゆけば、いつでも、どこにいても即座に無念無想の境地に入れるようになると説示しています。
 しかし、私はそうした三昧の境地はまれでして、未だにこれでいいものかと確証を掴めずにいます。打坐をして2、3秒はその境地に達入していますが、すぐまた雑念が入ってしまっています。
 それでも出張する飛行機のなかや、世界の各地のホテルで目を閉じて静かに坐れば、国境は消えてどこも同じ宇宙霊の中にいることを実感しています。また時おり青空に浮かぶ白い雲を見た時や、きれいな夕焼けや、夜空の名月を眺めた瞬時に心がス〜と対象に吸い込まれて同化し無念無想になっているようです。そして後から「これがそうかな」と思ってみたりしています。
 本来は「これだ」という確かな悟りを掴んでから、本サイトを開設したく考えていましたが、そうしますと日暮れてまだ道遠しで、何年先になるかわかりませんので見切り発車しました。
 まぁいずれは宇宙霊と一体なれるのですから、それまで焦らず無邪気に実行してゆく所存でいます。今はただひたすら心の純度を求めながら本サイトを書き進めて行くことにしました。
 目をとじて黙って坐れば、そこはもう宇宙霊のなかです。

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