3日に母校である冨岡高等学校の文化祭を参観してきた。
私は卒業生として1998年、2004年の「槻木祭」に2回講演をしています。
2018年に少子化対策で富岡東女子校と統合したことで、私が誇りにしてきた校歌「日本の未来」も変わってしまい、「槻木祭」も東女子校の「桜」が加わることで「桜槻祭」となっていました。
吹奏楽部も新体操も女子が圧倒してましたが、男女共学の華やかさがあっていいものでした。吹奏楽部の「愛は勝つ」の演奏を聴き、高校生の青春の輝きを見せられ、私ならなんど恋をしたことかと、帰らぬ昔を想い浮かべて瞳がウルウルでした。
今日は知人に連れられ冨岡市長を訪問してきました。
その後「妙義小学校統廃合」云々の集まりに行ってきました。わけもわからずに傍聴していま したが、全学年の1年生3人、2年生6人、3年生6人、4年生9人、5年生8人、6年生6人、特支4人、総数42名では、「おらが学校は地域で守る!」と力んでも合併に向かうのも致し方ない。さらには地域の新築軒数が2年連続で0ということです。結局、集会は対策を得ずお開きです。
少子化社会がここまで深刻に進んでいる現実に今更ながら驚きでした。
新居初日は神棚を南に向けて祀りました。
おやしろは3月10日に伊勢神宮で拝受し、昨日細かな飾り付けを購入し、今日は達磨となりました。
達磨はこだわりまして生産所まで行き、群馬県ふるさと伝統工芸士中田純一作のものに直接の文字を入れてもらいました。通常では「福」や「願」「必勝」とかを書き入れるものでしたが、私は「愛」を希望しました。
達磨に「愛」を所望したのは、私くらいのかと思いますが、天風哲理の真髄が閃きためらうことなく「愛」にしました。
中田工芸師は一瞬かわった人だと私の顔を見つめましたが、静かに書き入れを始めました。
目の描き入れのおすすめは左目から入れるようですが、私は心の目の開眼として右目に点晴しました。
5月のブログ更新は4回だけになってしまい、これまでにない最少更新です。
おかげさんで新居への引っ越しが「今」完了しました。
当初私が視覚化していた通りの家になりました。
そして幸いにもこの町の一隅を照らす事ができました。
私はこの旧家で産まれ、再度この家で生まれました。
さて、6月からここを拠点にして行動開始です!
帰国してまる3ヶ月になる。
東京に出掛けて行くと電車内でマスクスマホ族に囲まれて日本に帰ってきた感じがしない。
息苦しさから逃れるため上野駅の本屋に駆け込み深呼吸し、宮本雄二元中国大使著「2035年の中国」ー習近平路線は生き残るかーを購入。著者はそれを決めるのは国民としています。
4月20日の発売なのでコロナ後の日近の政情まで論究していまして大変参考になりました。さすがに一流の中国通でしてバランスの取れた外交官です。
感情を交えず自己主張もせず、奥歯にものが挟まった言い回しながらも冷静に現実分析をしていました。
さてさて「2035年の中国」はどうなることか。私は中国人は依然存在するが、中共独裁政治は崩壊していると分析します。
私はここらあたりを素浪人中国通として、感情を交えて、大きく自己主張をして書いてみたく考えています。
今日の天風メルマガは「健康的な住宅」と題して;
「人間の生活に、住居がその緊要の条件の一つであることは、議論の必要のないことで、でき得る限り風通しのよいこと。言い換えれば、空気流通のよいこと。日当りのよいこと。明るい室をもつ家であること」でした。私の新築もこの条件に沿って設計し、「富岡製糸場」とコーディネートさせました。
昨日は8時間ほどかけて電化製品、家具一式、カーテンを買い揃えました。テレビは予定外でしたが、ユーチューブに接続できるとのことで購入。
1階は洋式リビングルームと仕事部屋、2階は朝の行修場、寝室、和室、床の間にしました。床の間には天風の円相のお軸をかけます。ベットは1階か2階かで考えた末に2階に置く事にしました。
6月からこの新居で活動が始まります。
5月に入りあっという間に2週間が過ぎてしまった。
2日から5日まで江ノ島に鎌倉春期天風行修会に参加し江ノ島海岸で打坐をしてきました。ついで13日、14日は東京の「新緑二日行修会」に参加してきました。この第一講義の時に講師が、天風会認定書でない私の著書「天風式ヨーガと瞑想のすすめ」を、手に掲げて紹介と推薦してくれました。異例な事なので考えてもいなかったのでこれは驚きでした。素直に嬉しかったです。 20日も天風会「空の言の葉」をテーマにして「天風とカリアッパ師との対話をよむ」を拝聴してきます。
天風会もコロナが明けて一斉に動きはじめ各地で修練会が開催されています。
私にとっては、帰国後のメンタルの調整が目的でしておかげさまでかなり復調してきました。ここで一段落です。
昭和の日もGWのはじめの日くらいで過ぎてしまった。「昭和も遠くなりにけり」で、かって我々団塊の世代は、明治が遠い感覚でしたが、それが昭和になってしまった。さらには小子高齢社会化が現実の課題になっていました。
帰国して今日で2ヶ月10日となり、卯月から皐月に入ります。
4月に新築完成予定が、5月下旬にずれ込みましたが、完成を待たずに予定通り活動を開始します。
11月出版を目処に台湾関連本の出筆をはじめます。また、江ノ島に3泊、東京を4往復、高崎に2回となっています。動かぬことには体が鈍ってしまう。
それに、ここ数ヶ月のブログは、個人的な記載が多かったですが、5月からは台湾関連と天風哲理を主軸に公的な内容に戻りたく思っています。
さて、
帰国して今日でまる2ヶ月となりました。
そんなことで習いたてのアシスト自転車に乗りハナミズキの並木を通り亡き妻の墓まいりをし、墓石に水をかけてきました。
途中に気温が26度ほど上がった暑さと湿度の中を、往復40分サイクリングしたら夕刻になって目が回り始め熱中症の洗礼を受けてしまった。
アメリカで熱中症など考えてもみなかったので油断でした。いとも簡単に熱中症になるとはいい経験になりました。
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」(天風)
17日、曇り空の京都駅から「のぞみ」に乗り東京へ向かった。
名古屋駅を通過すると雲間から青空が広がり、もしかすると富士が見えるかも知れないと思い始め、掛川駅を通過する「のぞみ」の中でもう胸がワクワクしてきました。
かくして富士見駅を通過すると文字通り富士が現れました。遠慮深い富士でして、3月と4月にここを往復して初めて顔を出したので、私も帰国の挨拶ができました。富士はいい!
私の恩師はいつも朝明けの赤富士から霊感(インスピレーション)を受けたと言ってましたが、今回、私も富士を眺めた瞬時に著書の構想に閃くものがありました。
さて、11月の出版として陽の目を見るか、それとも曇りかは富士に聞きいてください。