2017年5月アーカイブ

250px-Togo_Heihachiro,1907.jpeg 日露戦争で日本海海戦の指揮をとり勝利に導いた東郷平八郎元帥も、クンバハカを習慣とするまで玄関から便所の壁にまで「クンバハカ」と書いた紙を貼らせて練習したと伝えられています。
 東郷元帥は日本海海戦の折、旗艦「三笠」の司令塔から出て甲板に立ち、双眼鏡で敵の旗艦が沈没するのを見ようとした時に、敵艦の撃った砲弾が司令塔の脇に当たって炸裂し、そのすごい爆音に思わず後ろを振り向いてしまい、数秒後に海上を見た時には敵の旗艦はすでに沈没していました。そのため歴史的瞬間を見極めなかったので、戦況報告書に一部終始を見たと書けなかった。もし、あの時にクンバハカを会得していたら敵の旗艦の沈没を、一部終始を報告できたと後々まで残念がっていたとのことでした。
 東郷元帥は毎月の講習会に出席し、いつも講堂の三番目の柱の前に座り、大事な教義の所に成ると、少し頭を前に下げ正しく受け取ったと意思表示されたとのことでした。当時の山本五十六大将が「よく、お飽きになりませんネ」と言ったところ、「飯と空気を吸うことは、止められんでのう」と返しています。
 東郷元帥は晩年に喉頭がんを患い、見舞いにいった天風に、「火傷を竹のササラでこするごとくでごんす」と返答し、天風が「それがこの病いです」と返すと、「これが病いでごわすか」と、以後一言も苦痛を口にしなかった。天風は「やはり、偉い人は偉い」と、感慨を残しています。(橋田雅人著「哲人中村天風先生抄」参照)
 真理を説くのに歳の差などないとはいえ、¥28歳も年下の若僧の教示を、「哲人」と称賛して熱心に実践した東郷元帥は大きな人物でした。「偉人会い知る」明治人の大きなスケールにいつも感心させられます。
天風「哲人」の称号は東郷元帥の色紙に書いた称賛に由来します。

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