新燃岳

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 2月3日に台南にて春節を迎え、6日に成田経由で大連へ向かう。
 鹿児島の上空から新燃岳の噴火が遠望できるかと思い、カメラを用意して窓際に座り、文字通りの窓際族。
 あいにく地上は雲に覆われていて新燃岳を見る事ができない。それでも諦めきれずに後方を眺めると、白い雲海を突き破って一点のどす黒い雲を発見、みるみる内にキノコ雲のように高々と突き上がってきた。
 雲上から噴火の一瞬を目撃したことになる。新春を迎え日本列島が新たに燃えている姿に緊張を覚える。

 大連の春節は連日連夜の爆竹音と花火。朝の6時から10時まで爆竹の音が絶えず、この国はオレ様の春を、今盛りなりと燃えている。
 爆竹音のなか、大連生まれの作家、松原一枝著<かつてそこは世界で最も美しく、猥雑な都市だった>「幻の大連」(新潮新書)を読みながら幻の面影を追想。
 ロシア人がシベリアから運んできたアカシア街路樹。今もなお古びた路面電車が大和ホテルの前を走り、かつて満州鉄道、シベリア鉄道でヨーロッパへ行く人たちの玄関口となり、パリに似た雰囲気のアカシアの並木路を旅人が通り過ぎて行く。
 当時の大連には世界でも一流の音楽家が集い、協和会館で音楽会が催され、当地で歯科医をしていた小沢征爾氏の父親、小沢開作氏も岡村楽童の管弦楽団でバイオリン弾いていたという。世界の小沢征爾は瀋陽に生まれ、満州青年連盟長春支部長だった父親と親交のあった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつもらって征爾と命名しています。彼のなかには幻の楽土・満州のDNAを受け継いでいることだと思う。
 2月初旬の大連は雪は少ないが寒さが身にしみる。あまりの寒さにタクシーに逃げ込み、運転手に「う〜寒いね〜」と声をかけると、「い〜や、立春を過ぎたからもうすぐ春ですよ」と返ってきた。北国の人にそう言われると、そんなものかと素直に納得。ふと心に春が飛び込んできた。
 
 著書「幻の大連」は「終戦になると、満州各地から大連に開拓民が南下してきて、大連は避難民であふれたが、昭和22年3月には、大連人も殆ど祖国へ引き上げた。かつての植民地、大連は消えた。現在の大連は中国人の大連である」と結んでいる。

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大連の遊子

 松原一枝さんは古参の天風会員で今年95歳。宇野千代さんもそうでしたが、天風会員は長寿のお方が多い。

補記;2月25日付け新聞訃報。
 松原一枝さんは1月31日に心不全のため逝去されました。天風人がまた一人逝かれました。私が「幻の大連」を読んでいる頃でした。
 生前を偲び謹んで哀悼の意を表します。



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このページは、三休が2011年2月14日 10:32に書いた記事です。

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