「天風誦句集」の3番目にあります「プラナヤマの誦句」は、朝の行修の時に行う大切な全身呼吸法です。
 ここに「神韻縹渺たるこの大宇宙の精気の中には、人間の生命エネルギーを力づける活力なるものが、遍満存在している」とあります。
 天風哲理に大宇宙、宇宙霊、宇宙エネルギー、宇宙の根元主体の語彙がよく出てきますが、それがどのようなものなのかあまり説示していません。ここは復習かたがた故杉山彦一4代目会長に具体的に定義してもらうことにしました。
(本サイト第3部「生命力の自覚」)

第一;大宇宙の根源的主体は強大な力を持つ。
   大きいものとして太陽エネルギーの存在、大宇宙に自ずから然りである。
小さいもので1cm平方に1億個の原子が入り、それが広島、長崎を壊滅させるほどの強大な力をもち、いずれも自ずから然りです

第二;大宇宙の根源的主体は強大な叡智を持つ。
   雪の結晶、ささいな花一つ見ても、植物にも、動物にも、物質にも知恵があり、宇宙の中に一つの意思、統一の方向性があることが見られます。

第三;大宇宙の根源主体はすべてのできごとに法則性を持つ。
   現象界のできごとはけしてでたらめではなく、すべてに法則性があり、法則性をもって現象界を支配しています。
 物質の変化にも法則があり、それが物理学となり、生物の変化にも法則性がありそれが生物学に、人間の体にも法則性がありそれが生科学、生理学、医学となり、宇宙科学も法則性にしたがってアポロを月に飛ばしたわけです。

第四:大宇宙の根源主体は、力と叡智と法則性を使用して創造活動している。
   我々は太陽系の一員ですが、その太陽は銀河系に1千億個もあるとされ、その銀河系も大宇宙の中に1千億個もあるとされています。
 この大宇宙を誰が創造したのか。大宇宙には巨大な創造力が働いています。植物も水と、炭酸ガスと太陽エネルギーで光合成してデンプンを創り、米、麦、ジャガイモ、リンゴ、ミカンまで、創造し人間はそれによって生かされています。

第五;大宇宙の根源主体は、創造性を駆使して進化と向上への方向性を持ち、一切を大調和あらしめようとしている。
   大宇宙の究極の目的は大調和に向かっています。我々の生命もバランスを保ちながら生きています。夏の暑い盛りでも、零下の寒さの中でも、恒常性維持機構が働いて体温を一定に保とうとしています。   
 大宇宙の根源主体は、巨大なる力と叡智を法則的に使いながら、たえざる絶妙な創造活動をし、進化と向上の方向性に向かって一切を大調和ならしめようとしている大生命体であります。
 天風哲人は、この根源主体によって我々は、生かされて、活きていることに、絶大な感謝と讃美をもって「宇宙霊」と称しました。


 以上が大宇宙の第一認識になります。
 次に大宇宙と私たちの関係が第二認識となります。

 宇宙の大生命と我々の小宇宙はいかなる関わりがあるのか、これを多くの人は知りません。天風先生の言葉で言いますと、「我々は宇宙の根源主体とつながっている。我々は宇宙霊と一体である」。大宇宙の根源主体の働きで我々は生まれ出てきました。だから我々はこの大生命の分流であります。同じ流れから分かれた分流であります。言ってみれば大宇宙を母とすれば我々はその子供です。
 「我が生命は大宇宙の生命とつながっている」
  だから、
 「宇宙霊の生命はそのまま我の生命に与えられている」になります。
 宇宙の根源主体のもつ、力と叡智と、法則と創造性と、進化と向上と、大調和をもたらそうとする宇宙霊の働きは、そのまま私たちの生命のなかに与えられている。ですから人間はすばらしい力をもっている事になるわけです。人類もその方向に向かってこの地球において大調和すべく創造活動をしています。
 私は大宇宙の根源主体とつながっていて、我々の生命の中にすばらしい力が、生まれながらに与えられています。天風師はこの力を "Reserved Power" 潜在勢力と呼んでいました。
 「プラナマヤマ誦句」の「活力吸収法を行い、この活力を、五臓六腑はもちろん四肢の末端に至るまで、深甚なる感謝をもって思う存分吸収しよう」と教示していました。

迎 春

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              迎 春afterfocus_1545876924261.jpeg     今年は平成のまとめと新元号の事始めになります。
     国際情勢は乱気流に突入し激しく揺れていますが、
     雲上は太陽が照り輝く青空です。
     空を見上げた猪の如くに、2019年も日々向上、
     積極一貫、猪突猛進して行きましょう。
     みなさまどうぞ素晴らしいお年をお迎えください。
     本年は「真理行修誦句集」の「瞑想篇」を集中して
     研鑽してく所存です。どうぞよろしくご指導お願い
     いたします。
                      元旦

感動の創造

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417f720ZtxL.jpg 天風会メルマガの推薦でもあり「新訳中村天風の言葉」とあるので、ついに新訳本が出た!と、大きな期待をもって先行予約した本が今日届きました。今日か今日かと待ちわびていたので、さっそく読みはじめましたが、何の感動もなく1時間で読み終えてしまった。本のタイトルは出版社が決めますが、これは「新訳」でなく「注釈」でした。12月は感動した書評を書きたく身構えていましたのでとんだ肩すかしでした。
 私は「真理を践行するものはみだりに他人を批評するなかれ。否その暇があるならば自分自身を厳正に批判するがよい(天風述)」を、旨としていますので書評は控えますが、一つだけ書いておきたく思います。
 著者はプロローグとあとがきに、繰り返し「天風師の肩を借りて、その上に乗り、今と未来の景色を見渡す」と記しています。私は天風道を33年も歩んできても、いまだ師の足元にも及ばぬ自分を痛感し、一歩でも近づこうと日々研鑽を重ねています。その私から見ますと、いともたやすく師の肩の 上に乗り景色を見渡す身軽さ、たとえ言葉のあやであったとしても、師に対しての尊厳がみられないのが残念でした。
 天風師は「俺は月を観よと指をさして教えた。指をみないで月(真理)を観よと」、「俺の肩に乗れ」とは言っておりませんでした。
 ですから著者には注釈本でなく忠実な新訳本での感動を期待したいところです。次回の感動を楽しみにしています。

心を磨く

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61clwpDgt8L.jpeg  この講演録は「心を磨く」CD全七巻を、編集し書籍化したもので「真人生の創造」についで久々の天風講演録の出版です。私は活字人間のため書籍の方がより心に響いてきます。書籍の横帶に「秘蔵の天風座談」とありますが、これで秘蔵講演録は出尽くしたのか、まだ秘蔵があるのか楽しみなところです。
IMG_8328.jpeg 先ず表紙を開きますと天風師の毅然と立った写真になります。天風会は秘密結社でありませんが、この親指を中に入れた拳の握り方とクンバハカ体勢で、一見して天風仲間とわかります。
 講演録は天風哲理が総仕上げに入る最も円熟した天風師85歳から89歳の最晩年(1961年〜1965年)に、神戸、京都支部で行なった研修科での講演録になります。
  講演がいつも軽妙な講談調で面白くやさしく話されるので、我々はついつい原稿なしに即興で話されると思い気軽に拝聴しますが、天風師は何を主題にして話すのかを事前に熟慮し原稿を整理されていました。野崎郁子第三代会長によりますと、当時、東海道在来線で関西に向かう列車の中で、原稿をもとに講演の準備をし、入れ歯のために飛び散る唾で社窓が水粒だらけになっていたと話していました。この師の差し出す真剣さに対し、我々も真剣勝負で心読せねばと思う次第 です。
 講演録「心を磨く」は、題名通りどこまでも心の問題を扱っています。ここで面白いことを話していますのは「肉体だけでなく時には心をドッグ 入り」させて健康心断を勧めしていることです。たえず心の基本に立ち返り、自己否定をせず「自分は尊い人間だ」と、積極的に自己を肯定し、不断に自己鍛冶 し、霊性心を発揮して、光明が燦然と輝く人間になるようにと諭しています。
 「こういう人間が、たった一人、多くの人間の中に入って行くと、多くの迷ってい る人間や苦しんでいる人間、みんなその一人の光明を持っている人間の近くにフ〜ッと、美化、善化されちまう」ものです。どうぞ今日から、みなさんも心を磨き、世のため人のために輝く真人になるよう祈念しての講演録でした。

実践哲学

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 心身統一法の入門には「天風会独特の理入行入という方法」があり、哲理からの理入法と実践の行入法の二通りあると習ってきましたが、実際には行入しかありませんでした。
 哲理はあくまでも実践のための理論体系であり、哲理は実践することで初めて真価となります。いかに哲理に精通しても実践が伴わないことには宝の持ち腐れとなります。
 実践がないことには知識の範囲に留まってしまい、哲理は実践を通すことで智慧となります。人生でいざという時に真に役に立つのは智慧となります。実行、実行、実行です。
 プラナヤマ(活力吸収)法、統一体操、呼吸操錬はもとより実行です。哲理の基盤となすクンバハカ法も実践することで体得となり、積極心の養成、観念要素の更改も実行の積み重ねになります。宇宙霊と一体化をめざす天風式打坐(安定打坐)も実行となります。これらは日常生活のなかで容易に実践できるように工夫されています。
 大井満先生は「一日行わざるは、一日遠ざかる」と、理屈をこねるよりまず実行としていました。天風師は「東京に向かって歩きはじめればいつかは辿り着けるが、歩き出さなければいつまでも同じ場所にいることになる」言われていました。
 このあたり曹洞宗の只管打坐のひたすら打坐の行入と通ずるものがありますが、10月のエッセーにも書きましたように、天風式打坐のひたすらは、長さでなくブザー音の途切れた刹那に無心の境地へ入る練習の繰り返しとなります。そして数分の打坐法を継続することを教示しています。
 哲理だけでしたら卓上で自習できますが、実践法の基本となりますとやはり日曜行修や修練会で補導してもらう必要があると思います。DVDやCDよる指導法もありますが、どうしても自己流になってしまうので基本だけは行修会がお勧めになります。
 

IMG_8143.jpeg 安定打坐、私の称する天風打坐は「心の瞬間活力法」として実用向きです。
 杉山彦一天風会四代目会長は、安定打坐法はノーベル賞級の創意だと言われましたが、私も同感です。
 私は天風打坐しか知らなので比較できませんが、日常生活の中で瞑想や坐禅をする時、どれくらい長く打坐をすればよいのか、また、どれくらい打坐をすれば三昧の境地に入れるものかもわかりません。それに多くの人は日常生活のなかで長く打坐をしている時間的な余裕も静寂な場所の確保もむずかしいです。
 天風師は長い時間の打坐を奨励していません。その時間があるなら日常生活で別の事に使えと言っています。瞑想は『時間の長短でなく静けさ深さが大切で、漠然と長い時間坐るのはむしろ時間の無駄で、1日10分から20分でも毎日続けることが大切』(井沢淳弘著「最高の瞑想法」)としています。
 天風打坐は数分の合間に聴こえてくるブザーの音に心耳を傾け、パーンと音が絶えた刹那に無念無想の境地に入ることを第一歩としてます。2〜3秒ほどの境地ですが、深山幽谷のなかに入ってシーンとした静寂な気を感じた時と同じに気分になります。そうなりますと理屈なしに心の疲れが休まり、心に復活の力が湧き出てきます。
 坐禅の求める境地もこれだと思いますが、長く打坐をしていてもなかなかその境地に入れぬようです。それを天風打坐法は数分のうちに三昧の境地に到達せしめるのですからすばらしい創意です。時にはなんとも言えぬ心地よさに、そのままいつまでも坐っていたい衝動になりますが、そこは天風師「見切り千両」の爽快さで、スーと立ち上がり、新しい元気をもって日常生活に向かことになります。

61AbNh56wmL.jpeg 工藤房美著「ありがとう。100万回の奇跡」を、読んでみました。
 工藤女史は末期ガンで医師から余命1ヶ月と宣告されたが、村上和雄氏の著書で遺伝子をプラスONに覚醒することで腫瘍が消えて、命の甦りを果たしたと言うことでした。たぶん「がんもどき」だったかと思うのですが、参考に村上和雄著「サムシンググレート」、「生命の暗号」、「アホは神の望み」を、走り読みしました。
 1980年代の出版当時は、遺伝子万能がもてはやされた時期でした。出版社の意図と思うがタイトルを「サムシンググレート」として神を隠ししているのが煮え切レません。原題の「人間、信仰、科学」(1986年、天理教道友社刊)の改題となっています。ここに書かれている内容ほぼ80年前の天風哲理の練り直しでした。
 語彙として「サムシンググレート」を「宇宙霊」に、生命の暗号の「遺伝子」を「潜在意識」に置き換えることができます。また遺伝子に全て委託するさいに「つつしみ」が必要としていますが、これも「調和」に置き換えられます。
 まだ使われていない遺伝子を、ポジティブのプラスにONすることで運命を好転するとしています。これはその通りだと納得が行きます。しかし、どのようにして遺伝子をポジティブONにするだけで、あとは「祈り」と「ありがとう」だけしか言及していないところが、学者やの〜。「言うは易く(How to say)、行なうは難し(How to do))で、具体的な方法まで論及されていません。
 ポジティブONにすには天風哲理の「潜在意識の更改法」が必要になってきます。「アホは神の望み」の他力でなく、意志の煥発の自力行修が必要になってきます。単なるアホではだめでして、この点が天風実践哲理の優れたところになります。How to「クンバハカ」+「天風式打坐」+「潜在意識の更改」の三点セットでプラスONになります。

調和

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IMG_7942.jpeg  「調和という事は 真善美の美に該当するもので、
   これは探究すべきでなく、自ら進んで作為すべきものである」
                 「真理のひびき」箴言17 

 「天風誦句集」のなかに「平和」という語彙が5ヶ所あります。
 天風師にしましても戦後の平和至上の風潮の影響を受けていたことを実感します。言うまでもなく平和は尊いものですが、戦後あまりに平和を絶対視し政治用語と化して乱用され使い古されてきました。
 昭和の戦後から平成へ代わり、来年は御世替えになります。また、天風哲理百周年でもありこの機に「平和」の語彙を「調和」に代替してはいかがなものでしょう。
 「真理のひびき」箴言17の注釈に;
 「調和ということは、厳粛なる宇宙本来の面目であり、かつまた人生の実相である」
 「調和のあるところにのみにいわゆる真の完成というものがあって、調和のないところには絶対に完成というものはあり得ない」と、注釈しています。平和と調和は違いまして、調和を作為することで平和が招来されてきます。「天風誦句集」にあります「平和」の語彙を「調和」に置き換える方がより真理の響きに近いものがあります。
 まず、私が何度か書いてきました誦句集冒頭の「誓詞」ですが、
  今日一日
  怒らず 怖れず 悲しまず、
  正直 親切 愉快に、
  力と 勇気と 信念とをもって
  自己の人生に対する責務を果たし、
  つねに平和と愛を失わざる(→調和と愛と誠を)
  立派な人間として活きることを、
  自分自身の厳かな誓いとする。

 今日の一日を「怒らず、怖れず、悲しまず」「正直、親切、愉快に」「力と勇気と信念をもって」と、ここまでトントントン3つの単語がリズムよく流れています。ここで「平和と愛」だけで流れを止めずに「つねに誠と愛と調和を失わざる」と、真善美の3つの語彙で続け、ついで立派な真人(リアリスト)と繋げたらすっきりします。
 次に「言葉の誦句」ですが、「終始 楽観と歓喜と、輝く希望と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう」を、楽観と歓喜と希望と情念の流れからして、ここは平和とせずに「終始 楽観と歓喜と、輝く希望と、調和に満ちた言葉でのみ活きよう」と、調和がより相応しく響いてきます。ですから「大偈の辞」における「誠と愛と調和した気持と、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう」となります。また、これと同じ流れで「一念不動の誦句」も「平静と沈着と調和と光明とに輝き閃いているのだ」になります。
 さらに、5つ目の最後「修道大悟の誦句」で、「我らの住むこの世界に誠と愛と平和に活きんとする人の数を多からしむるべく」を、「我らの住むこの世界に誠と愛と調和に活きんとする人の数を多からしむるべく」と、真善美に置き換える方がより相応しく思います。
 「天風誦句集」のなかで「神」「神仏」の語意は、すでに「宇宙霊」に置き換えられています。朝礼の時に行う「平和体操」の名称も「積極体操」に換わっています。誦句集の「平和」も「調和」に代替えされたらいかがなものでしょう。
 天風師は日々更新を旨とし、これだと納得すれば即日から変えてきました。

IMG_7561.jpeg 何度か本エッセーにも書きましたが、昭和天皇と天風師のご縁は、大正時代の皇太子の時からはじまり、昭和を通してつながっていました。
 これもまたご縁ですが、天風師が上野恩賜公園の樹下石上で辻説法を始めたパワースポットのはす向かいに、昭和35年2月23日「浩宮御誕生記念」のつつじ植栽の碑が建てられています。皇太子親王の誕生を記念して寛永寺清水観音堂の下につつじ1万株を植栽しました。この植栽記念碑の前が「しのぶ川」の水飲み場になっています。
 2019年の春に今上天皇が退位され、浩宮新天皇が即位なさり御世が替わり、秋に即位の礼、大嘗祭が執り行われます。その中間に天風師の100周年記念式典がこの地で(たぶん)行われます。春に桜、継いでつつじ、青葉のしげる樹下石上、来年の桜通りはお芽出たい通りになります。
 上野恩賜公園に来られた折に、散策してみてください。
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518rChmHc8L._SX336_BO1,204,203,200_.jpeg 沢井淳弘著「最高の瞑想法」(2018年5月刊)を読みました。
 著書は大きく前半と後半部に分かれてまして、前半部は前著書「やさしい瞑想法」(2011年3月刊)のほぼ重複で、安定打坐を瞑想として一歩踏み出した内容でした(エッセー2016年8月に紹介)。今回、評価したいのは後半部で、天風著「安定打坐考抄」の現代語訳になります。
 「安定打坐考抄」は、天風式打坐を理論的に言及した貴重な著書となっています。天風師が後世に書き遺した心身統一法の「真人生の探究」(1947年)「研心抄」(1948年)「錬身抄」(1949年)の三部作があります。そして4年後の1953年の夏期修練会のテキストとして会員向けに「安定打坐考抄」を補足しました。導入に;
 「安定打坐法を、予は一名ヨーガ式坐禅法と呼称して居ることは、夏期の心身統一特別修練会に参加せし天風門下のすべてが承知されて居ることと信ずる、が然し恐らく何故の所因があって、かく呼称するかという理由に就いては、長年予の門下として行修する古参以外には、それを知悉して居る人が極めて少ないと思う」と記しています。
 この小册で安定打坐法を、論理的に説明し坐禅との違いを明確に定義しています。私はこの小册の刊行した時点で、永らく研鑽を続けてきた安定打坐法の理入が確立したと考えています。その意味で誠に貴重な「安定打坐創建宣言」になっています。天風師は喜寿に三部作プラス・ワンで「心身統一法」が論理的に完成しました。
 私はこの貴重な小册が他の著述書と同じように改訂版が出されることを、長い間待ち望んでいました。天風会青年部が現代語訳にしたコピーを読んだことがありますが、出版まで至っていないようでした。
 なぜこれまで出版されないのか、いくつか理由があります。先ず内容が難解で会員対象にしぼられ、読者層が狭過ぎて発行部数が限られて商業ベースに乗らないこと。それに文章表現が旧字体で漢字が多用されていて、このままでは改訂版にならないことです。
 今回、「最高の瞑想」の後半部において130ページを割き、「小見出し」と「注釈」を加えて現代語訳していました。ついにきちんとした現代語版が出版されました。著者の精進研鑽に敬意を表します。同時に「安定打坐考抄」が、ついに古典として注釈まで付けられるようになってしまったことに一抹のさびしさと深い感慨を覚えました。でも小册はルネサンスさせて古典にしては行けないのです。
 ただ、現代語訳で読みやすくなりましたが、内容は依然として難解です。それに読んで理解できる事と安定打坐をして「神人冥合」ができる事とは別の次元になります。天風師は「強いて此境地に入りし時の心境の説明を試みれば忽ち第二儀に陥る恐れがあるを以てただ一意実習的体得に依る外はないのである」として「この密法の実行に努力し自己の心境の払拭をして頂きたい」と結んでいます。やはり読んで理解するだけでなく、打坐を通して体得して行くほかありません。