51+sv4Y4e0L._SX302_BO1,204,203,200_.jpeg       うらやまし 浮き世の北の 山桜 (芭蕉)
 昨年9月から天風会メルマガ「中村天風 一日一話」<元気と勇気が湧いてくる、哲人の教え366話>が、配信をはじめ半年が過ぎました。決まった時間に「一日一話」の配信を、楽しみに待つ生活がすっかり定着しました。
 これまで2冊の日めくり天風箴言カレンダーと卓上の箴言カレンダーがありました。日めくりカレンダーの出典は、天風著書「智慧のひびき(天風哲人箴言注釈)」と「真理のひびき(哲人哲語)」からの箴言でしたが、「一日一話」は、天風哲学アカデミーにより、天風師の主要な書物の真髄から特に印象深い文章を幅広く抽出しています。しかも、「箴言」と固く構えずに、さりげなく「一話」としています。日めくり箴言カレンダーも良いものですが、デジタル文になって毎日配信される一話もまたいいものです。著書と違がいまとめ読みでなく、一日に一話ですので言葉に集中でき、その日の学びになります。
 今日もいい一話が送られてきました;
 「04月03日 |ニッコリ笑う
  朝起きると、まず、第一に、ニッコリと笑う。
  もう、くせがついているから、
  眼が覚めるとニッコリと笑う。
  わざわざニッコリと笑わなくても、ひとりでに笑う。
  そして、
 『今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!』
  と自分自身に約束する。  

   ふたたびは 来らんものを 今日の日は 
        ただほがらかに 活きてぞたのし」

 つまらぬ情報が氾濫する浮き世の北で、急がず、焦らず、一日一話。継続は力でして、一日一話の積み重ねで、天風哲理に精通してきます。
 まだ天風メルマガを読まれていない方に、是非のお勧めです。

天風師の愛

| コメント(0) | トラックバック(0)

IMG_6800.jpeg 2月20日に私の著書「天風式ヨーガと瞑想のすすめ」が、幻冬舎から出版になりました。
 この日は先ず新刊書を持って上野恩賜公園に行き、天風師が辻説法をはじめた石台に挨拶し、早咲き桜の花びらを添えました。
 その足で護国寺の天風師の墓前に新刊書の報告をし、天風会本部に数冊お届けしてきました。
IMG_6812.jpeg 著書の中に空海弘法大師と天風師のことを書きながら、護国寺門前と天風会館の間に建つ「弘法大師霊場」の因縁にまで言及しなかったことを残念に思ったしだいです。
 さらに久しぶりに天風ギャラリーを参観すると、最初に目に入るのが「愛」の書でした。天風師の究極は「愛」を基盤としていました。これは私が原稿を書き終える頃に気がつきながら書き及ばなかったことで、その天風師の偉大なる愛、絶対愛、不偏愛の「愛」の書が冒頭に掛けられていました。天風哲理は愛そのものなのです。
 早くも出版の初日に二つのことに言及しなかったことを教えられる始末でした。しかたなく天風師の愛については今後の課題にしました。

IMG_6814.jpeg

12:14.jpeg 今月、天風師五十回忌によせて著書「天風式ヨーガと瞑想のすすめ」を出版します。
 本書は1919年6月8日に天風師が上野恩賜公園の中にある精養軒のはす向かい、青葉茂る樹下石台に、草鞋に脚絆姿で仁王立ちになり、右手に持った鐘を鳴らし「道行く人よ、来たれいざ」と、第一声を上げた辻説法から書きはじめました。天風哲理の原石と考えたからです。
 そんなことで、出版を前に精養軒のはす向かいある十数の青葉茂る樹下石上に一台一台と立って検証してみました。百年前の人の流れと空間を考えながら、ここではない、ここでもないと消却していき最後に2つの石台が残りました。この2つの前を何度も歩いては立ち止まり石上に立ってみました。街灯柱の奥にありそれが邪魔をしていましたが、やはり私が最初にここだと思った台石でした。
 百年前には無かった街灯柱を無視して再度この石台に立ちますと、人の流れが左右と正面から、後方左右の登り坂とで五っの道筋の要に位置していました。天風師が本郷の自宅から忍ばずの池端を歩かれ五條天神社と花園稲荷神社の坂を上った所でした。わかりやすいために精養軒のはす向かいと言ったと思いますが、むしろ花園稲荷神社の鳥居の斜め前でした。石台は街灯番号「東京都LA-2-1」の奥になりますが、これが目印になります。上野公園にお出かけの折りに寄ってみてください。
IMG_6589.jpeg 6月の上野恩賜公園と言えば、青葉が茂り今日も道行く人が石台の前を通り過ぎて行きます。なんでもない台石ですが、草鞋に脚絆姿で仁王立ちした天風哲人の初志をそのままに、当時を偲ばせています。
 生前、天風師は当時を思い「寒風吹きすさぶ暮れ迫る街頭で、60歳を越えたたった一人の老婆のために人の道を説いたこともあった」と懐述し、「ときどきあそこへ行ってあの石台を見ちゃあ、思わず熱い胸にせきくるものを感じながら帰ってくるんです」と、語っていました。
 出来得ればこの石台の前に、天風哲理発祥の石台と記念碑が建てばいいのですが、未だ私の信念の及ばぬところになっています。
IMG_5956.jpeg

謹賀新年

| コメント(0) | トラックバック(0)

IMG_6647.jpeg 「門松や おもえば一夜 三十年」(芭蕉)
 2018年2月に天風道33年の総括として、天風師の著書を出版します。また同2月にはスイス人の初孫が産まれることで人生劇場の舞台が一回転しまして、眺める風景が変わって見えてきました。
 古代インドでは、この風景を「林住期」と言いますが、なかなか味わいがあります。これからも天風道を歩み、単に若作りや不老を目指すのでなく、あるがままに齢を重ね、今ある新たな人生を受け入れて、新しい元気でいぶし銀のように輝き続けていく所存です。
 どうぞみな様よいお年をお迎えください。
 2018年もよろしくお願い致します。
                  2018年元旦
                     野口 拝

眉間活力移送法

| コメント(0) | トラックバック(0)

DSC09679.jpeg 山田務名著「天風道八十年」の際立った特徴は、眉間は命の窓として最重視していることです。活力吸収法(プラナヤマ法)を、眉間プラナヤマ法とも称しています。
 著者は宇宙に隈なく遍満存在する活力は、主に眉間(第三の目)から入って、松果体に溜まった後、全身の神経系統の原動力として配分されるとし、眉間から導入された活力が松果体ホルモン・メラトニンの分泌を促し、活性酸素の細胞破壊作用を抑制して老化を予防すると言われています。そして、眉間吸収法で得た活力を、自分自身の体内移送だけでなく、他者へ移送、また遠距離移送の方法を論及しています。
 引用が長くなりますが、活力移送法についてそのまま書きますと;
「天風先生は、生前多くの会員に『お力頂載』と言って、活力を眉間から分けてやっておられました。大正13年の頃は修練会の終りがけに、百数十人という多数にお力を授けておられ、その後やり方はずっと簡略されましたが、そのお力は素晴らしく強力なものでした。普通の全身移送で、相手を楽な姿勢で椅子にかけさせます。自分はその右側に立ち、左手を軽く相手の右肩に置き、軽く叩いて気を楽にさせます。右手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、指先を眉間に1〜2センチ近づけ、眉間呼吸プラナヤマで活力を十分貯えて後、相手の眉間へ向け『ブェイッ、ブェイッ』と、気合いを掛けます。左手は相手の肩から2〜3センチ、右手指先は眉間から1〜2センチに保ち、意識を相手の眉間へ集中し続けて、ム〜吐息を吐き続けます。終りに左手で相手の肩をポンと叩き『入った』と断定します」とあります。
 眉間に元気を移送する儀式です。当時は病を患った入会者が多くいましたので、すがるように「お力頂載」したのだと思います。私はこれまで『お力頂載』を見たことも経験したこともないため、効果を実証できませんので言及せずにきました。
 余談になりますが、天風先生から直接『お力頂載』を受けた人が直弟子で、その経験のない人が孫弟子になるのかと思います。天風会は今でもこの活力移送法を行っているのか知りませんが、世代はすでにこの事実さえ知らない曾孫弟子となってきています。
 私は自分自身の体内へ活力移送法は実行していますが、他者へ移送はしていません。これまで他者へ活力移送の経験がなく、また医科学的な実証デタがないことを、下手に言及してオカルト的に流れてしまうことを警戒し避けてきました。しかし、最近になり、たとえ医科学的実証がなくても思念移送はあり得ると思うようになり、他者へ活力移送を始めてみました。
 それには「これかな」と思いあたるヒントがありました。私の母が晩年の頃に耳が遠くなり話し声が大きくなりました。たまたま私がアメリカから帰省した翌朝、パジャマ姿で二階から降りる途中で、母が仏壇の前で祈っている声が聞こえてきました。その声は私の無病息災をひたすら祈っていました。私が18歳で家を離れて上京し、そのあと長い海外生活が続いている間、母は毎朝私の平安無事を祈っていたのだと思います。おかげさまで無病息災でやってこられました。
 もちろん母は天風哲理を知らないのですが、祈りを通して移送法をやっていました。誠に有り難いことです。これにはなんの科学的な根拠はありませんが、母の思念に守られてきたと思います。よく「あの人から元気をもらった」と言う表現もこれなのかと思います。そんなことでいま、私は母の思念をヒントに他者への活力移送を始めてみました。
 来年はさらに天風打座と眉間活力吸収法に打ち込み、他者への活力移送法をより確かなものにして行きたく考えています。他者へ元気をあげられるように精進してゆきたい。

IMG_6204.jpeg 10月のエッセーで、山田務名著「天風道八十年」が、古本市場で5万円の値段がついていることから、天風会認定書にして復刻版か再版を希望しました。
 これを読んでくださったアメリカ在住の天風会員の方から「続・天風道八十年」が出版されていることを知らされました。しかも、前著書で編集をなされた同じ編集者の岩崎澄男氏によって出版されていました。知らなかったといえ、本著書が2010年に刊行されていたことに驚きました。いかに私が引きこもり天風道の実践者なのかと、今さらに呆れる始末でした。
 さっそく日本の友人にお願いして岩崎氏に連絡をとってもらい、お手元の1冊と付随するDVD2枚を譲っていただき、今月15日に入手しました。岩崎氏のご好意に感謝しています。
「続・天風道八十年」は、私が希望した復刻本でなく文字通り「続篇」で、前編と後編で完結本といえる内容でした。前著書は「天風誦句集」(黒)の解説で結んでいまして、続編は「真理行修誦句集」--瞑想行修用ー(緑)の解説を中心した教義で、杉山彦一元会長が「ここまでくれば天風哲理も大学院コースだ」と言われた内容でした。
 ですから復刻本として編集するとしたら、前著書の第2部「深遠なる心身統一法」から「続篇」を併合しますと貴重な名著になります。しかし、岩崎氏はすでに両著書の編集で立派なお仕事をなさっていますので、そこまでご負担かけられません。
 両著書で参考になります3点は、天風師の指導する立場からでなく、習う弟子側の立場から書かれている実践法となっているので、天風教義をより身近に実践できることです。各行法のコツ(要領)の開示がたいへん参考になり、私は本著書から多くのコツを習いました。
 さらに、眉間の第三の目を「生命活力、悟り、直感に結びつく命の窓」として重視していることです。眉間プラナヤマ呼吸法とも言っています。
 第3点は、活力吸収法だけでなく活力移送法に関して多く言及していることです。吸収した活力を、自己移送、他面移送の局部移送、全身移送、そして近距離移送、遠距離移送を行う方法です。「天風先生、杉山先生は会員のお願いに応じ、東京--神戸、東京--大阪とかの遠距離を遠隔思念によって、大手術を受けている患者に対して活力移送を行われ、多くの重病人を救われた」といいます。今はどうなされてるのか知りませんが、両著書を読みますとかつてはよく活力移送法をなされていたようです。
 私はこの活力移送法に対し自己移送は理解できるのですが、他面移送や遠距離移送に関してどれほどの科学的な根拠があるのか計り知れずここまで実践してなく、これからの課題としています。この移送法は天風哲理が原点に帰ってやるべき大切な課題と認識しています。その意味でも両著書における活力移送法の解説は、他の著書にはみられない貴重な教科書になっています。

IMG_1447.jpg 2015年8月のエッセー「天風師の面影」にも書いたことなのですが、私は海外出張の折りに山田務名著書「天風道八十年」(ウェルテ社、平成17年刊、1700円)の指導書を持ってでかけています。
 長い飛行時間に統一道理論と誦句集を復習できるからです。数年前になりますが、飛行機の座席ポケットに著書を入れたまま失念してしまいました。すぐに問い合わせたのですが見つかりませんでした(見つけた方はなんと幸運なことか、大切にしてもらうよう念じて諦めました)。
 なにせこの指南書は、私の座右の書ですのですぐにアマゾンで購入を試みましたら、すでに絶版になっていて古本で2万円から5万円の値段がついていました。しかたなく友人から借用することにしましたが、数年も借りたままにしておくわけにもいきませんので、つい先日2万円で購入しました。残りの古本2冊は5万円になっていました。
 それであらためて再読しましたが、やはり貴重な指導書でした。この著書から天風師の体温と肉声が伝わってきます。今ではDVDや録音CDがありますが、それとまた違った味わいがあり「天風道八十年」の重さを感じます。これはこの著者でしか書けない内容です。
 他の天風関連書にはない師直伝による心身統一道の各蜜法のコツ(要諦)が書かれています。また、クンバハカ法と組み合わせた「眉間呼吸」の吊りあげ法と「活力移送法」が、貴重な指南になっています。特に「活力移送法」は、天風会初期の教示で、いまではあまり重視されていませんが、再度しっかりと研鑽されてよい課題かと考えます。
 古本屋さんの目利きには感心しますが、いかんせん5万円ですと購入するにも躊躇してしまいます。そこで私の希望なのですが、天風会認定の著書としてなんとか再版まで漕ぎ着けないものかと考えています。

天風箴言

| コメント(0) | トラックバック(0)

FullSizeRender.jpeg 今月から天風会メールマガジンが配信されたので、さっそく登録して拝読しています。
 これまでは自宅の部屋に日めくり天風箴言の黒と赤のカレンダーを掛け、卓上の箴言カレンダーをオフィスの机の上に置き、毎日めくってはその日の糧としてきました。
 カレンダーは天風著「智慧のひびき=天風哲人箴言注釈」と「真理のひびき=哲人哲語」からの箴言です。この2冊をかれこれ32年も掛けてますので、さすがに薄黄色に日焼けしていますが、朝の行事として相も変わらず新鮮な気持ちで1万2千日ほど読み返してきました。
 これは習慣になっていますのでそのまま続行ですが、有り難いことにそのうえメルマガが配信され「中村天風一日一話」が拝読できることになりました。メルマガの構成は「元気と勇気が湧いてくる、哲人の教え366話」からの引用が、デジタル化されました。「進化と向上」を地で行っています。
 さらにメルマガは「〜今月の天風箴言〜」として、私のとても好きな箴言になっています:
「何としても怒り悲しみ怖れを抑制することの出来ない時は、そういう時こそクンバハカ密法の修練に最も都合のよい時であるから一段と真剣に実行するがよい」を載せています。
 9月14日の今日の箴言には;
 <他人の批判より自己省察>  
 「ことわざに『人のふり見てわがふりなおせ』というのがあるが、他人の言葉や行為をやたら批判する人というものは、人のふりにわがふりを正しく照合して、是正しようとはしないので、ただあしざまにそれを批判するだけなのであるから、したがってその批判から少しの価値あるものも、わが心に感得しない。
 みだりに他人を批判することを本位として、いささかも自己省察を施さないがために、人生に何よりも大切な自己自身の統御ということに、少しの進歩も向上も顕現しないのである」
 また他の箴言にも「人を憎んだり恨んだり或は中傷したりする人は、自分もまた必ず他の人からそうされると言うことを、忘れてはならない」とあります。
 奇しくもこの日に「文春砲」とかで、山尾志緒理議員のスキャンダルによるブーメランと前原誠司議員の北朝鮮でのハニートラップのスキャンダルでした。
 しかし、箴言はただ読んだだけなら「なるほど」と知識だけに留まります。これを真に自分の叡智とするには、毎日のクンバハカ+積極心の養成+天風打坐の下支えと実践が要請されてきます。天風哲理の厳しさはここにあります。心したいものです。

IMG_6036.jpeg

300px-Columbia_College_Walk.jpg ひさびさに当サイト「天風の精神遍歴」の天風師のコロンビア大学時を更新しました。
 天風が学んだ名門コロンビア大学の設立は古くまだ英国の植民地だった1754年でした。その後1896年に大学院設置とともに現住所に移転し、天風は1911年に孫逸郎の名で入学しました。キャンパスに行きますと天風師が学舎の向こうから歩いてくるような気がします。
 ただ、下記の更新した年譜にみられるように修学期間が短いため、そんなに簡単に入学でき博士課程を卒業できるのかと質問を受けました。当地では博士課程は通常「Phd」と称し、医師の資格は「Dr.」 ドクター(日本語で博士)となりますので、このあたりに誤解が生じるのかと思い再整理しました。
------------------------------------------------------------------------
1911年(明治44年)35歳。
・生活費と旅費を稼ぐため吉沢公使(後に大使)の紹介で、広東省の富豪の華僑で、愛人3人を連れて豪華ホテルで暮らしていた留学生の李宗順(後に香港で開業)の通訳とコロンビア大学の耳鼻咽喉科の授業を代行して医師免許を取得する。このアルバイトを8ヶ月ほどして、8千ドルと謝礼8千ドルをもらいヨーロッパ渡航の旅費にあてる。
・同時に孫逸郎の名でニューヨークのコロンビア大学の基礎医学部で、免疫系と自律神経系統の短期講習を受講。
・医学の知識は習得できたが、先進医学のアメリカでも結核に対して治療方法がなく、また哲学的にも得るものがなく絶望の縁に突き落とされる。
------------------------------------------------------------------------

 以上。
 ですからコロンビア大学の在籍名簿に中村三郎の名前はありません。ドクターの医師免許があるとしたら李宗順の名前となり、短期講習の入学は孫逸郎になります。
 天風師は調べれば大学に李宗順の名があるとのことですが、天風哲理にとり大学で医学知識を習得した以外、あとはどちらでもいい事なので、更新はこれだけにしました。

8aeef95b.jpeg 安定打坐法の双輪の印は「上品上生印」と称し、阿弥陀如来の印でして、九通り印定の段階で最高の印とされています。天風哲人はカリアッパ導師のヨーガ教えを、原形を留めぬまでに噛み砕いて日本化させましたが、双輪の印はそのまま受け継いで残しました。
 以前にもエッセーに書いたことですが、ヨーガの里のネパールとインドの国境の村に祠があり、そこにラマ僧導師の像が祀ってありました。折角はるばるヒマラヤ秘境まで来たのですから、手柄話のひとつにでもどうかこの像がカリアッパ導師であってくれという思いで胸が高鳴りました。しかし、この像の組む印を見た瞬間に、これは違うなとすぐにわかりました。
 古来インドでは手の形で意志を現す習慣があり、それが発展して印相が生まれたと言われてます。私たちが双輪の印を組む一線上で天風哲人につながり、さらにはるか遠くヨーガの里の導師につながり、宇宙霊へとつながることになります。
 安定打坐の双輪の印を大切にしたいものです。