今日は皇紀2681年の紀元節。
「新しき年の初めの初春の
今日降る雪のいやしけ吉事」(大伴家茂)
おりよく武田恒泰著「天皇の国史」を読書中で、やっと明治時代の「君が代」の国歌成立まで漕ぎ着けました。
皇室を軸にした日本通史は、これまで知らなかった多くの「歴史秘話ヒストリア」をよく描いています。竹田氏は明治天皇の玄孫とのことですが、皇族側のスポークスマンとして立派な仕事をしています。
紀元節の日に私の好きな小気味の良い箇所を、そのまま書き出しました;
1381年、明の洪武帝が日本に勅書を渡し朝貢するように強く求め、「もし明に朝貢しないのであれば、戦争に備えよ」と、日本を脅し命令するか書き振りだった。これに対して懐良親王は漢籍を用いて返書をしたため;
「支那王朝にのみ君主がいて、その他の国に君主はいないのか。天地は広いものである。一人の主の独占するところではない。天下とは、天下の天下なのであって、一人の天下ではない。
我々は城郭の数六十にも満たない国に住んでいるが、老子がいう『足るを知る』を持っている。他方、明国皇帝は支那大陸の君主となり、一万両の戦車、数千もの城郭を有し、国の境は百万里に及ぶにもかかわらず、まだ不足の心があり、他国を滅ぼして侵略する意図を持っている。(略)もし明国が戦を興すのであれば、我が国は防御の手段がある。(略)もし明国が我が国の境を侵すなら、我が国に備がある。(略)
もし明国が勝って日本が負ければ、明国は満たされるかもしれない。だが、もし日本が勝って明国が敗れることがあれば、明国は大恥を書くことになる。古より和を講じることを上策となし、(略)民が不幸のどん底に落ちることのないようにして、民の苦しみを救いたいと思う。明国においては賢明な判断を下していただきたい」。
この返書は、今でもそのまま通じる大和魂になっている。
紀元節そして春節
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