3月の大半をウクライナ戦争の状況分析で終わってしました。近親憎悪の兄弟喧嘩なので始末が悪い。
私はかってビジネスを兼ねてソ連東欧諸国、東ドイツ、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーを、訪問して彼らのナショナリズムと民度の高さ、対ロシア嫌悪感情を肌で感じてきていますので、ウクライナ人のこともよくわかる気がする。今回は中村逸郎教授のロシア分析が参考になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=1gyUgvQ2oPQ
また、3月26日には友人から背筋が寒くなる1917年のファチィマの非公開第二の予言が送られてきた。
「不幸の国ロシアに信仰の光を灯せば、ロシアは回心し、世界に平和が訪れるでしょう。もしそうしなかったら、ロシアは世界中に誤謬を広めて、戦争と教会の迫害を推し進めることになるでしょう。罪のない人達が殉教(戦死)し、多くの苦しみが訪れます。いくつかの国はもう無くなってしまいます。それでも最後には汚れない心が勝利を収めるでしょう」。
まぁ予言はさておき、今日から29日までトルコに於いて直接対面の停戦協議が始まるが、どうなることか。プーチンがいる限り停戦であり終戦でない。
さて4月です。よい月にして行きましょう。
2022年3月アーカイブ
(満開の桜の奥に三笠艦)
4月22日の倉庫の空け渡し予定が、どうやら5月までずれ込む雲行きです。まぁ、そこに行って1.2ヶ月の遅れなどどうって事ない。ゆっくり「今」を楽しむ所存です。
しかし、日本出張は予定通り敢行です。今回は藤沢市の恩師の神前に近況報告した後、横須賀まで行き行き、日露戦争でロシア帝国艦隊を撃破した日本連合艦旗艦「三笠艦」を参観し、そこから「皇国の興廃この一戦にあり」と、ウクライナ人に声援を贈る予定です。景気つけに昼食は海軍カレーです。
台湾にも行く予定でいましたが、まだ10日間の待機が必要なのでチケットをキャンセルしました。台湾の友人から今なぜ台湾に来るのか問われ;「私は日本に徴兵制がないから、徴兵のつもりで留学した、いわば退役予備軍として行くと冗談交りに答えたら、「退役予備軍は60歳まで」と、軽くいなされてしまった。
考えたら私は銃を持ったこともない。一般の日本人も私と同じように銃を撃った経験もない。これではもし隣国に侵略でもされたら、戦う術もなくただ両手を上げるしかない。
大丈夫だ!平和憲法が守ってくれる。
一昨夜に今年初めての春の雷鳴が響いた。そして今日は春分のお彼岸。これで当地も本格的に春が到来。
今日はアフリカのセネガルで開催される第9回の「世界水フォーラム」に、天皇陛下は英語でビデオメッセージを送られ、「フォーラムを通し平和な世界へつながってほしい」と語られました。
天皇陛下は水に関する専門家として知られていまして、4年前にもブラジルでの「世界水フォーラム」で、基調(貴重)演説を行なっています。
これから世界は水の問題が深刻な課題になってきます。その時に天皇陛下の御存在が、世界で大きくなられてきます。
上の著者「水運から世界の水へ」は、以前のブログで紹介しました。このたび本棚の大整理をしているのですが、本著書は日本に持ち帰る事にしています。
成人になられから初めての記者会見に臨んだ、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子様のご挨拶を拝見しました。
30分間ほどの会見に、落ち着いて手元の紙にほとんど目を落とすことなく、一つ一つ質問に丁寧に回答なされていました。
成人になら両陛下に伝えたい事を問われ、愛子さまが誕生の際に会見で述べられた「生まれてきてありがとう」との言葉を踏まえ;
「生んでくれてありがとう」と、感謝の意を語られました。
これはご本人がご自身にかされた宿命を自覚し、意志を持って受け入れたお言葉で、たいへん天晴れなものでした。
真人生は生まれてきたことを感謝し、それを受け入れことから始まります。
敬宮愛子様に幸あれ、万歳!
今日から夏時間!当地はマスクも解除されました。
4月22日の倉庫あけ渡しまで動けんが、飛べる準備を始めた。
もうビスネスはないのだが、朝10時に出勤、午後3時か4時に退社し社長出勤を楽しんでいる。あ〜ぁ社長さんはいい気持ち〜♪
朝の体操を済ませ、ゆっくり朝食を摂り、弁当を持って出勤。こんな楽ならもっと早くにそうすべきでしたが、現役の時にはそうはいかなかった。もっとも私には社長という意識はなく、市場開拓のリーダーと同士たちという感じだった。
それでも毎朝、会社のドア開けた際には、「今日も頑張ります。よろしくお願いします」と頭を下げ、ドアを閉める時に、「今日も有り難うございました。明日もよろしく!」と、挨拶を欠かしませんでした。
会社を立ち上げた緊張した時期には、鍵を開ける際に具体的に「今日は売り上げ$◯◯◯◯をお願いします」と念じたものでした。これが私の大切な仕事でしたが、それも後1ヶ月余になりました。
今日の夏時間を機に飛べる準備を始めました。先ずは5月に霊峰富士山を仰ぐ江ノ島海岸と鎌倉で準備体操です。
いざ、鎌倉です!
本著書は私の恩師、野島嘉明先生が1981年3月に出版された本です。私の後輩が校正しています。この10年後の1991年にソビエト連邦が崩壊しました。
ソ連など恐れるなと警鐘を鳴らし日本も巻き込まれる公算も高い危機対策として太平洋防衛軍の創設まで言及していました。更にむすびにソ連からの危機で、「日本国民の精神的自覚がなされることによってのみ、憲法改正の問題も、民族の生存と発展の方途として論議されうる現実的場が与えられるのである」。40年後の日本はどうか。
名の知れた著者でないため注目されず話題になりませんでしたが、ソ連の崩壊を10年も前に予測していました。当時、私は先生の慧眼に敬服したものです。
太平洋防衛軍構想はインド太平洋軍へとつながっています。もし、先生がご存命でしたらきっとロシア連邦の崩壊を、民族のDNAから分析して10年前に今を予測していたことであろう。
そして、私がいま恩師にお聴きたいのは、では中共はいつかという問いです。惜しむらくは師は10年前に霊峰富士の裾に永眠されています。今年の5月にお墓参り考えています
黙祷
2011年3月11日、東日本大震災から11年が過ぎました。この日は心に刻んでおきたい。
今年も当地時間の2時46分に黙祷です。
合掌
私はウクライナ戦争勃発の時に一番先に思い浮かんだのは、ベルリンの壁崩壊でした。この崩壊から歴史が大きく変わりました。
1989年11月、東ドイツ市民の大量出国によりベルリンの壁が崩壊。その延長線上で1991年12月にソビエト連邦が崩壊した。
上の写真はベルリンの壁が崩壊した4ヶ月後に、当地を訪問した時に購入した記念品とドイツの街並みの絵画です。
今回のプーチンの野望は、ウクライナをロシア連邦の支配下に置こうとしたことだが、ウクライナ人の予想外の激しい抵抗にあい頓挫してしまった。
戦果の如何を問わず、これでロシア連邦はユーラシア大陸の小国になって行くことだろう。それに経済規模が韓国以下になったロシアの哀れ、現代版の兵糧攻めになっています。経済力が伴わない軍事力では如何ともし難く経済戦争で敗北です。その挙句に核大国と虚勢を張る姿になっている。
後世の歴史家は「キエフの砦」と記すことだろう。ロシアは中共より少しはましと思っていたが、やはり独裁政治の同じ穴のムジナでした。
ウクライナの戦況とルビコン川を渡り泥沼に踏み込んだプーチンは、今後どうなるのか予断を許さない。
かつてコメディアンでありユダヤ系ロシア人でもあるゼレンスキー vs パーキンソン病というプーチンとの死闘はどのような結末を迎えるのだろうか。
そんなか私は4月23日に、倉庫のあけ渡し(オフィス開城)のため自分のことを優先しています。ブログは公器なので出来るだけ私事を控えていますが、それまではお許しを請う。
昨日は「懐かしの手紙の整理」でした。手紙の多くは母と友人からのものでして写真に次いで難題でした。「こんまり」はあっさり「手紙も全部捨ててしまいましょう。手紙の一番の役割は受けとった瞬間にあるのです」と、たったの一行だけで「ときめき」がない。
彼女は若くネットの世代なので、封に入った手書きの暖かさを知らないのだろう。もっとも私にしても手紙は30年前頃までで、それ以降は激減しほぼ途絶えました。手紙もプリント写真もアナログからワープロ、そしてコンピューターメモリー、ネットメールからラインと無情にも時の流れのなかで置き去りにされました。
時の流れとは言え、思えば遠くに来たもんです。
今日は午後から気温が21度に上がり今シーズン初の散歩となった。足を慣らすためいつものコースを半分だけにしたが、倉庫の中をグルグル回るよりも気持ちがいい。
後は半日をかけて2回目の写真を整理した。まだ800枚ほど残っているが、私だけでは処分できない写真が多く3回目の整理は、娘と一緒に仕分けして終わりにしたく思っている。
幸い写真に日付があるので同日の写真を、少なくも1枚残すことにした。これで過去の記憶が正確に甦る「こんまり整理術2.0」です。
さらに「こんまり」が言及していない「絵画の整理」という難題がありました。私自身これまで意識してこなかったが、振り向くとちょっとした絵画コレクターでした。
知人の画家から購入した絵が主ですが、友人から頂いた絵の他にも旅先で目に留まった絵を購入してきました。今日はガラージにある4幅を処理し、明日さらに2幅を考えています。さして価値のないものは断捨離です。
大きな絵画は日本の住宅に合いませんので、数枚を残して知人に贈り後は業者にオクションと思っています。
ここでは善悪と結果を度外視ししますが、世界史はつねに一人の狂気によって創られる。
日本は(私を含めてですが)、戦後体制から脱却、北方領土返還など綺麗事を言っていたが、所詮はお花畑の夢物語に過ぎなかったことを、今回のプーチンの狂気で知らされた。
欧米も然りだが、民主、自由の美名のもとに長いこと平和ボケになってしまい、冷酷の現実から目を反らせてきた。
平和を乱すプーチンは迷惑だが、戦後の冷戦体制、日本でいう戦後レジュームの打破に武力で向かった。やはり武力でないと打破できないものだ。
ここで見えくるのは北方領土返還など、先方は鼻から考えておらず経済援助を引き出すための口実で、日本などちょろいと舐められたものである。それどころか北海道も取られかねない。力による現状変更を狙う中共も同じこと、いや日本を属国にしようと狙うのだからさらにひどい。
日本はこの機会に冷酷な力による国際政治を、はっきりと見据えて対処すべきです。ウクライナ侵略戦争後に、またお花畑に戻り惰眠を貪るようならこの国に未来はない。
平和には「菊と刀」、菊を守るために剣も必要となる。
トランプの大統領の選挙戦以来、政治のニュースにすっかり冷めていましたが、ロシアのウクライナ侵攻で覚醒して戦況を追っています。
にもかかわらず、私のやっていることは今日も「懐かしい小物の整理」です。
私はこれまで世界50余カ国を旅し、そのつど小物を収集して来ました。ピラミッドの欠けら、ナイルの小石、敦煌やベルリンの崩壊した壁、砂漠の砂、2億年前の地層の欠けら、その他たくさんの民藝品等々、まあよくも集めたモノです。
教祖「こんまり」は;「思い出がいっぱい詰まっているモノたちを捨てると、大事な思い出さえも忘れてしまう気がするものです。でも心配はご無用。本当に大事にしている思い出は、思い出品を捨ても決して忘れることがありません。過去がどんなに輝いていたとしても、人は過去に生きられるわけではありません。今とくめくことのほうがもっともっと大事」、たとえとっておきたくなり「実家に送ってしまったが最後、その段ボールの封が解かれることは二度とない」というアドバイスに勇気付けられています。
どうやら懐かしの小物は、写真の整理よりハードルが低いようです。思い切り捨てて今を輝かそう!
オフィスと倉庫の整理に並行させ、身の周りのモノを整理し始めています。そこで一番悩むのが写真の整理です。いま掃除の教祖「こんまり」の本を開いて復習しています:
写真は「数ある思い出の中で最後に片つけるモノ」、「なぜ最後かというと写真の整理を始めると、片つけが止まってしまい、収拾がつかなくなるからです」。
まったくお説の通りで、私も立ち往生しています。ではどうすればよいのか。教祖は「一枚ずつちゃんと見てあげること。そうすると、自分でも驚くほど、ときめくモノとそうでないモノがはっきり分かれるのが実感できるはずです。当然、ときめくモノだけ残せばオーケーです」。
そうは言ってもみんなときめいてしまい困まるのが現実です。
さらに教祖は「老後の楽しみに写真を残しておきます。といって未整理のままの大量の写真を段ボールのままとっておく人がいます。断言しますが、そのいつかはけしてやって来ません」「私がやりきれない気持ちになるのは、老後になっても昔の写真を整理しているようではいけないと思うのです」「過去の思い出よりも今の自分を大切にしよう」。
つてことで整理始めた写真ですが、またして段ボールに入れたまま最後にしました。
今日は気まぐれに十二支を順番に並べてみました。これは今月下旬に整理します。