2021年2月アーカイブ

あの世は見える

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81Fa9Co6tGL.jpeg 岸根卓朗著「あの世は見える」を読み終えた。そして、再読しながら3月の春を迎える事になる。
 氏は94歳、前著「見えない心の世界」」が、2017年卒寿の出版で、氏もたぶんこれが最後の著書になると言っていましたが、なんとなんと92歳で「あの世は見える」ーAIが実現する人類究極の夢ーの出版でした。たぶん氏にはもう「あの世」が見えるのでしょう。
 私がなぜこの2冊の著書に執着したのかは、今のアメリカの政治的混迷と文明的衰退を目の当たにしたからです。もう少し太極に立って今の世界状況を俯瞰したく思ったからです。
 岸根氏は西洋文明と東洋文明は800年周期で交代し、いま西洋に陽は沈み、東洋に陽は昇るとしています。「人類文明は、20世紀後半の約50年間と、21世紀前半の約50年間の計約100年間の世界的な大混乱期を経て、8回目に東西文明の交代によって新東洋文明として再生する」、そして、「心の文明ルネッサンスの到来にあたり、心の国、日本の出番がやってきた」。しかも、これは宇宙の意思(心)だとしています。
 日本民族特有の「左右脳融合型の脳」が、西洋の量子論的唯我論と核融合し、物心統一された心の文明を形成して行くとしています。「古代より心を重視し、和を以て貴とする日本人にとって、なんと勇気づけられる心強い、なんと夢多き感動的なことか」と予言しています。94歳にしてこの感動、800年周期の天才的な予言です。
 まぁそれはよしとしても、文明の交代期20世紀後半の約50年間と21世紀前半の約50年間の計約100年間の世界的な大混乱期を経てとあるが、これは我々の人生の丸ごとになってしまう。これはたまらない、なんとかならぬものか。

令和の祈り

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IMG_1476.jpeg 本日「天皇の国史」の「令和」を読み終えました。
 第126代皇位継承にあたり「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励とともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと、国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」。「国民の思い、国民のために祈る」とお誓いになりました。令和の大きな課題は、国体を如何に守るかになっています。
 また、本日61歳の誕生日を迎えられ、赤坂御所で記者会見し、中共ウイルス感染症が続いていることについて、「国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」との願いをなされた。
 さて、ここで岸根卓郎氏の学説;「祈りは願いを実現する。量子論によって祈りは願いを実現することが科学的に立証される。祈りとは単なる宗教儀式ではなく、現実を創造し願望を実現するための必要な量子論的(科学的)手法である」。
 そんなことで私も非科学的な祈りですが、ここ3週間あまりに雪の天気が続くので、ご近所迷惑を考慮し玄関前に飾っていた雪を喜ぶ「だるま」を、ガラージに仕舞い込みました。これでじき雪も過ぎ、春を迎える。

 付記;雪だるまを片付けたら、翌日から毎週3日あった雪印が全て雨印に変わった、、もっと早くに片付ければよかった。

2:15.jpeg 「天皇の国史」を「令和」のみ残して読み終えました。
 「神武創業」の始めから125代「平成天皇」の全通史の俯瞰を終えました。126代「令和天皇」は、23日の「天皇誕生日」まで保留する事にしました。
 古代神話から縄文時代そして126代に渡る天皇が、途切れることなく自国の平安と国民の幸を祈り続けてきた国は、世界でも日本しか存在しません。奇跡の国の見えない心の歴史です。国体はその国の地政学的な宿命、民族の持つ文化遺伝子と切り離せないことがよく理解できた。
 私は戦後の昭和で成長し、平成時代は海外生活ですっかり空白となりかなりのズレが生じました。それでも日本が危機の時には国体護持のためいつでも駆けつける覚悟で過ごしてきました。
 ついで令和となり、私自身がこれから平成の空白を埋めて、如何に母国と関わって行くか模索する読書になりました。その意味でよい時によいと著書と巡り合いました。
 そして、今日から以前にもブログで紹介した岸根卓郎著「見えない心の世界」―量子論から科学する心の文明―を、再読する事にしました。令和は見えない四次元の世界を対象とする量子理論を基盤とする時代になると直感するからです。いずれもPHP出版でしていい仕事をしています。

IMG2:13.jpeg   「大雪を 見ながら語る 温暖化」(三休)
 今回のアメリカ不正選挙から世界に於ける情報隠蔽、情報操作、印象操作、情報騒乱とにかく情報が溢れ過ぎて、いったい何が事実なのかわからなくなります。我々はかなり情報操作に洗脳されてきました。故意に偽情報を流すと真相が霞む。地球温暖化も洗脳なのか。これらから得た今回の結論は、情報だけにでなく自分の見識と頭脳で冷静に「真相」を見極めて行くしかないという事でした。
「天皇の国史」をハイペースで読み進めてきましたが、昭和に入り読むのが辛くなり、にわかにスピードが落ちてしまっています。
 はやいもので2月12日は司馬遼太郎の25周忌でした。私の日本史の多くは司馬史観によるのですが、氏が最後まで昭和を歴史小説にしなかったことが、今になってよくわかりました。それでも令和天皇の誕生日までには読み終えます。
 今日のバレンタインはチョコのプレゼントでなく、中共ウイルス対策のためモデルナのワクチン接種でした。そして届いたバレンタインカードは、歯医者と眼医者と保険会社からでした。
 もうすぐ春なのに、トホホ、、

IMG_1490.jpeg 今日は皇紀2681年の紀元節。
 「新しき年の初めの初春の 
     今日降る雪のいやしけ吉事」(大伴家茂)
 おりよく武田恒泰著「天皇の国史」を読書中で、やっと明治時代の「君が代」の国歌成立まで漕ぎ着けました。
 皇室を軸にした日本通史は、これまで知らなかった多くの「歴史秘話ヒストリア」をよく描いています。竹田氏は明治天皇の玄孫とのことですが、皇族側のスポークスマンとして立派な仕事をしています。
 紀元節の日に私の好きな小気味の良い箇所を、そのまま書き出しました;
 1381年、明の洪武帝が日本に勅書を渡し朝貢するように強く求め、「もし明に朝貢しないのであれば、戦争に備えよ」と、日本を脅し命令するか書き振りだった。これに対して懐良親王は漢籍を用いて返書をしたため;
 「支那王朝にのみ君主がいて、その他の国に君主はいないのか。天地は広いものである。一人の主の独占するところではない。天下とは、天下の天下なのであって、一人の天下ではない。
 我々は城郭の数六十にも満たない国に住んでいるが、老子がいう『足るを知る』を持っている。他方、明国皇帝は支那大陸の君主となり、一万両の戦車、数千もの城郭を有し、国の境は百万里に及ぶにもかかわらず、まだ不足の心があり、他国を滅ぼして侵略する意図を持っている。(略)もし明国が戦を興すのであれば、我が国は防御の手段がある。(略)もし明国が我が国の境を侵すなら、我が国に備がある。(略)
 もし明国が勝って日本が負ければ、明国は満たされるかもしれない。だが、もし日本が勝って明国が敗れることがあれば、明国は大恥を書くことになる。古より和を講じることを上策となし、(略)民が不幸のどん底に落ちることのないようにして、民の苦しみを救いたいと思う。明国においては賢明な判断を下していただきたい」。
 この返書は、今でもそのまま通じる大和魂になっている。

天皇の国史

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51u96YQ4jcL.jpeg 2月に入って武田恒泰著「天皇の国史」を読み始めた。今日も大雪のため家に籠もって読書三昧。
 著書は神代から令和までの皇室を軸にした日本通史です。650頁と分厚い割りに価格が1800円と格安です。PHP出版よく頑張りました。目下200頁「日本の古代」まで読み進めたがよく書けています。
 私がなぜこの著書を手にしたのかは、アメリカの大統領不正選挙を目撃し、泥沼に潜む鰐たちと議会の腐り切った民主主義の堕落、欧米文明の神の死を目の当たりにし、次に迫りくる日本文明の危機を察知したからです。大きな国難ですが、これにいかに対応するすべきかが問われ始めました。
 さりとて今の時代に「尊皇攘夷」で対処できませんが、いかに国体を堅持し日本を守るべきかが緊急な課題になっています。神聖なアメリカ民主憲法がいとも簡単に崩れさり、次は天皇を象徴とする国家の日本が標的になります。デイープステートの拝金大富豪、愛国心のない無国籍ITグローバリスト、中共および共産主義者のインターナショナル、幼児虐待の悪魔、無政府主義者らにとり天皇制は邪魔者でしかありません。これさいなければ日本民族は滅び、彼らの思惑通りあとは大衆国家の家畜化に成り下がります。こうしたことは日本の国体と真逆に対峙します。
 「菊と刀」二つは一対となり、国体の菊を守り堅持するため武士道の(鬼滅の刃)復活が待たれます。強いてはそれがインド太平洋に輝く文明の再建に繋がって行きます。日本の出番です。
    「大和は 国のまほろば たたなずく 青垣 
             山こもれる 大和しうるわし」 

立春

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 EE830C32-7DB0-4F4A-B445-93682044058B 2.jpeg 節分の雪、そして快晴の立春。私の好きな節目です。
 今年は大豆が用意できず、買い置きのアズキ豆を代用しました。
 「鬼はそと」積雪の上にアズキがよく似合いました。鬼たちも喜ぶでしょう。「浅間のいたずら 鬼の押し出し」
 そして、春たちぬと故郷から妙義山と雪をいだく浅間山の遠景が送られてきました。これは我が家の二階の窓からも遠望できる望郷の原風景です。写真を眺めているだけで心が締めつけられます。
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禊の塔

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51shL3L7JjL.jpeg 当地、冬嵐の大雪警報で外出自粛となり家に籠もって読書三昧。
「見残しの塔」を読了し、そのまま一気に「禊の塔」に入り読み終えました。
 山形県にちょっとした縁ができ、ネットで「羽黒山五重塔」の幻想の写真を見つけたことでこの著書を購入しました。機会があればぜひ参拝したく思っています。
 「なんと力強い塔じゃのう。雪に埋まっていると、一層貴いのう」、昨日は大雪の中で拝読でしたので臨場感がありました。
 著者はご自身のライフワークを、なぜ五重塔にしたのか「私には、この世とあの世の境に立つ、結界に見えました」とあります。結界とは古寺を拝観している時、「この先、立ち入り禁止」の木柵で越えることはできません。この世からあの世への結界でして、著者はそこに立ち、向こう側に淀んでいる息を凝らすような空気を見つめていたのでしょう。そして昨年、二つの五重塔の結界を越え向こう側に歩いて行きました。大往生です。

見残しの塔

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41mqzoR4tGL.jpeg 2月は久木綾子著「見残しの塔」周防国五重塔縁起の時代小説から入りました。
 著書より著者に興味を持ってこの本を手にしました。久木女史は文学畑の方でしたが、結婚と同時に40年間専業主婦を務め、70歳で主人を亡くしてから文学に戻りまして。
 そして著書の構想に14年、時代考証をご自分足で取材し、さらに執筆で4年、89歳にして「見残しの塔」で新人作家としてデビューしました。著者の写真を見ますと知的で美しい。もちろん新田義貞の末裔と人々の儚さを描いた著書もすばらしい内容です。
 この後に90歳で「契りの塔」羽黒山五重塔灰聞を出版しました。そして昨年7月に100歳で鬼籍に入られました。
 なんと自律した素晴らしい方なのでしょう。ただ歳だけ重ねるだけでなく、出来得るならこうありたいものです。
 今月は久木綾子女史へ追悼と敬意を持って上記2冊を拝読することにしました。
 今日から2日間、大雪予報ですので外出できず家でゆっくり拝読となります。

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