6月も今日で締め、折よく東向きの小さなバルコニーが完成し、日の丸の旗をテスト掲揚してみた。これからは「旗日」(もう死語かな)には掲げる予定でいます。でも「海の日」は旗日なのかな?
来週からは家の周りの垣根(外溝)造りが始まり11日までに完成予定になっています。亡き母の意向でお稲荷さんも祀ります。
台湾の出張は7月16日から21日となりました。19日は矢板明夫氏(産経特派員)の呼びかけで「台日友好の夜」があり、来年1月の総統選候補の頼清徳氏のスピーチや安倍昭恵さんも参加するらしい。
私はこの前後に翻訳者と出版社との打ち合わせになりますが、さてどうなることか。原稿の方は7月4日のアメリカの独立記念日に仕上がる予定でいますが、目下、その追い込みのため眼底疲労で目が赤くなっています。
それでは7月を始めます。
2023年6月アーカイブ
台湾関連の出筆がやっと脱稿までの道筋が見えてきたので、ホットしています。
中文での出版を考えてますので、原稿の仕上がりを待って7月16日の週に台湾に出掛けようと考えています。すでに私の翼がウズウズしてきました。
このブログを書いている午後2時30分の時点で、雷雨となりすごい雷鳴となっています。さっそく両手でお臍を隠しました。
今年初めての「神鳴」ですが、たしか梅雨明けの号砲だったと記憶しています。
上毛かるた「雷と空風 義理人情」。
上毛の風土と県民性をかるたにしたもので、ふるさとで聴く雷鳴もまたいいものです。
今日は1日中雨。今日から本格的に自炊を始めた。
新居の生活は新しい仏壇が入ったことで、ずいぶんと落ち着いてきました。そこで家にこもって書きごとを進めているのだが、ぜんぜん筆が進まない。
台湾社会は私が思っていたよりもはるか先に進んでいて、「いまさら大きなお世話」で私の出る幕がなくなっていた。
何度も筆を止めてしまったが、それでも私でないと書けないこともあるのではと思い直し、また筆を進めている。
なにせ私のライフワークとして長い間抱き続けてきたテーマですので、そうやすやすとギブアップできない。なんとしても脱稿まで行きたい。
さて夕食の準備です。
今週から台湾関連の本を書き始めたが、途中オードリー・タンの著書を再読して、同じ人間なのにこうも頭脳の違いがあるものかと圧倒されて筆が止まってしまった。台湾デジタル社会があまりに先行していて、当初の目次構成が崩れてしまった。
オードリー・タンを天才として英雄視することなく、台湾のAIデジタル社会の現象として捉えていきたいのだが、どのようなアプローチで書き進めて行けばいいのか考え込んでしまった。
もう私が書くまでもないかと弱気になってしまう消極心を、否、私でなければ書けない事もある「できます、やります、がんばります」と、心を鼓舞しています。
雨季を知らせるかのように紫陽花が咲いています。今週は毎日が雨となっています。
新居に越して10日になるが、まだホテルのいるような感覚で、生活のパターンが決まらずにいます。焦ることないと思いながらも、いい加減にせいといった気持です。
12日にバルコニーの手すりが設置され、17日に新しい仏壇が来ます。アメリカから送った仏壇はやはり小さいので新規に買い代え祖先様の家も完成します。
後は外周りの垣根とお稲荷様になりますが、これは7月10日までということで進めていますので、それまでには生活のパターンも定着させたく考えています。
焦ることなく一歩一歩です。
3日に母校である冨岡高等学校の文化祭を参観してきた。
私は卒業生として1998年、2004年の「槻木祭」に、2回講演をしています。
2018年に少子化対策で富岡東女子校と統合したことで、私が誇りにしてきた校歌「日本の未来」も変わってしまい、「槻木祭」も東女子校の「桜」が加わることで「桜槻祭」となっていました。
吹奏楽部も新体操も女子が圧倒してましたが、男女共学の華やかさがあっていいものでした。吹奏楽部の「愛は勝つ」の演奏を聴き、高校生の青春の輝きを見せられ、私ならなんど恋をしたことかと帰らぬ昔を想い浮かべて瞳がウルウルでした。
今日は知人に連れられ冨岡市長を訪問してきました。
そのままお付き合いで「妙義小学校統廃合」云々の集まりに行き、わけもわからずに傍聴していました。
妙義小学校の全学年は、1年生3人、2年生6人、3年生6人、4年生9人、5年生8人、6年生6人、特支4人、総数42名では、「おらが学校は地域で守る!」と力んでも合併に向かうのも致し方ない。さらにこの地域の新築軒数が2年連続で0ということです。結局、集会は対策を得ずお開きです。
少子化社会がここまで深刻に進んでいる現実に今更ながら驚きでした。
新居初日は神棚を南に向けて祀りました。
おやしろは3月10日に伊勢神宮で拝受し、昨日細かな飾り付けを購入し、今日は達磨となりました。
達磨はこだわりまして生産所まで行き、群馬県ふるさと伝統工芸士中田純一作のものに直接の文字を入れてもらいました。通常では「福」や「願」「必勝」とかを書き入れるものでしたが、私は「愛」を希望しました。
達磨に「愛」を所望したのは、私くらいのかと思いますが、天風哲理の真髄が閃きためらうことなく「愛」にしました。
中田工芸師は一瞬かわった人だと私の顔を見つめましたが、静かに書き入れを始めました。
目の描き入れのおすすめは左目から入れるようですが、私は心の目の開眼として右目に点晴しました。