納豆売りのお婆さん

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51ZmtDjZ-HL._SX348_BO1,204,203,200_.jpeg 今は納豆のパックをスーパーで買えますが、私の成長期の頃にはまだ納豆売りがいました。
 その頃のはなしになりますが、小学校校舎の東側の長屋に茨城弁まるだしの貧相な納豆売りのお婆さんが住んでました。空襲に遭いどこからか疎開してきたテキ屋の夫婦で、お祭りや運動会の時に綿菓子を売り、普段は大きな竹網の手籠に納豆をつめて民家を一軒一を回って納豆売りをしていました。
 私の母が時折そのお婆さんの手紙を代筆してあげたり、金銭の工面を手伝ったり何かと世話をしていました。母を姐貴のように慕っていたことから納豆売りの終点が私の家となり、お茶を飲み一休みして帰宅するのが決まりコースなっていました。その時にいつも売れ残った納豆を、2包みほどを置いて行きました。
 いま思うにこの時に母がお金を払ったのかさだかでないし、お婆さんが売れ残ったと言ったのは方便で、はじめから籠の底に残しておいてくれたのだと思う。でなければいつも売れ残るわけがありません。成長期だった私の体が無意識にも納豆を必要としていましたので、時には納豆だけをそのままほぐいしていました。たぶんお婆さんはそれを察してのことだったと思います。ですから今でもその情の機微に感謝しています。また、当時の私は2人の姉を差しおいて納豆を独占していました。姉たちがいまになっても納豆を敬遠するのは、たぶん私に譲っていたトラウマかと思う。
 人はけって一人で大きくなったわけでなく、必要な時に必要な人に巡り逢い助けられて成長して行くものです。納豆売りのお婆さんや姉たちは、私の体に栄養だけでなく、心の栄養もくださいました。 
 納豆に 添えた辛子が 鼻をつく       (続)

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このページは、三休が2016年9月 2日 00:23に書いた記事です。

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