納豆のはなし

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IMG_3753.jpeg 9月は納豆のはなしから始めます。
 昔はお盆過ぎから冬場が納豆の旬だったそうです。先日のこと茨城県水戸市に近いプラスチック加工の工場を視察に行ったついでに「納豆のはなし」ー文豪も愛した納豆と日本人の暮らしー(石塚修著)を買い求めてみました。あまたな文学作品に中から納豆だけを抽出して一冊に本にする奇特な学者に感心してしまう。
 この他にも私の知る範囲で、納豆を雲南省の源流に迫った「謎のアジア納豆」ーそして帰ってきた日本の納豆ー(高野秀行著)、水田稲作地帯から「ナットウとミソのきた道」(中尾佐助著)と、「納豆の起源」(横山智著)、「アフリカにも納豆」(原敏夫著)、黄砂に乗ってきた「空飛ぶ納豆菌」(岩坂泰信著)、「納豆バカ世界に挑む」(雲田康夫著)等が刊行されています。
 たかが庶民の納豆になんとも物好きな人たちがいるもので、さすが納豆は粘って糸を引くようです。こうした著書が出版されるのは平和で豊かな文化力でして、またこれらを買う物好きな読者が豊かな文化を支えているのでしょう。
 そういう私も納豆には特別な思い入れがあります。
 私が「三歩あるくと腹が減る」成長期だった頃の食卓はお粗末そのものでした。卵と冷凍の魚と野菜が主で、肉など月に数切れだったと記憶しています。ですから私の身体が無意識にも貪るように納豆を食べていました。ほぼ毎日ヘギ板に三角に包まった納豆(下仁田丸茂納豆、今のパック入りの3倍の量)を、2包ほど食べていました。時にはご飯なしで醤油もかけずにそのままモリモリ食べていました。実によく食べました。私の骨格と皮膚は納豆によって造られたと思っているくらいです。
 そして今でも週末以外の毎朝、日系スーパーで購入したパック入り納豆を食べています。最近は玄米ご飯になりその上に納豆をかけて食べるのに違和感がありましたが、慣れてしまえばこれはこれで気にならなくなりました。
 出張の折りに成田空港内の食品店から名産納豆を持ち帰ることもあります。以前、店主に「これをニューヨクに持ち帰っても大丈夫ですか」と聞いたことがありました。店主は即「大丈夫です。もともと腐らせてますので、、、」と返してきました。一瞬、私はなんてヤボなことを聞いてしまったのか、店主は店主で客に腐ったものを売っている、、、双方が暗黙の了解のうちにも気まずい空気が流れたことがありました。
  たかが豆 されど納豆は 糸を引く          (続) 

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このページは、三休が2016年9月 1日 00:27に書いた記事です。

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