神の道を歩む

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IMG_8009.jpeg   古池や 蛙飛び込む 水の音 (芭蕉)
 富士忍野八海で、底の抜けた透明な湧き水池を沁み入るようにのぞいた瞬時に、心境止水とはこれかと覚醒して以来、どうしたこと縄文時代から始まる古代史、古神道、古事記、大和言葉に魅かれ続けています。
 そこで本棚から春日大社の宮司であられた故葉室頼昭の講義、「神道のこころ」「神道と日本人」「神道、見えないものの力」「神道いのちを伝える」「神道、感謝のこころ」を、引き出して再熟読しました。
 5冊は第1冊の「神道のこころ」の繰り返しになるが、実に味わいの深い著書でした。これがアマゾンの古本で1円とはなんたることかですが、講義の質の高さをなんら毀損するものでないので、それはそれとして置いときます。
 宮司によると神道は宗教でなく信仰であり、信じて仰ぎ観るものとしています。森羅万象すべてが循環とバランスで調和され、神による采配であるから、我々は神に一歩でも近づくために、この道を感謝と喜びをもってひたすら歩めばよいとしています。ですから葉室宮司の論を延長させますと、この度の北海道の地震災害は気の毒なことでしたが、神国の土を外国人に買い漁られたことのによる神の警告となります。神官ですからこうして一切を神の采配に委ねていますが、私も齢を重ねたからか葉室講義を、そのまま素直に受け入れられるようになってきました。
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このページは、三休が2018年9月16日 00:03に書いた記事です。

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