深山幽谷(ブータン6)

| コメント(0)
DSCN2842.JPG ブータン旅行で受けた衝撃から、仏教国ブータンを熱く語り過ぎてしまいましたが、今日で一段落としたい。
 今回のブータン旅行で、飛行場の出迎えから見送りまでの全旅程を、アレンジして付き添ってくれたガイドとドライバーがいなければここまで充実した旅行にならなかったと思う。彼ら二人に感謝している。
 誠実そうな若い好青年は、「ゴー」という日本の着物に似た民族服で出迎えてくれました。顔立ちも日本人に似ており親しみを覚える。たぶん遺伝子に共通するものがあるのかも知れない。ガイドは流暢な英語で「私の名前はゲザンです。こちらのドライバーはテザンです。ブータンには苗字がないので、ゲザンだけです」と、自己紹介した。え、苗字がないとは日本の江戸時代の農民と同じではないかと、私のブータンへの驚きと好感はここから始まりました。
 実はもう一匹、タイガーという野良犬のガイドがいました。
 タクツァン僧院(虎のねぐら)を巡礼し、なんとも言えない清々しい心持ちで下山を始めました。あまりの気持ちのよさに、この実感をしばらく一人で静かに噛みしめていたくなり、ガイドにお願いし家族はゲザンと一緒に先に「下山」してもらうことにしました。私は深い山の中を一人でゆっくりゆっくり歩き始めました。深山幽谷に我一人です。
 しばらくすると一匹の野良犬が、私とすれ違がった少し先で立ち止まりました。たぶんそこがこの野良犬の縄張りの境界なのだろう。私は構わず歩き続けると、今度は私を追い抜いた先で立ち止まりました。あきらかに私がそこを通り過ぎるのを待っているのですが、横を通っても全く知らぬふりをしています。
私がぶつぶつ独り言をいいながら、とぼとぼと歩いていたものだから、山道に迷ったとでも思っているのだろう。何度か抜いたり、抜かれたりをくりを返して、このよそ者を見張りながら道案内をしてくれているようでした。
 そこで、その野良犬を「タイガー」と呼びかけて話かけてみました。タイガーの山道案内は1時間半ほどでしたが、私の心が純化していたためか何かが通じあったようでした。相変わらず視線を合わせませんが、私のすぐ横で一緒に歩くようになり、私をレストハウスまで案内した後どこかへ行ってしまいました。
 私はレストハウスで紅茶をもらい、30分ほど休憩して再び山道を歩き始めると、タイガーはその道先に伏せていて、私を見るなりすっと立ち上がり、また一緒に歩きはじめました。
 しばらく歩くと、たぶんそこがタイガーの縄張りの境界なのだと思いますが、立ち止またまま初めて私と視線を合わせました。私が「ありがとう」と言って、さようならすると、タイガーはその場所を動かずに、私が遠くになるまで見送ってくれました。ブータンで野良犬と視線を合わせたのはこの時が最初で最後でした。うしろ髪をひかれてタイガーにカメラを向けると、逃げもせずにこちらを見据えたままでした。

 仏教国で野良犬との一期一会、来世はタイガーが人なのか、はたまた私が野良犬なのか、、
 観覧車(マニ車)回れよ回れ 想い出は 
     君には一日(ひとひ) 我には一生(ひとよ)
                     (栗本京子作)
 たかがこれだけの事でして、とりたててブログに書くような事でもないのですが、旅の終りにタイガーの写真をブログに残しておきたく、これを結びとしました。

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、三休が2011年7月31日 13:06に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「聖地巡礼(ブータン5)」です。

次の記事は「続、親愛なる中国語」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。