靖国参拝

| コメント(0)
 11月6日早朝、千歳空港に向かう時に札幌駅の北口でチラシを配っている人がいました。その前を通り過ぎホームに向かう瞬時に、彼は私をみて少しためらった表情でチラシをくれました。
 札幌のことですから反原発か左派系のチラシだろうと思いながら電車の中で読みますと、「自衛隊の経験を社会に生かそう」、陸・海・空自衛官候補生募集、資格18歳以上27歳未満、採用任期3年〜のプログラムでした
(私を二十代と思ったのだろうか^^;)
 チラシを読み終え、流れる景色に目をやりながら、ぼんやり学生時代の同志のことを思い出していました。当時、私は徴兵の代わりに3年間の留学を決めていましたが、もし留学していなければ自衛隊に入隊していたかもでした。同志は自衛隊に入隊し、薄給の中から私が卒業して留学するまでの8ヶ月間の下宿費を援助してくれました。送別に木刀をくれ「俺は自衛隊に入隊したが、お前は留学して王道を行け」と、送りだしてくれました。
 同志「志水文人」は、左利きの剣道二段、大分県竹田市から上京し、目の澄だ精悍な感じで「山口二矢」を彷彿させていました。当時の私は坊主頭の学ラン姿で通学していたものですから右翼とみられたのか、彼が所属していた政治団体にスカートされたわけです。私の政治への目覚めでして、彼とは昼休みによく学舎近くの靖国神社を散歩しながら天下国家を語り合い、大酒飲んで酔っぱらっては夜の街中を「蒙古放浪歌」や「昭和維新の歌」を、大声で歌ったものでした。
 私が留学を終え渡米する前に東京芝のホテルロビーで再会をした時、彼は「自衛隊に入ってよかったのは、三島由起夫の自決事件を自衛隊員として経験したことだ。俺はいま竹田に帰って政治運動をしている」と話してました。風のたよりでは沖縄問題に取り組んだようでした。
 それから長い無沙汰となり、久しぶりに届いた知らせは肝臓がん末期で入院中とのことでした。お見舞い行く約束し、彼もそれを楽しみにしていたようですが、間に合う事なく仏前に合掌となってしまいました。享年55歳。戦後レジーム体制と戦った戦死者でもありました。
 彼の御霊にも靖国神社に行けば会えるような気がして、11月9日に靖国を参拝してきました。

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、三休が2013年11月20日 05:23に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「走馬看花」です。

次の記事は「ファイティング原田」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。