クスコ

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IMG_1583.jpeg              山肌すれすれでクスコ市に着陸
 ペルーの旅行から帰ってきました。
 4日間でクスコ市内、マチュピチュ、リマ旧市内、ナスカ地上絵と、1日1カ所のペースで世界遺産を観光してきたので、実に効率よく充実した旅でした。
 先ずはインカ帝国の首都で文化の中心だった「クスコ(Cusco)」は、現地ケチュア語で「へそ(世界の中心)」の意味になります。インカ帝国は1200年からスペインの侵入で滅亡する1532年ですから、それほど古い歴史でなく、今もなおインカ文化の香りが漂っています。
 飛行機でいきなりアンデス山脈の標高3360メーターのクスコに降り立つのですから、富士山の頂上を旅行するようなもので、重い呼吸に軽い頭痛を覚えます。よくもまあこんな高台に帝国を築いたものだし、よくもまあスペイン人もここまで略奪に来たものです。
 高地のため二日酔いのような状態で市内観光を始め、まず興味を持ったのは大聖堂でした。こうした教会はヨーロッパ各地に優れた建築が多いので、さほどの興味もなく入場しました。中に入るとインカ文化の石の壁を使った建築方式の上に、スペインのカソリック文化が融合したものでした。インカの石積み技術は石と石の間にカミソリの刃一枚も通さない巧妙なもので、世界遺産に耐えるに十分な巨石文化の構築でした。
IMG_1598.jpeg 私が感動したのは大聖堂の至る所の壁や肖像の付近に鏡が飾られていたことでした。他のキリスト教会にこれほど多くの鏡を飾った所があっただろうか(もしあれば教えていただきたい)。ガイドの説明では「鏡はヨーロッパでは自分の姿を映す物ですが、ここでは祈っている己の本心の姿を映し出すものだ」と言ってました。なんとこれは日本の鏡の信仰と共通するものであり、巨石文明の太陽信仰名残りと推考しました。
 さらには十字架にかかるイエスキリストの像がインカの原住民の黒い肌でした。描かれた多くのマリア像もインカの太った山のような体形の女性で、霊魂は山に還り再生されるという山岳信仰でイエスキリストの処女降誕を受け入れていたようでした。極めつきは壁に掛けられていた「最後の晩餐」のテーブルに上に出されていた食事が小豚の丸焼きでした。ユダヤ人は豚肉を食べません。このいい加減さの文化抵抗に笑ってしまった。これらはまさにインカ文化とキリスト文化が変形融合した「クレオール文化」を象徴したもので、文化のルーツとは誠に根強いものです(
惜しことに内部の撮影は禁止でした)。
クスコ宇宙のへそIMG_1620.jpeg

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このページは、三休が2013年12月 1日 12:08に書いた記事です。

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