鎮魂?3.11

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4333022606.jpg 今年もまた東日本大震災のあの日がまわってきました。犠牲者を追悼しながら4年前のあの日をブログで読み返しました。あれからどれほど復興が進んでいるのだろうか。
 私にとり東北は今でも「奧の細道」であり続けています。私自身もあの日を忘れぬ為に、若干修正しブログに追悼再生しました。

    *      *      *
 ニューヨーク冬時間と日本との時差は14時間。3月11日午後2時46分に東北巨大地震が発生した時刻は、同日午前0時46分でした。
 前の晩8時半頃にロンドンに住む娘から(夜1時半)「眠れないんだけど、どうしてだろう」という電話があり、夜中に電話をくれたことがないのに、どうしたかなと嫌な胸騒ぎがしました。
 その晩なにを思ったか、本棚から立松和平の著書「奥の細道」を取り出して11時にベッドに入り、「深川」「千住」「草加」まで読み進めた所で、本をベッドの脇に置いて寝入りました。
 朝の3時半(ロンドン時間朝8時半)に、また娘から「日本がすごい地震だけど、大丈夫なの」という電話で起こされました。眠気まなこに「昨日は草加まで行ったけど、大丈夫だったよ」と、寝ぼけた受け答えして受話器を置きまた寝ようとしたが、眠れずにネットでニュースを見ると、大地震よる大津波の怒濤が「奥の細道」を襲いかかっている衝撃的な映像でした。
 全くの偶然で私は草加に泊まり夢中で難を逃れましたが、この先いつになったら白河の関を越え、塩釜の明神を詣で、船を浮かべて松島に遊び、仙台の友に会いに行けるのだろう、この道はいつ開けるだろうか;
「前途三千里の思いひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
    行く春や 鳥啼き魚の 目は涙
  これを矢立の初めとして行く道なほ進まず」(奥の細道)

本は「草加」で、ベッドの脇に置いたままになっています。   合掌

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このページは、三休が2015年3月11日 12:20に書いた記事です。

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