慰安婦にありがとう

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22.jpg 慰安婦について書こうと思いながら、いまひとつ気乗りせず筆が止まったままで今月が終わってしまいそうです。今日になっても気が入りませんので、簡単に書いて3月を締めたく思う。
 当時、戦場の後方で兵隊に肉体を提供した慰安婦とって「謝罪」など屈辱でしかありません。心まで売っていないから最後の砦として唇は許していないはずです。勝手に買っておいて後から謝罪するなど侮辱に追い打ちをかけるものです。彼女らにも「なにもすき好んでここに来たのではない」という、最後の誇りがあります。彼女らが望むのは「謝罪」ではなく「感謝」です。「ごめんね」でなく「ありがとう」です。
 明日をも知れぬ戦場の兵隊にとり、慰安婦は今生の菩薩にも思えたでしょう。ここは人間のもつ性(さが)の拙さをわきまえ、素直に「ありがとう」こそ慰安への倍返しです。でなければ彼女たちの尊厳が浮かばれません。慰安婦への追善は「謝罪」でなく「感謝」です。時代に翻弄されたお互いの宿命に合掌です。
 それなのに政治が反日の道具として慰安婦問題を使いました。もともとは「慰安する婦人」として、きれいな言葉で伏せておいたものを、大声で揺り起こし、汚物のごとくに踏みにじりました。政治は慰安婦より無情で低劣です(いい加減せんかい)。
 憎しみに未来はない。日本は「謝罪」ではなく、「感謝」「感謝」。たとえ相手が解らなくてもいい「ご苦労様でした。ありがとう」です。

 明日から4月です。我が家はイースター・バニーが、復活祭の春を迎えています。よい月にして行きましょう。

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このページは、三休が2015年3月31日 22:47に書いた記事です。

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