榛名山一泊行修会から帰りまして、翌朝は珍しく朝7時45分まで寝ていました。したがって朝の運動を休みました。
予期せぬ榛名山は春の雪景色になりましたが、参加者は全く気にせず、晴れてよし、雪もまたよし、むしろ雪を喜ぶようでした。
さすが如何なる時も「積極一貫」を心得ている人たちでした。この様を見ただけでも参加した価値がありました。
今回のテーマは「宇宙の心と人間の心」でして、「愛と誠と調和」の3つの講義でした。惜しむらくは講義の後にワークショップがあったため、本来ですと講義を心で受け止めるべきものを、メモをとりながら頭で受けることになってしまった。
それでも「坐右箴言」の講義が、行修会の終わりを締めてくれましたのでホッとしました。
ともあれ充実した行修会でした。感謝、有り難う。
2025年3月アーカイブ
ロシアのウクライナ停戦交渉の難しさに呆れる。
両国の国としての若さ、病的なまでの猜疑心、ロシア、プーチンの潜在的な征服欲、彼らの精神構造を、歴史的に勉強したく司馬遼太郎の「ロシアについて」を再読した。
またこの著書は、地政学的にユーラシア大陸を見た、モンゴルの通史とロシア、日本の歴史がよく描かれています。日本は島国でよかった。
1968年に文藝春秋に出版された本ですが、ぜんぜん古さがない。今の国際情勢の分析にそのまま通じる名著でした。司馬さんの洞察力の凄さを改めて再認識でした。
6月のモンゴル旅行は11人のツアーとなりましたが、旅の案内にこの本を携帯して行きます。
明日29日と30日は「榛名山一泊行修会」に出かけてきます。
ありがとう。
司馬遼太郎の「ロシアについて」を読んでいる最中に、友人から「この本はいかが」と、横やり本が入った。
おかげさまで3日連続の徹夜一気読みになりました。ですから今夜中にブログに収めることにした。
「永六輔のお話し供養」で、渥美清、淀川長治、石川好子、坂本九、中村八大/いずみたく、岸田今日子、立川談志のご供養をしています。戦後の焼き後世代の個性豊かな忘がたき人たちです。やはり何かが我々と違います。
特に渥美少年が歩道と車道を仕切る鎖を盗んで補導された時、警察官が渥美少年の顔を見て「お前の顔は一度見たら忘られない。フランス座に行け」。
渥美少年はその言葉を心に受けフランス座の舞台に喜劇役者として立つことになります。渥美清の誕生です。警察官の目利き、こんな下町の人情供養でした。
淀川長治は「誕生日に一番大変だったのは、産んでくれたお母さんでしょう。だから、誕生日はお母さんに感謝する日」と、していました。
また淀川さんは毎朝、起きた時に床の中で「その日の日付を言い。今日という日は一生に一回しかない。だからニコニコしていよう」と、唱えるそうです。
天風は「得一日過一日」としてました。これなら私たちにもできることです。さっそく実践。
さて、また司馬さんの「ロシアについて」の現実入ります。有り難う。
まず驚いたのは横帯の白髪の人が誰だかわからなかった。よく見ると山田洋次監督でした。慌てて齢を調べると93歳になられていました。
次の驚いたのはなぜ山田監督が黒柳徹子と対談なのかと思いました。イメージ的に渥美と黒柳が全然つながりません。読み進めて初めて渥美と黒柳とは、テレビの始まりの頃から心の通じあう心友でした。
黒柳が本を読まなかった渥美に、まず始めに「星の王子さま」を薦めていました。もうこれだけで驚きとショックの連続でした。
さらに狂喜することは、寅さんが帰ってきて「男はつらいよ寅次郎福音編」第49作、幻の最新作としてマドンナ役に黒柳徹子が修道女のシスタースとなっています。
寅さんフアンには震えるほどたまらない新作ですが、もう観客を含めスタップ皆さんが歳をとり過ぎていました。そして著書は寅さん鎮魂の対話になっていました。これで私の寅さんシリーズも完結しました。ご苦労様でした。
寅さんは亡くなる直前にカトリックの洗礼を受けていました。不思議な人です。
著書はこのまま本棚へ鎮蔵しました。 寅さん、有り難う。
昨夜は友人から喜寿お祝いの会食をしていただいた。
その折に「寅さんの人生語録」と「渥美清に逢いたい」をいただいた。
「寅さんの語録」は再読なのだが、面白く昨夜のうちに読み終えた。浅丘るりこのリリーとの風天会話が一番多く出ていましたが、いしだあゆみとの会話もあり、シュン。
浅丘るりこは満州の長春生まれからして根っから風天なのでしょう。
喜寿にして尚、寅さんの本贈る人、貰う人、
「本当にかわってる人は、自分では気がつかないもんですよ」「馬鹿だねぇ〜」「困った」
「おれは旅人だから、風の吹くまま、気の向くまま、歩きながら考えるさ」
今日は「渥美に逢いたい」山田洋次VS黒柳徹子の対談から入ります。有り難う。
このところ乱読が続いている。Amazonで注文すると翌日に届くのでついつい購入してしまう。
今日は「あなたの光が世界を変える」の横帯が目に止まり面白く読み終えました。
「生命の美しさ、人間性の美しさ、心の美しさを通して光り輝く」として、神道からエドガー、ケイシー、お釈迦様、イエス様、インドの聖典のオンパレードに登場してきます。
著者は動物病院の医院長しており、趣味として瞑想、ヨガ、山籠りの自然が大好きで、40年前にクリアヨギたちと出会いヨガを実践しているとのこと。
聖典がちょっと飛び過ぎかと思うのだが「新しい時代、美しく光輝く世界の創造に向けて、日常生活の中でそれらを実践し、美しく楽しく、豊かに生きていきましょう」と、内容に同感するところが多々ありました。人生の目的は美しく光輝かせることかな。
光君へ、有り難う。
春分というのに寒さと強風が続いています。
今日は春彼岸の墓参りをしてきました。
ついでに先日11日にブルーライトを残して逝かれた「石田あゆみ」のご冥福を祈ってきました。
特別にフアンという訳でないのですが、私と誕生日が、同年、同月、同日、生まれた時刻もほぼ同じでしたので、彼女がどんな人生を歩まれているのか、常に気になっていました。
これで目印がなくなりました。ゆっくりお休みください。
合掌。有り難う。
「奇跡の脳」素晴らしい見事な本に出会いました。
英語の原題は「My Stroke of Insight」(私のひらめき)です。
16年前に出版されたのですから、もっと早くに読むべきでした。自分の不勉強を反省するのですが、本にも出会いの時があるのでしょう。ご興味のある方どなたにもお薦めです。
脳科学者の著者が37歳の時に、左脳出血の脳卒中で倒れ、そこで体験した右脳における「宇宙との一体感」宇宙の大きな流れに中で「いま、ここに」を体感し、8年余のリハビリを経て復活する壮絶なお話しです。
私は右脳、左脳と2つに割った単純理論は好みでないので、「自分(我)ともう一人の自分(真我)」としています。
さらに踏み込んで言えば、ここに書かれていることは、不思議なくらい天風哲理そのものでした。真理は一つと言いますが、やはりそうなのでしょう。
著者Taylorさんに畏敬と感謝を込めて、ありがとうございます。
今回、初めて池袋駅北口のホテルを予約してみた。
まず池袋駅北口が見つからず構内をウロウロ。やつと見つかり北口を出て、今度はホテルが見つからずウロウロすること4000歩です。
そこは風俗街でラブホテルが密集し、キャバレーやバーの客引きが立ち並び、怪しげな服装の女性とすれ違い、ソープランドも3軒ほどありました。今でもこういう風俗街があるのですね。
「すけべオヤジ」と誤解されそうで気まずい思いをしながらホテルにたどり着く。
ホテルに荷をおろし、小雨ふるなか傘を差しながら急ぎ足で上野広小路に向かう途中、足がもつれ北口の雨に濡れた段差に躓いて転倒(翌朝確認のため写真を撮りました)。
私が転倒する瞬時にすでに6名ほどが私を取り囲み、おじさんが「大丈夫ですか」と声をかけてくれ温かい両手で私の両手を支え「ゆっくり立ち上がってください」と、2人の若者が私の背を支えてくれていました。
私はゆっくり立ち上がり、彼らにお礼を言いながら、日本はなんて素晴らしい国なのだと実感していました。
そんなことで中国語「回り道しないで」の看板が見える池袋駅北口の印象は、プラス、マイナス、ゼロになりました。
ともあれ有り難う。
黙祷。今日は311「東日本大震災の日」です。
14年前に日本がどうなるかとあれほど緊張して見守った大震災でしたが、今ではニュースとして静かな記憶となってしまっている。
台湾の友人から送られてきた「日本のために祈る PRAY FOR JAPAN」のペンライトは、今でも「オン」すれば光りを放っています。電池の方が、私の記憶力より長持ちしているようです。
光を、ありがとう。合掌
3月9日は私のペンネーム三休の日。
昨日、湯川秀樹の最後の教え子という宇宙物理学者の「宇宙の起源は?」の講演があり、護国寺の天風会館まで出かけてきました。
しかし、私が期待していた講演内容でないので、急用を優先させで途中で退席させてもらった。学者に哲学を求めても所詮無理でした。
なかには山口県の山の奥からはるばる新幹線で来た農業を営む、私と同年の人と知り合いになりました。講演後にすぐ帰るとの事でした。
彼は宇宙の「見えざる実在の力」と太陽の神秘性について拝聴したかったようですが、期待はずれで気の毒になってしまった。
彼も私も講演30分前に受付を済ませましたので、彼を誘って天風師のお墓参りをしてきました。
彼は私が退席するのを見てドア前まで送ってくれ「思わぬ形で墓まいりできた」と、感謝してくれました。せめてものこれが彼のお土産になったようでした。有り難う。
先週末の雪で今シーズン初の西側の妙義山や南側の山々が雪景色になりました。
稲ふくみ山に連なる山々の雪景色が、絵のように美しいのでカメラに収めました。
司馬さんの「モンゴル紀行」に、「海辺という、単調な水平線を見て少年時代を送った人はわりあい故郷を恋しがらず、地形の複雑な山の中育ちの人ほど、年をとると故郷を恋しがる」とありますが、私がまさにそうでした。
私は深呼吸をし、今この雪景色を眺めている自分に幸せを感じています。ありがとう。
曽野さんが93歳で逝かれました。
これほど立派な女傑でもやはり逝かれるのですね。しばらく産経新聞に女史のエッセーが見えないのでどうしておられるかと思っていた矢先の訃報でした。
私は司馬遼太郎さんの本に次いで女史の本を愛読し影響を受けてきました。保守の論陣と言われましたが、そんな安価な批評を遥かに越えていました。口先の綺麗事だけで行動のない評論家が多い中、絶えず正論を貫きその通りに活きられた人でした。
著書「自分の始末」は最後の書き下ろしでなく、これまでの小説、随筆からの抜粋なのですが、女史の遺言として購入しました。
これから読みはじめます。曽野さん有り難うございました。合掌
「草原の記」を一気読了。
司馬さんの本は読み始めると止まらなくなってしまうので、もう目がしょぼしょぼ。
本著者は「モンゴル紀行」から17年後1990年7月に再訪したもので、ツェべクマ女史を始め各小数民族が、大草原を舞台にして活きた人間模様でした。
ロシアと中国に挟まれた大草原に活きたモンゴル民族の興亡と鎮魂になっています。
毛択東の文化大革命にまで言及し、そこで翻弄されるツェべクマ夫婦のモンゴルへ北帰と再会は涙を誘います。
観光ガイドとしては古いのですが、蒙古に行くのあたり司馬さんの憧憬として、この2冊は外せない。
パヤルララー、有り難う〜。
「モンゴル紀行」を読了。
司馬さんは今の大阪外国語大学でモンゴル語を専攻した変わり者で、片言のモンゴル語を話していました。
やはり若い頃「蒙古放浪歌」を唄っていまして、蒙古大草原と星空に憧憬がありました。
しかし、「モンゴル紀行」は、文化面でよき入門書になりますが、出筆されたのが1973年ですから旅行ガイドとしては古過ぎますので、改めて「地球の歩き方2025年度版」を購入しました。
「草原の記」と並行して読み進めて行きます。そして、「心猛くも」簡単な日常会話に挑戦したく考えています。
先ずは、パヤルララー、有り難う〜。