モンゴルから帰ると花の主役が、紫陽花を押しのけ向日葵と交代していた。
今日は親父の土地が担保物件になり、それを取り戻すために入札して来ました。
野口建設が3代にわたり使用している土地ですので、継続して保有したく考えました。
調べますと、かってこの集落に豪族が住んでいたと「富岡坪之内遺跡」T230遺跡に指定されていました。
土を掘ると縄文、弥生、奈良、平安時代の遺跡が埋まっているとのことで、遺跡がこの土地を守っていました。なんとも浪漫なことですので、そのままに眠らせておき未来の人に託くすことにした。
なんとも有り難い事です。さて7月に入ります。ありがとう。
2025年6月アーカイブ
今回の強行なモンゴルツアーに90歳の方が(奥様も80歳過ぎと推測)夫婦で参加しました。
この方は身長193センチ、白の上下スーツをダンディに着こなし、耳も目も良いという方です。いつも2人で手を繋いで歩く姿も衰えを感じさせず、夫婦とも食欲旺盛で食卓の肉を綺麗に食べていました。赤く輝く夕陽のようでした。
九州福岡生まれ、天風先生が2年半ほど在籍した名門中学「修猷館」を卒業、防衛大学1期生、卒業後航空自衛官32年勤務し、在任中にアメリカのサプリメントと出会い、66歳で渡米し70歳で起業し90歳でなお現役社長です。今も天風誦句集の「思考作用の誦句」を、毎日詠んでいるそうです。なんとも完璧な方です。
私がこのツアーに参加した最年長かと思っていましたが、まったく見事なまでに顔負けでした。私のこれからの人生観、生死感を、根底からガタガタに崩される出来事でして、再構築が必要になりました。
11月に「卒寿」の祝賀会がありますので、私も列席することにしました。ありがとう。
帰りの空路はウランバートルから内モンゴル自治区(中国)ゴビ大地の上空を飛び、韓国側の38線を通り、日本海から金沢付近に入り、そのまま長野の上空から磐城を通過して太平洋に抜けて成田空港に着陸しました。
窓辺越しに地上を見ますと一目瞭然にモンゴル原野と日本の恵まれた緑の地が見て取れます。日本がいかに住みやすい素晴らしい国かです。
モンゴルは大陸性気候で感想し、夏は平均気温が20度、冬ー20度以下となり風が吹き荒れ砂嵐に見舞われます。
冬場は雪におおわれ馬を養えず野に放ち、春にまた生還しています。
そんななかでも彼らは背筋を張ってチンギスハーンの末裔として毅然と生きて活き抜いています。
すごいことです。ありがとう。
昨晩9時にモンゴルから帰宅。
モンゴルの総人口約350万で、約半分の170万人がウランバートルに集中しています。そのため車の渋滞(大部分トヨタ車)がすごいため、移動に時間を取られてしまい観光の方はすべて急そぎ足でした。
どの観光地も韓国人旅行者で溢れ、ここは「我々の縄張りだぞ、日本人は何しに来たか」という視線を浴びる始末。
そんなこともあり乗馬の予約が韓国人で占められ、1日、2日目も予約が急遽キャンセルされ、もう諦めていた3日目にようやく乗馬ができました。
インストラクターの指導で乗馬しましたが、なぜか私の馬だけどんどん先頭を進み、私も調子に乗って「蒙古放浪歌」1、2番を歌いながら進んで行くと、馬が「何よ今ごろなって来て、ずいぶん遅かったじゃない」と言わんばかりでした。
私の馬だけ先に行き過ぎたのか、インストラクターが走ってきて手綱とり後ろの3頭と合流させ一緒に進ませました。
馬の習性で前へ前へと出たがり、その時に私は馬の鞍から立ち上がり座り直して走れのサインを出してしまい、瞬時に後ろに振り落とされました。
幸い走りはじめでしたので、握っていた手綱で薬指を負傷し右肩を少し打撲しただけですみました。
帰国して念の為にレントゲンを撮りましたら異常なしでした。
ありがとう。
モンゴル旅行の荷造りをやっと整理でき、明日から出かけてきます。
この旅のためにわざわざ2度も東京のモンベル店に行き、大きなバックパックと小さなバックパック等いろいろ用意したが、荷造りの段階でいずれもが不要になってしまった。ずいぶん無駄をしたものです。
今回なんでこんなに緊張したのかと言いますと、私の青春時代に行きたく思っていたモンゴル放浪を、置き忘れて来たことによります。もう行けんだろうと思っていたが、そのモンゴルに行けるようになったからです。
青春時代の忘れ物を取りに行く穴埋めの旅でもあります。
全く皮肉というか旅の道中で読む本が、曽野綾子さんの「戒老録」―自らの救いのためにーなのです。昭和47年の初版、若い時にき読んだ改訂版です。
今回のモンゴルの旅にと知人から頂いた本で、どうやら老いの過ごし方を勉強しろとのことらしい。ありがとう。
本屋さんに立ち寄りましたら、店頭に面白いタイトルの文庫本が目についた。
「雨の日も晴れ男」、梅雨なのに連日の猛暑にぴったりのフレーズに笑ってしまった。まったく私のようなノー天気のフレーズでしてすっかり気に入ってしまた。
天風師の言葉に「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」とあり、私も「晴れてよし、雨もまたよし」として過ごしています。
梅雨はどこへやらの猛暑のなかでも、雨期になれば紫陽花は綺麗に咲いています。ありがとう。
昨日39度の暑いなか東京へ買い物に出かけて来ました。
帰りの高速バスが上里インターで15分の休憩がありツバメの様子を見て来ました。
時間が午後8時ということもあり親鳥が下で、その上に雛鳥が4羽?休息をとっていました。ツバメは東南アジア方面から日本で繁殖にやってきて、そろそろ南方へ旅立ちの頃となる。
先日、信州の修練会の時、朝6時から日本野鳥の会の会長と一緒に散歩して、樹々に鳴くいろいろな鳥の声を聞いてきた。ツバメの鳴き声は「土喰って虫喰って渋〜」と聞こえるという。
もてるツバメは、尾が長くカッコよく、飛ぶのがうまく、歌が上手で、水平飛行速度は180Km、大谷翔平選手のライトスタンドへのホームラン速度だそうです。
野鳥の会のモットーは「人も野鳥も地球の仲間」、ありがとう。
昨日のハンドボール高校インターハイ予選会場は、私の母校でした。
私の高校の頃はハンドボールとバスケットは強豪でした。私はバスケット部に所属し学業でなくバスケの卒業生でした。
体育館に隣接して旧七日市藩邸の正面玄関あり、試合のハーフタイムに槻木の茂る庭を懐かしく散策してきました。
藩邸の庭はよく整理されていて池には錦鯉が泳いでいました。ふと見ると槻木の下に人知れず静かに「陸軍中野学校終焉之地」の碑が佇んでいました。
中野学校は秘密戦、ゲリラ戦、破壊工作の訓練を目的に設置され、終戦近く疎開してこの地にやって来ました。
戦陣訓は「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥を晒してでも生き延びよ」「できる限り生きて任務を遂行するのが中野魂である」という教えでした。
この戦陣訓がなければ、終戦後にフリピンのルパング島で29年も戦い続けた小野田寛郎情報将校が理解できません。また、戦後の引き上げ軍人の世話をし、沖縄領土返還のために奔走した末次一郎氏も中野学校の卒業でした。この時になぜ「中野学校終焉之地」として注目されなかったかと非常残念に思いました。
私はこの地のご縁なのか両氏にお会いでき、お世話になりました。小野田氏とは東京とブラジルでもお会いしています。小野田氏は義眼かと思えるほど実に澄み切った瞳に強い印象を受けました。
末次一郎氏の逝去を知り駆けつけましたら、寝床に横になり永眠している向こう側に小野田氏がいました。中野学校の終焉を見た思いでした。
「陸軍中野学校終焉之地」の碑に合掌して来ました。ありがとう。
今日はまた姪のハンドボール高校インターハイ群馬予選の試合を見てきました。
決勝はきびしい予想でしたが、また姪は肩を脱臼して途中退場しましたが、チームは苦戦しながらも4点差で逃げ切り優勝しました。
全国大会は岡山県で、8月2日、3日なので応援に行くことにしました。ちょうどスイスから私の家族も遊びに来ていますので、岡山の応援ついでに姫路城も観光してきます。
これで6月モンゴル、7月は北海道大雪山、8月は岡山、姫路、9月に台湾となりました。ありがとう。
「生成AIで世界はこう変わる」を読んでみました。
本の見出しに「新進気鋭のAI研究者が大予測!私たちの仕事、暮らし、文化の未来」とありましたのでついつい手にしました。
確かに生成AIは2023年から急激に変わってきていまして、私らも自然に踏み込んでいました。
この本では2030年にはさらに劇的に変わって行くと予測していますが、ではどう変わって行くのか予想できないとして避けています。
学者でもわからないのか、または用心深くして明言を避けています。それにこの本は日進月歩の生成AIのため2〜3年でもう通用しないと予測しています。
いやはや学者と出版社にキツネにつままれた思いです。有り難う。
これは駅構内で見かけるポスターです。1年ほど前に撮ったもので、いつか紹介しようと保存していました。
この光景は日本だけでなく台湾、香港、韓国、上海、タイなどアジア圏で共通して見られ、スマホ国家を形成しています。
私はこれらの人を、各民族を超えた「スマホ族」と称しています。新種スマホ族は次第に首が9度前に傾いた体型になります。
先日もローカル上信線で高崎から乗車したのですが、1両目の前の座席に15名が座ってまして、その15名全員(内2名が外国人)がスマホを見ていました。これってもうスマホ族の新しい文化ですね。
スマホを見ながら横断歩道や駅のホームを歩く人を見かけますが、そんな時に私は避けずにぶつかる寸前までその前に立ち尽くしています。ささやかな抵抗です。
やはり歩く時は下を向かずに上を向いて歩こう。有り難う。
7日、8日と信州望月温泉みどりの村での天風会の行修会に参加してきました。新幹線効果で佐久平駅周辺は驚くほど様変わりでした。
行修会が午後2時半に終えてから、在来「小海線」に乗り小諸城址「懐古園」に行ってきました。城址はおおきく改修されていましたが、石垣はそのままでした。
60年前に高校卒業する間際でしたが、縁あって信州を訪ね「懐古園」を散策し、これからどう生きて行くべきか考え、私の人生の進路をすべり込みセーフ的に決定した懐古の地です。大学受験受付まで10日遅れればアウトでした。それからは無我夢中で走り続けて今日に至っています。
でも今回は単なる懐古の散策でなく、じき人類の知能を超える「生成AI」の本を携えて、これから「生成AI」の勉強を始めると決断してきました。
そしてまた「生成AI」で、60年後のAI懐古園を訪ねてみようと考えました。
懐古園、有り難う。
和田秀樹氏の著書、老後の暮らし方が売れているようです。
世間の常識にとらわれることなく、残された日々を好き勝手に生きろというものです。いろいろ参考になりますが、読後にいつもすっきりしないものが残ります。
老いてもやはり「人生としての尊厳」汚さず、できるだけ「人の幸福を妨げない範囲」2原則をベースにする必要があると思います。これに構わず好き勝手の行為はどうかな。
読者に媚びる著書にモヤモヤしたものを感じていましたので書いてみました。
認知症になってもボケ顔でテレビに出て歌う知人を見て、和田秀樹氏やそれをよしとする周囲の人は何を考えているのかな?
老いても「人生としての尊厳」は、断じて失いたくないものです。
ありがとう。

荒川コーチ、広岡、長島、王、こうした流れのなかで、大谷翔平選手もいるのですね。
私のブログではプライバシーを考え実名は書かず、友人、知人を使用しています。でも今回はオープンにして書き進めます。
昨日、武見敬三参議委員の「繁栄か、衰退か 活力ある健康長寿社会を創る」の出版記念披露宴に列席してきました。
都議選と参議委員選挙が近いため、大勢の国会議員と都議が赤いリボンをつけて壇上で挨拶をし、出版披露宴プラスアルファーで、熱気を帯びまるで自民党の総決起大会の様でした。
締めに武見参議委員のお礼のスピーチでしたが、見事なものでした。前厚生労働大臣を経験した自信が、人をこうも大きく変えるものかと思いました。
スピーチを聴いていて、彼もついに立派な政治家「武見敬三」を完成させていました。
長年の友人として誇りに思った瞬間でした。ありがとう!
6月は「植物たちに心はあるか」から入ります。
なんとなく手にした本でしたがとても面白かつた。私は植物に対しあまり知識がなかったので目から鱗の連続でした。
植物が陸上に生息し約4億7千万年を生き抜いてきています。人類は20万年から30万年ですから先輩になります。人類は植物が築いた世界の中で深く恩恵を受けてきたわけですから、まさに主客転倒です。
植物は根から水分を吸い、葉が二酸化炭素を吸収し、太陽の光を使い光合成をしながら葉をつけ茎を伸ばし、花を咲かせ、種を作り今日まできたわけで、人類の生命活動と共通しています。毎朝食べていますバナナの遺伝子の50%余は、人類と共通していると言いますから驚きです。
例えば、春に咲く桜は1年がかりで準備していました。前の年の夏に種を作り冬の厳しい寒さのなか越冬芽で蕾を包み込み暖かくなると蕾を大きくさせて花を咲かせます。
満開に咲く桜の陰に1年がかりの周到な準備があり、しかも葉たちの情報交換で一斉に咲き誇ります。
植物に心があるのかわかりませんが、我々を包む宇宙エネルギーの創造であることがわかります。何ともありがたいことです。
折を見て再読します。ありがとうございます。